拗らせた恋の行方は

山田太郎

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溺れる身体

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「なんでまたこんなことに…」
 座り慣れないソファに居心地悪く腰掛け、風呂場から漏れ聞こえてくるシャワーの音を聞きながら、浩司はため息をついた。なんだかついこの間もこんなことがあった気がする。違うのは、ここが加賀の家だということだ。





 やらかしたかも、と気がついた時にはもう遅かった。
「加賀さん…加賀さん?」
 浩司のペースに付き合って飲んでいたせいか、それともいつもより強い酒だったせいか、返事が遅くなったなと思ったら、気がついた時には加賀は潰れてしまっていた。幸い気分が悪くなったりはしなかったが、揺すっても叩いても鈍い反応しか返ってこない。顔色が変わらないからついつい飲ませすぎてしまった。
 上司を潰してしまったと青ざめる浩司をよそに、カウンターの中にいたママは感心したように加賀の前に水の入ったコップを置く。
「加賀ちゃんが潰れるとこなんて初めて見たわ。大澤ちゃん、強いのねえ」
「俺は酒が強いのだけが特技で…加賀さん、起きれるか? タクシー呼んだら乗れる?」
 呼びかけても返事はない。このところ忙しかったから、それもたたっているのだろう。浩司は困り果ててため息をついた。店の外まで運んでいこうにも、加賀は浩司よりもやや背の高い大柄で、見た目によらず筋肉があるのかずっしりと重い。飲みサーで先輩達の運搬については鍛えられた浩司といえど、運ぶには難儀するだろう。ママはその様子を見て肩を竦める。
「まあほっといたらそのうち一人で帰れるわよォ。大澤ちゃん、もう終電近いんでしょ? 家も遠いんだし、加賀ちゃんは見といてあげるから、帰ったら?」
「いや、そういうわけには…」
 明日も仕事であるわけだし、確かにそれは魅力的な提案だったが、上司を酒に付き合わせた挙句潰して一人で帰るというのは、体育会精神の染みついた浩司には到底できそうにもない話だった。加賀の意識さえあれば、帰れと言われて帰されるところだろうが、未だ返事も覚束ない状態だ。浩司は腹を決めて腰を据え、加賀の介抱を行った。
「加賀さん、笑ってないでちゃんと立ってくれよ」
「いや、本当にすまない」
 結局加賀がタクシーに乗れるまで回復したのはそれから30分以上が過ぎてからだった。加賀の家と浩司の家は反対方向なので、一人で帰そうかと思ったが、どうやら意識ははっきりしてきたようだが、どう見ても足元が怪しい。結局一緒に付き添って家まで送ることにした。完全に終電は逃してしまったが、勉強代として諦めるしかないだろう。近くでホテルに泊まってもいい。
 タクシーを待つ間、加賀は何がおかしいのかくつくつと笑っていたが、車に乗ったあたりでだいぶ酔いが覚めてきたらしい。シートに沈み込みながら、後部座席から助手席に座っている浩司に話しかけてきた。
「大澤、お前家反対側だろ? 電車、もう終わったんじゃないのか」
「まあ…でも俺が飲ませたせいだし、タクシーか、その辺でホテルでも取って寝るよ。明日は外回りもないしな。あ、そこ左でお願いします」
 実際のところどっちも金額としては変わらないだろう。タクシーの運転手に指示を出しながら、生返事を返す浩司に、加賀は少し黙ってから、なあと話しかけてきた。
「うち、泊まるか?」
「……はあ?」
 どうやらまだ酔っているらしい、困惑する浩司を他所に加賀は名案だとばかりに言葉を続ける。
「シャツも貸してやれるし、客用の布団もあるぞ。おろしてない歯ブラシもある。会社からも近い。いい案だな?」
「そりゃ、確かに助かるが…ただでさえ迷惑かけてるのに、これ以上世話になるわけには」
「迷惑だっていうならお互い様だろ。家まで送らせといて放り出したら俺が鬼みたいじゃないか」
「そんなことはないと思うが…」
「まあ、いいから。泊まってけよ。な?」
 それ以上に固辞するのはその方が失礼な気がして、浩司は前を向いて口をつぐんだ。そのまま断る理由もなく、加賀の自宅について、言われるがままに背を押されながら部屋に入り、ソファに座らされているうちに加賀がマイペースに風呂に入りにいった。そうして、冒頭の状況に至ったわけである。
 加賀の家は広かった。具体的に言うと大澤の家の2倍くらいの大きさだ。そして、一人で住む家には見えなかった。家に入ってきた時にここで寝ていいと言われた部屋は、生活感はなく殺風景だったが、ベッドと机が置かれて生活するには十分の広さがあった。いくら加賀が変わっていると言っても、客様の宿泊室を作るほど酔狂ではないだろう。つまり、ここにはもともと誰かが住んでいたのだ。
『あんな別れ方したもんだからーー』
 先程のママの言葉が思い出される。あの話とさっきの部屋を見るに、加賀に恋人がいたと言うのは間違い無いようだった。しかも別れてから数年経っても共に過ごした部屋を引き払えないほど、思い入れのある恋人だったらしい。恋人を作らない主義だと言うのにも、そのあたりに理由があるのだろう。浩司はなんだか胸が苦しくなるような思いがして、ずるずるとソファに沈み込みながら、大きく息を吐いた。この感じは危険だ。不毛な恋なんてもうごめんだと思っているのに。
「あー…もう」
 加賀への気持ちは、このところずっと考えないようにしていた。まあそう、半分ぐらいは好きになっている。それは認める。加賀への気持ちをコップに入った水で例えるなら、あと少しの刺激で溢れ出しそうなところまで来ている。でも、好きだと言い切ってしまえないのは、加賀が何を考えているのかよくわからないからだ。亮介の結婚式の後慰めてくれたのも、思わせぶりな態度も、全部加賀にとってはたわいのない、児戯に等しい戯れなのかもしれない。本気になって、弄ばれて捨てられるのはたくさんだった。浩司にばかり優しいように感じるのも、浩司がそう思いたいだけなのかもしれないのだ。
 考えはぐるぐると同じところを回ってまとまらなかった。浩司も自覚はないが多少酔っているのかもしれない。何度目かのため息をついたところで、風呂場から加賀が何かを言う声が聞こえた。よくよく聞いてみれば、どうやら加賀は浩司を呼んでいるらしかった。
「おおさわー」
 浩司は振り返り、何事かと思いながら立ち上がる。リビングから出て、風呂場に繋がる扉を開けようとしてーー思い直してその扉をコンコンとノックする。
「加賀さん? どうかしたのか」
「大澤、外にいるのか? 入ってこいよ」
 どうやら緊急性のある用事ではなさそうだ。理由を聞きたかったが、染みついた体育会根性が上司に逆らわないことを選択した。躊躇いながら洗面所の扉を開けると、曇りガラスの向こうから、上機嫌な鼻歌が聞こえる。
「加賀さん? 入ったが…」
「お、入ったな。すまないが扉開けてくれるか」
 一体中に何があるというのか。浩司は激しく理由を問いただしたい気持ちになったが、相手は上司で、おまけに酔っ払いだ。言いたいことを全部飲み込んで、浩司はバタンと風呂場の扉を開けた。
 なんの変哲もない風呂場が目に入る。その瞬間、浩司の顔面に凄い勢いで何か温かいものがぶつかった。
「うわっ、何、っ、げほっ」
 浩司は驚いて思わず腕を振り回した。鼻や喉にまでその温かいものは入り込み、思わず咳き込む。何度か咳をして気がついたのは、自分が顔面にお湯を掛けられたということだ。顔を拭うと、湯船に浸かってニヤニヤ笑っている加賀と目が合った。浩司はワナワナと震えながら扉を叩いた。深夜なので控えめにではあったが。
「加賀さん! いきなり何するんだ、怒るぞ!」
「もう怒ってるじゃないか」
 悪ふざけにしても幼稚で、悪質だった。上半身をびしょ濡れにした浩司が小声で怒鳴っても、加賀はどこを吹く風とばかりに飄々としている。浩司の全身をじっと眺め、にこりと笑う。
「あーあ、濡れちまったな。風邪引くから、お前も入れよ」






 ザアザアと床を打つシャワーの音が風呂場に響いている。
「なあ、悪かったよ。お前、一緒に入ろうったって入らなかったろ?」
 湯船に浸かったままの加賀が、機嫌をとるような猫撫で声で謝ってくる。浩司は憮然とした顔のまま、シャワーをキュッと止めて加賀の方を見た。濡れた髪をオールバックにした加賀はいつもより艶っぽく、浩司はふいと目を逸らす。
「別に怒っているわけじゃない。ただ先に言葉で言ってくれればーー」
「一緒に風呂入ろうって? さっきだってお前聞きやしなかったじゃないか」
「ーーかもしれないが! やり方が乱暴だって言ってるんだ!」
 実際濡れ鼠になっても浩司は抵抗したので、加賀のやり方は正しかったと言える。今更そんなの気にするような仲じゃないだろと言われて、半分くらいヤケクソで今一緒に風呂に入っているのだ。
「だから悪かったって。風邪引くから浸かれよ」
 今日の加賀はどうにも強引だ。いつもマイペースに人を振り回す人ではあるが、こんなに乱暴なやり口はしない。浩司は開き掛けた口を閉じ、捨て鉢な気持ちで加賀と向かい合わせになるようにザブンと湯の中に入る。甘く見られているのだ。浩司が加賀に強く出られないのを知っていて、こういうやり方をしている。波を打つ湯船の中で、加賀は目を細めて笑った。
「お、ようやく諦めたか」
「……。あんたは、まだ出ないのか」
 浩司が入り始める前から湯船に浸かっているのだから、もうずいぶんな長湯である。ただでさえのぼせそうな時間なのに、加えてさっきまで泥酔していたのだ。いつも白い加賀の肌もほんのり紅潮していて、そんなところを見たことがないからなんだか心配になる。湯の中で伸ばした足で浩司が加賀の脇腹をつつくと、加賀はくすぐったそうに笑った。
「なんだ、心配してくれてるのか」
「別に」
「まったく、素直じゃないやつだな。まあそこが可愛いんだけ、ど!」
 言いながら加賀の手が浩司の悪戯な脚を掴み、自分の方にぐいと引き寄せる。バランスを崩した浩司はバシャリと湯を波打たせながら、あっけなく加賀の上に倒れ込んだ。湯船から溢れたお湯が床を打つ音がする。慌てて起き上がろうとしたところで、不埒な腕が自分の身体に回ってきたことに気が付き、浩司は深夜だということも忘れて思わず叫ぶ。
「ちょっ、うわっ! あんたなにするんだ! って、おい、待て、触るな!」
「んー?」
 あれよと言う間に浩司は加賀の膝の上に跨るように乗せられてしまった。裸の胸が触れ合う感触に、顔に血が上るのが分かった。逃れようと暴れても、力の入れどころが分かっているのだろう、全然距離を取れず、逆に余計に密着する結果になった。諦めてぐったりと力を抜くと、加賀がおかしそうに笑う声が胸から響いてきた。
「あんた、何がしたいんだ…」
「うんまあちょっと、付き合えよ」
 声とともに、ちゅ、と首筋に吸いつかれ、体が震える。腰の辺りを撫でてくる指を捕まえようとして、尻の間に硬いものが当たっているのに気がつく。
「っ、ちょ、やめ…っ、加賀さん! 当たってる!」
「当ててんだよ。本当は今日、適当な相手でも誘おうと思ってたんだが、お前がいたから」
 いたから、なんだと言うのだろうか。加賀はそれ以上には何も言わず、ゆるい愛撫を続ける。浩司も男だ。そんな風に触られてはたまったものではない。浩司は困惑しながらも、自分の陰茎が力を持ち始めているのを感じていた。当然密着している加賀にもそのことは伝わっていて、くつくつと喉の奥で笑う声が聞こえる。
「お、お前もその気になってきたな」
「っあ、あんたがっ、そんな風に触るから…っ」
「聞いたぞ、お前こんなにやらしいのに、夜の誘いは全部断ってるんだってな?」
 身体のあちこちに唇で触れられ、奥が期待するようにじくじくと疼く。そうだ。浩司が己の求めるような充足を得たいならば、ここで加賀の誘いに乗ってはいけない。気持ちのない、身体だけの関係なんて虚しいだけだ。拒まなければいけないと思うのに、加賀の手は的確に浩司の抵抗を奪っていく。チャプンと水音が風呂場に響く。
「恋なんてしたって、辛いだけだぞ」
 浩司ははっと気がついて下を向いた。湯の中から見上げる加賀の顔は穏やかで、相変わらず何を考えているのか分からない。浩司にはそれが歯痒かった。
(俺なら、絶対にそんな顔はさせない)
 ゴクリと喉が鳴った。加賀の手が湯から出て、浩司の後頭部に回る。そのまま吸い寄せられるように加賀の唇にキスをしながら、浩司はそんなくだらないことを考えていた。浩司の中にあったコップから、水が溢れ出した瞬間だった。
 好きだーーと、その言葉は言えないけれど。
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