拗らせた恋の行方は

山田太郎

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知らない顔

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 浩司が加賀に初めてゲイバーに連れて行かれてから数週間が経った。その間、加賀の付き添いなしでもちょくちょく顔を出すようになってわかったことがある。
「隣、いいかな」
 カウンターの隅に腰掛けて、一人酒を飲んでいた浩司の背中に柔らかな声が掛けられる。ちらりと後ろを振り向くと、線の細い、可愛らしい顔つきの青年がグラスを片手にこちらを見ていた。浩司はちょっと逡巡してから曖昧な笑みを浮かべ、頷く。決して嬉しくないわけではないが、今晩はもう四人目だ。浩司が前の三人を袖にしているのを見ていながら声をかけてくるわけだから、なかなかの曲者である。苦笑しながらグラスを傾けると相手も同じように持っていたグラスを当て、チリンと涼やかな音を立てる。
 青年は悪戯っぽく微笑みながら浩司の隣のスツールに腰を掛け、当たり障りのない世間話から話を始める。今晩は冷えるね、とかお兄さん格好いいね、とかそんなたわいもない話題である。なんでもない風を装ってはいたが、その視線が肉食獣のようにぎらついているのは、人を見ることに慣れた浩司の目からは明らかだった。
 ゲイの世界に片足を踏み入れて分かったことは、自分が意外とモテるという事だ。もともとガタイのいい方ではあったし、強面ながら目鼻立ちは整っていると言われることも多かったので、自分の容姿がそう悪い方ではないというのは自覚していた。浩司にとって意外だったのは、それがタチネコ問わずだったことだ。
 この世界は慢性的にタチ不足なので、浩司に誘いをかけてくるのにもネコの方が多いことは多いのだが、なんだかんだでタチからも結構な頻度で誘われている。新顔だというのもその理由の一端ではあったが、端的にいって浩司がゲイ好きのする容姿であり、もの慣れない態度が余計にそれを加速させているのは間違いなかった。そうは言っても、バーに来るたび代わる代わるひっきりなしに声をかけられるのは、そろそろ疲れるというか、しんどいものがあった。
「お兄さんさ…」
 浩司が心ここに在らずで返事をしていることに相手も気が付いたのだろう。その細い指がすっと机の下に落ち、浩司の腿の上に置かれる。思わず苦笑する浩司に、彼はにっこりと微笑み、その指を付け根の方へつうっと滑らせた。
「今晩どう? お兄さん、寝てるだけでいいからさ」







「よかったの? あのコ、あんなだけど意外といいコよォ? ベッドじゃ尽くすタイプだし」
 別の男に声をかけに行った彼の背中を見送りながら、カウンターの中にいたママが浩司に話しかける。浩司はその言葉に苦笑いし、俯いてカクテルの中を覗き込む。薄い琥珀色の液体には、困ったような顔をして笑う自分が映り込んでいた。
「あの人が悪いとかそういう話じゃなくて、こう、そういうのじゃないというか…」
 ゲイバーに来るようになってわかったこと。一つは自分が意外とモテるということ。もう一つは、彼らは結構即物的だ、ということ。もちろん出会いを求めている人たちも多いのだが、これも男女間の恋愛感よりかなり軽く、即物的な欲求に基づいていることが多い。それはそもそもの母数が少ないこと、出会いや経験が少ないことがかなり影響しているのだろうということは想像に難くない。そうでなければ、恋愛などできないのだ。
 浩司にとって、身体だけの関係はもう飽き飽きだった。肉体よりも精神の充足が欲しかった。ここに来れば、それがかなうと思っていたのだが、現実はそうそう甘くはないらしい。
 ママは浩司の歯切れの悪い返事でなんとなく言いたいことを悟ったのだろう。ああそういうこと、と納得したように頷き、片頬に手を当てる。
「だいぶ拗らせてるのねえ…。大澤ちゃんが求めているような恋愛は、確かにない事はないけど、すっごく珍しいわよォ」
 暗に夢見がちな子だと言われたような気がして、浩司は思わず赤面した。グラスに添えた指先がじんわりと熱くなる。
「わかってはいるんですが…まだそういう風には割り切れなくて」
「ああ違う違う、そういう意味で言ったんじゃないのよ。ステキな恋愛をする子たちだっているもの。加賀ちゃんだってそうだったし」
 慌てたようにそう言うママに、浩司は思わず顔を上げて目を瞬かせた。そこで加賀の名前が出てくるのは意外だった。恋人は作らない主義だと言っていたのに。
「加賀さんが?」
「そうよォ、あのコ今でこそあんなだけど、数年前まで恋人がいたのよ。それこそ漫画みたいな恋愛だったのよ。あ、ハイハイ、モヒートね」
「へえ…」
 意外すぎる。加賀は見た目こそ少女漫画から飛び出してきたような容姿だが、かなり現実的だし、それこそそういった重石を嫌っているように見えた。それが漫画のような恋をしていたとは、人は見かけによらないものだ。こんな強面で乙女のようなことを言っている浩司も人のことは言えないのだが。
 ママは注文が入ったカクテルを作りながら、愚痴っぽく話を続ける。
「でもまあ、あんな別れ方したもんだから、すっかりスレきっちゃってーー」
「ーーママ」
 聞き慣れた声と共に、浩司の肩に腕が回される。驚いて見上げた先には、見慣れた端正な顔が不機嫌そうに歪められてママの方を睨んでいる。顔のいい男が凄むと常人の数倍恐ろしい。浩司は顔を引きつらせた。
「か、加賀さん、あんたなんでここに」
 いつの間に店に入ってきていたのか、入口にはベルがかかっているはずなのに、話に集中していたせいか全然気がつかなかった。ママも気がついていなかったのだろう。口を押さえて「あらヤダ」と呟く。
「んもう、加賀ちゃん、来てたなら言ってよ」
「今来たところだよ。俺のいないところで俺の話? 除け者にするなんて、ひどいな」
 ママが慌てて取り繕うも、誤魔化せていないのは明確だった。加賀はチラリと浩司とママの顔を見比べ、先程までの不穏さを消してにこりと笑ったが、それが凍てついた笑みだったのは言うまでもない。ママは早々に降参して、悪かったわよォと口を尖らせた。
「勝手に話してゴメンなさあい。そう、大澤ちゃん、話がそれちゃったけど、身体から入る恋愛もあるってことよ。ここに来てるのはいいコ達ばっかりだから、その気になったら誘いに乗ってあげてね」
 ママはそう言ってウインクすると、そそくさと別の客の元に行ってしまった。一人取り残された浩司は、背後から漂ってくる冷気に気まずく咳払いをした。
「あー…まあ、座れよ、まず」
 そう言うと、加賀は小さくため息をつき、浩司の肩から手を離してどさりと隣に腰掛けた。先ほどよりは幾分マシになったものの、加賀の機嫌があまり良くないのは明らかだった。顔は全くと言っていいほど似ていないのに、機嫌の悪くなりかたは亮介と似ている。浩司は据わりの悪い気持ちで加賀の顔を伺った。
「なあ、悪かったよ。聞くつもりはなかったんだが…」
「いや、お前が悪いわけじゃない。……俺こそ悪かった。抑えが効かなくて…な」
 そう言うと加賀はバツの悪そうな顔をして顎を擦った。コートを脱ぎ始めた加賀からは、先程のような不機嫌な空気は消え失せていた。こんな風に加賀が感情を剥き出しにするのは珍しい。いつも飄々として掴みどころのない男が、こんなふうに気持ちを乱される人がいるということが、なんだか意外で、そしてなんだかーー。
 浩司はそこまで考えて首を振った。それ以上は考えてはいけない感情のような気がした。弱っているところを優しくされて、気持ちがぐらついているのは自覚している。だが、加賀には恋人にはしてやれないと最初にはっきりと言われているのだ。
 浩司は手元でちびちび飲んでいた杯をぐっと空け、空にした。ツンとした強いアルコールの匂いが香る。本来こんな風にぐびぐび飲むような酒ではないのだ。酔えないのはわかっているが、酒でも飲まなければやっていられない。
「ママ、俺とこの人にさっきと同じの。あんたも飲むだろ?」
「おいおい、お前そんなに飲んで大丈夫か? 明日もまだ仕事だろ」
「飲んだってそう酔えやしないんだからいいんだよ。というかあんた、昼間誘った時は用事があるって言ってたが、もう用は済んだのか?」
 浩司はふと昼間の会話を思い出して加賀にそう尋ねた。リーダー会議で会ったときに、今晩食事でもどうかと誘ったら用事があると断られたのだ。最近はプロジェクトで顔を合わせることも多く、結構な頻度で夕食を共にしていたが、加賀に断られたのは今日が初めてだった。一人では居酒屋に行く気にもなれず、この店で飲んでいたわけだが、まさか加賀がやってくるとは思わなかった。
「ああ、うん。まあ…今夜はいいかな」
 加賀はちらりと背後を見て、よくわからない、煮えきらない返事を返した。後ろに何かあるのかと浩司は加賀に倣って振り向いたが、薄暗い店内が広がっているだけで、なにも変わったことはなかった。
「ほら、飲むんだろ。ママ、適当にツマミ作ってよ」
 加賀が気にするなと言わんばかりにぽんと後ろを向いた浩司の背中を叩く。こちらを向いた加賀の顔はいつもと変わらず、カウンターの隅まで逃げていたママを呼び寄せてツマミを頼んでいた。浩司はツマミがなくても飲める派だが、加賀は食事しながら酒を飲むのを好む。これも最近になって知ったことだ。
「うちはバーであって飲み屋じゃないんだって何回も言ってるでしょ。ハイ、これさっき注文したお酒ね」
「まあまあそう言わずに、頼むよ…うわ、お前またきっつい酒飲んでるな」
「そうか?」
 チリンと乾杯して、グラスに口をつけた加賀が顔を顰めるのを見て、浩司は首を傾げた。何を飲んでもほとんど酔わないので、酒の度数に関して浩司はかなり無頓着だった。味が気に入ればジュースと変わらないような酒だって飲むし、喉が焼けるような酒も構わずに飲む。今日は特になんだが飲みたい気分だったので、ママにお願いして強めの酒を出してもらっていた。
「相変わらず化け物みたいな肝臓してるな」
 涼しい顔をして杯を開けていく浩司に付き合いながら、加賀は呆れたように笑った。夜がゆっくりと更けていく中、二人は静かに杯を重ね合った。
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