拗らせた恋の行方は

山田太郎

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傷つけられた心

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 ホテルでの一件があってから、浩司は加賀に必要以上に近づかないようにしていた。これ以上何かあったら、自分の気持ちがブンとそっちに向かっていきそうで怖かった。セックスも添い寝も、加賀にしてみればなんてことはないことなのだろうが、浩司にとっては違う。自分が実はかなりチョロくて、ちょっと優しくされたら好きになってしまうタイプなのだということを、浩司はその時点で大分自覚していた。おまけに重くて引きずるタイプだ。思い返せば、亮介にしてもそうだった。
 亮介への気持ちは加賀とのセックスでなんとなく整理がついていたが、それで加賀を好きになったら本末転倒だと思った。加賀がゲイなぶん、色恋に対して前向きならまだ亮介の時より希望はあったが、初めて会った時に恋人にはできないと釘を刺されている。どうあっても恋愛に発展しないのであれば、好きになるだけ無駄だ。幸いにもまだ親しいとは言い難い仲だ。今ならまだ引き返せると思った。
「今日もちょっと…」
「じゃあいつならいいんだ。手帳見せろ」
「あっ、ちょっ」
 プロジェクトの打ち合わせで顔を合わせると、加賀は高確率で浩司を飲みに誘う。いつものらりくらりと躱していたが、いい加減堪忍袋の尾が切れたのか、スケジュール帳を取り上げられて勝手に中身を見られる。スケジュールの空欄部分を見て、加賀の片眉が上がった。
「なるほど。俺とは飲みに行きたくないか」
「いや、そんな…」
 否定しようとして、浩司は結局上手い言い訳が見つからずに視線を落とした。加賀はパタンとスケジュール帳を閉じ、気まずげに咳払いをする。
「あー、まあ、この前は結構お前に迷惑をかけたしな。でもいつもああなわけじゃない。普段は強い方だ。大澤ほどじゃないが」
 浩司は驚いて視線を上げた。加賀はどうやらこの前の失態のせいで浩司に酒の席を拒否されていると思っているらしい。人の気持ちには聡いくせに、自分に向けられている感情には気が付かないのだろうか。それとも、わかっていて敢えてとぼけているのだろうか。加賀の目を見ても、どの答えが正しいのかは、一向にわからなかった。
「まあ、あんたがそこまで言うなら」
 浩司は結局、悩むのが馬鹿馬鹿しくなって加賀の誘いを受けることにした。別にまだ、加賀を本当に好きになってしまったわけではない。いろいろ考えるのは、そうなってからでも遅くないような気がした。
 加賀とはその後、ゆっくり話をしたいからと金曜日の夜に飲む約束を入れたが、その前日の木曜日の朝に、思いがけない人物からの誘いがあった。
『今夜、空いてねぇ?』
 素っ気ない文章は、いつも亮介が浩司を飲みに誘う時の決まり文句だ。亮介とは、あの式の二次会以降、きちんと会って話はしていなかった。加賀と一緒に抜け出した件や、着信を取らなかった件については弁明は済ませてあるが、一度ゆっくり話をした方がいいだろう。幸いにもプロジェクトの進行は予定通り進んでおり、残業の予定もない。
 亮介に了承の意の返事を送り、隣の席でパソコンに向かっている後輩に声をかける。
「安藤。俺今日は早めに上がるから、何かあるなら早めに言えよ」
「はーい、了解っす。デートかなんかですか?」
 安藤はキーボードを打つ手を止め、ニコニコと笑いながら大きな声でとんでもないことを言う。このまだ若い後輩は悪い奴ではないのだが、たまに空気が読めない。浩司は思わず安藤の背中を叩いで黙らせ、小声で訂正する。
「馬鹿、違う。男だ」
「いたいっすよー。あの、いつもの人ですか。大学時代の友達だっていう…」
「ああ。急な話で悪いが」
 大丈夫です、と笑う顔はまるで大型犬のようである。本人はあまり意識していないのだろうが、ひょろりと高い背と社則ぎりぎりまで明るくしている髪と相まって、事務の女性に菓子をもらっている姿をよく見る。今回のプロジェクトも浩司と同じチームに配属されており、共に仕事に出ることも多い。今度飯でも奢ってやろう、と思いながら、浩司は頼んだ、と首を振った。





「おっせぇよ」
 いつもの居酒屋の戸をくぐると、席につくなり先に始めていた亮介が文句を言った。浩司が上着を脱ぐ間にも、顔色ひとつ変えず、手酌で日本酒を次々に空けていく。肝臓の強さは変わっていないらしい。
 注文を取りに来た店員にビールと亮介と同じものをと頼んで、不機嫌な顔でこちらを見ている亮介に浩司は肩を竦めた。
「仕事が延びたんだ。ちょっと遅れるって連絡入れただろ」
「見てねえって、そんなの」
 尊大に言い放つ亮介の言を聞いて、浩司は思わず苦笑を漏らした。相変わらずどこの王様かというぐらい俺様な態度である。すぐに届いたジョッキで簡単に乾杯を済ませ、突き出しの煮物に手をつける。まだ時間は20時を過ぎたところだったが、ふと、家で帰りを待っているであろう亮介の家族が気になった。
「新婚なのに、優香さんほっといていいのか」
「お前までそんなこと言うのかよ。産休に入って一日中家にいるからうるせえったらありゃしねェ。たまには一人になりたい時ぐらいあるっつーの」
 亮介は顔をしかめ、辟易した口ぶりでそう言った。これまで好き勝手に生きてきた男だ。よほど拘束されるのが性に合わないらしい。その言いように、浩司は思わず眉をひそめた。
「結婚ってそういうもんだろ。嫌ならしなけりゃよかったんだ」
 浩司の突き放したような口調に、亮介は面食らったような顔をした。前までの、亮介に依存しきった浩司なら、亮介の話に同じように憤慨して同情したかもしれない。浩司だって優香のことは好きではないが、結婚しておいてその態度はないだろうと思った。
「ハァ? なんか最近お前、前と違くない?」
「そうか? そうかもな…。お前も結婚したし、俺も前と同じというわけにもいかないだろう」
 追加で運ばれてきたビールで喉を潤し、そう答えると、亮介は釈然としない顔でまた杯を空ける。いつもより随分と早いペースだ。亮介も浩司と同じで中々酔わないが、その分酔った時はかなり面倒な男だった。あまり飲ませまいとさりげなく徳利を取り上げようとすると、機嫌を損ねたらしく、ジロリと睨まれた。すでに遅かったらしい。かなり酔っているようだ。
「家で嫁さんが待ってるんだろ。あんまり飲むなよ。帰れなくなるぞ」
「うっせェなあ。お前やっぱり最近ノリ悪いぞ。俺は今日飲みたい気分なんだ。付き合えよ」
 亮介は顔をしかめ、ポケットからライターを取り出した。タバコに火をつけ、フゥッと煙を吐き出しながら、この前も先に帰るしよォ、とクダを巻く。ああこれは止まらないな、と諦めながら、浩司はつまみの唐揚げに箸をつけた。
「だからそれは悪かったって…。お前こそ、従兄弟がうちの会社にいるって教えておいてくれたらよかったのに」
「あー、俺あの人昔っから気にくわねェんだよな。あの俺は全部わかってますって目、見ててイライラする」
「そうか? そんな人には見えないが」
 思わず加賀を庇うような台詞をはいてしまったことに気がつき、浩司は誤魔化すように喉にビールを流し込んだ。加賀とはあくまでただの上司と部下だ。しかも部門も違う。従兄弟より人となりを知ったような口をきくのはおかしな話だった。
 亮介はタバコを咥えながら浩司の言葉に大きく目を見開いていたが、すっと目を細め、何かを探るような瞳で浩司の顔を眺める。
「お前…」
 その視線が首から下に落ちていき、全身を舐め回すように這っていくのを感じて、浩司は思わず身震いした。浩司にしてみれば、亮介の方がよほど人を見透かしたような瞳をする。浩司は正面から亮介の目を受け止めた。
「…なんだよ」
「いや、なんか変だと思ってたけど、あれか、あの人になんか言われたってワケか」
「…はあ?」
 思いがけない台詞に、浩司は思わず声を裏返した。なんでそうなる。亮介はそんな浩司には構わず、灰皿に灰を落とすと、つまらなさそうな口調でさらりと言う。
「だってあの人ゲイじゃねェか。お前と一緒だろ」





 その瞬間、周囲から一切の音が消えた。硬直した浩司の前で、亮介は煙を吐きながら、いつもの口調で続ける。
「ああ、お前はバイの方か。女とも寝れるもんな」
 キーンと耳鳴りのような音と共に、ガヤガヤと周囲の喧騒が帰ってくる。浩司はうまく息を吸えずに、何度か浅く引きつるような呼吸をして、ようやく言葉を吐き出した。自分がどんな顔をしているのか、全然わからなかった。
「な…なに、言って」
「何、お前こそいまだに俺にバレてねえと思ってたわけ? あんな目で見られて、お前、気がつかねェわけねえだろっ」
 亮介は浩司の返答を聞いて、くっと吹き出して笑い始めた。笑い過ぎて涙まで流しながら、呆然と箸を握りしめている浩司に追い討ちをかける。
「わっるいなァ、結婚しちまって。そんであの日、あの人に慰めて貰ったってわけか。上手いだろ、あの人。俺も昔教えてもらったわ」
 それが何のことを指しているのかなんて、聞かなくてもわかった。亮介に悪気はない。馬鹿にしたような口調はいつものことだし、下卑た詮索も、浩司を貶めようと思ってやっているわけではないのだ。亮介にしてみれば、浩司が自分に気があったと言うのは、いつも通りの会話で、いつも通り面白い話題のネタでしかない。早い話が今日雨が降ったねというのと同じレベルなのだ。
 浩司は顔を蒼白にしながら、なんとか笑おうとした。そうなんだよ、やっぱり本物は違うわ、というくらいの軽口が、求められている返答で、そう答えれば自分の重たく拗らせた恋心も冗談になって、会話の中でさらりと流れていくに違いなかった。けれどそれは、亮介が笑いながら発した次の台詞によって崩壊した。
「まァでもあんまあの人に深入りすんなよ。今はそんなに聞かねェが、学生の頃はノンケ本気にさせて捨てたりとか、ロクな噂聞かなかったしなァ」
 それが亮介なりの浩司への気遣いで、友人が従兄弟の毒牙にかからないようにという配慮なのだということはわかった。でも浩司は笑おうとした自分の顔が強張っていくのを感じていた。
(お前がいうのか、それを…)
 浩司が亮介に気があったことを知っていて、それを弄ぶように身体を重ねたこと、自分の結婚式に呼んで友人代表としてスピーチをさせること。笑って流そうと思っていた、いや、思おうとしていた出来事が、頭の中を次々と駆け巡っていった。
 別に知っていてもよかった。なんとなくバレているんだろうなとは思っていたし、なんでもないことのように話のネタにするのも、まあ亮介らしいと思った。でも本気で心配しているような顔をして、加賀とのことに口を挟むのは違うだろう。うまく言い表せない激情が喉の先までこみ上げてきて、浩司はガタリと席を立った。驚いた顔をしてこちらを見上げてくる亮介に、苦々しい思いを飲み下しながら、浩司は財布から札を抜き出してテーブルに置く。
「帰る」
「ハア? なに、お前マジなの? え?」
 浩司は黙ったまま首を振って、後ろで喚く亮介を無視して店を出た。
 脇目も振らずにずんずんと歩みを進め、信号が赤になったところでようやく立ち止まった。携帯を確認すると、時刻はまだ21時前で、メッセージに通知が届いていた。
『明日19時からでいいか?』
 浩司は無性に泣きたいような気持ちになって、スマホをポケットに突っ込んだ。好きではない。断じてまだ好きになってはいないがーー無性に、加賀に会いたいと思った。
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