拗らせた恋の行方は

山田太郎

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上司との距離

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「なんでこんなことになっているんだか…」
 ホテルのベッドに腰掛けながら、漏れ聞こえてくるシャワーの音に、浩司は困惑しながらため息をついた。よく小説で見かける展開に、まさか自分たちが陥るだなんて思ってもみなかった。


 ことの始まりは、社内で新たに立ち上げられたプロジェクトである。年齢的にも営業部のチームリーダーが浩司なのはいいとして、技術部のリーダーに加賀が出てきたのには驚かされた。確かに歳はさほど変わらないが、なんといっても加賀はチーフエンジニアである。本来こんな1プロジェクトのチームリーダーをやるような立場ではない。
「営業部のリーダーの大澤です」
「ご丁寧にどうも。技術部リーダーの加賀です」
 表面的にはにこやかに名刺を交わしたものの、浩司の内心は穏やかではなかった。なんせついこの間、あんなことやこんなことをした仲である。もう会わないと思っていたから、プライドも捨て去って醜態を見せた記憶もある。それだというのに、これからプロジェクトが終わるまで、かなりの頻度で顔を突き合わせることになってしまうのだ。いくら浩司の肝が太くても、知らんぷりしたままというのは後味が悪かった。
「加賀さん」
 顔合わせの後、休憩室に向かった加賀を昼食に誘うと、加賀はそのこのを予想していたかのように呆気なく捕まった。
 加賀のおすすめだという店で料理が出てくるのを待つ間、浩司は気まずく頭を下げた。
「あの…この間は、すみませんでした。迷惑をかけてしまって…」
「なんで? 俺は迷惑なんてかけられた覚えはないけど。それに、また敬語に戻ってるぞ」
 加賀は片肘をついて、面白そうに浩司の方を見ていた。浩司は顔を赤くして俯いた。あの時はもう会わないと思っていたから、あんな態度を取れたのだ。
「勘弁してください。そもそも、加賀さんは上司なわけですし…」
「それこそ今は関係ないだろ。おんなじチームリーダーじゃないか。お前に敬語使われるの気になるから、やめろよ」
 加賀はどうやら本気で言っているようだった。体育会系の精神で育った浩司にとって、目上の人間にタメ口で話すと言うのはかなり躊躇われたが、亮介とよく似た酷薄そうな光をたたえた瞳が、言うまで帰さないと物語っていて、浩司は結局渋々それに頷いたのだった。
「うまいな、この魚」
「だろ? いい店なんだよな」
 加賀に勧められた魚定食は非常に美味しかった。浩司もできるだけ自炊するよう心がけているが、やはり手軽に食べられる肉料理が多くなる。30を超えて油物がきつくなってきたこともあり、さっぱりした魚の塩焼きが余計に旨く感じた。
「そういえば、今度お前と俺で大阪に顔合わせに行くことになってるから」
 向かいで同じように魚を食べながら、なんでもないことのように言う加賀に、浩司は思わず耳を疑った。取引先との顔合わせといえば聞こえがいいが、要は接待である。技術部の加賀には本来関係のない話だ。
「取引先の役員がどうも俺のことを気に入っているらしくてな。ご指名だそうだ」
 怪訝な表情が顔に出ていたのだろう。加賀はむっつりと子供っぽい不満顔をのぞかせながら、そう説明した。相手企業はかなり大手の会社で、うちの会社としてもこの取引を必ず成功させたいという思いがあるのだろう。チーフエンジニアという立場がありながら、加賀がこんな1プロジェクトのリーダーをやらされているわけである。浩司は思わず同情した。あまり優秀なのも考えものである。
「それは災難だな」
「全くだ。お前も、覚悟しておけよ」
 加賀は嫌そうな顔をしながら浩司に釘を刺した。その言葉の意味はよくわからなかったが、実際に行ってみて嫌というほど思い知ることになった。
「大澤くん。私の酒が飲めへんって言うん?」
「いえ! いえ、いただきます。ありがとうございます」
 浩司はかなり面食らいながら、注がれた酒を一気にあおった。50過ぎだろう恰幅のいい彼女が、例の加賀を気に入っているという役員なのだろう。飲み会が始まってからずっと加賀を隣においており、膝やら背中やらを触りまくっている。
 加賀は表面上はにこにこと笑っていたが、ずっと亮介と接してきた浩司は、加賀がべたべたと触られるたびに苛々をつのらせているのがわかってひやひやした。
(気に入っているというのは、そういう意味でだったのか…)
 おまけに彼女はなかなかに酒癖が悪く、浩司が杯を開けるたびに並々になるまで酒を注いでよこす。加賀は何度か庇ってくれたが、今度はその加賀に酒を強要する始末だ。結局ほとんどの杯を浩司が空けたが、浩司でなければ急性アルコール中毒でぶっ倒れてもおかしくない量である。周りの人間も普段から被害に遭っているのか、遠巻きにするだけで止めようとはしなかった。
 結局彼女が完全に潰れてしまうまでその狂乱は続き、二人がようやく解放された時にはとっくに新幹線の終電を逃してしまっていたのだった。
「くそっ、マジであのクソ女、次会ったら覚えてろよ…」
 取引先の人間を載せたタクシーを見送っていた浩司は、最後のタクシーが発進すると共に隣から聞こえてきた怨嗟の声にぶるりと背筋を震わせた。ゲイであることを公言しており、女嫌いを自称している加賀が、むしろここまでよく我慢したものだなと思いながら恐る恐る振り返る。加賀は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、それ以上は何も言わずにため息をついて携帯を取り出した。
「うわ、もう12時回ってるんじゃねえか…この辺りにホテルあったか?」
 いつもより乱暴な口調に浩司は思わず首を竦める。不機嫌なのは間違いなかったが、それ以上になんだか携帯を確認する手つきがあやしい。顔色は全く変わっていないが、これは。
「加賀さん、結構やばいんじゃないか」
「何が」
 ちらりとこちらを見た目がもう完全に据わっている。顔色が変わらないからわからなかった。浩司は眉をひそめる。
「あんた結構酔ってるだろう。気分は」
 加賀はしばらく黙ってこちらを睨むように見ていたが、やがて顔を背け、スーツが汚れるのも構わず近くの壁にずるりともたれかかった。さっきよりも幾分顔色が白いような気がする。加賀は目を閉じ、なにかを堪えるように眉間に手をやった。
「吐きはしないが、確かに結構きてる…大澤お前、強いな。亮介より飲めるんじゃないのか」
「俺は酔わないのだけが特技なんだ。このぶんじゃタクシーはやめたほうがいい。さっき駅前にホテルがあったから、そこに入ろう」
 動けるか、と声をかけると、加賀は口元を押さえながら頷いた。浩司は無理やり肩を貸しながら、先ほど見かけたホテルへと急いだのだった。





「満室ですか?」
「はい、今日は近くでコンサートがありまして…シングルは満室なんです。ツインか、セミダブルでしたら空きがあるんですけど」
 フロントマンの言葉に、浩司は舌打ちしたくなるような気持ちで後ろを振り返った。かなり小さめのホテルだということも災いしたのだろう。ロビーの椅子に沈み込んでいる加賀は、さっきよりは幾分マシそうだが、まだタクシーに乗せるのは躊躇われた。
「聞こえてただろ。ツインでいいか?」
「俺は別にいいよ。なんならセミダブルでも」
 軽口を叩く余裕があるなら、まあ大丈夫だろう。浩司は肩を竦めて返答し、ホテルの鍵を受け取った。
 足元がおぼつかない加賀に肩を貸しながらエレベーターを上がり、鍵を開けて電気をつけたところで浩司は思わず固まった。立ち止まってしまった浩司を見て、ひょいと後ろから顔を覗かせた加賀は、室内の様子を見て苦笑する。
「これはツインというか、まるきりダブルだな」
 そう言いながら固まっている浩司を追い抜き、加賀は窓際の方のベッドを自分の陣地にして荷物を投げる。確かにベッドは二つある。でもそもそもの部屋が狭いせいで、そのベッドは二つぴったりくっつけられており、実質ダブルベッドのような様相をなしていた。入り口から全く動けないでいる浩司に、加賀は脚を軽くもつれさせながら、意地悪く声をかける。
「どうした? 今さら気にするような仲じゃないだろ」
「気にしてるわけじゃ…」
 売り言葉に買い言葉で思わずそう答えてしまって、浩司は気まずく思いながら隣のベッドの上に荷物を置いた。隣のベッドには上着を脱いだ加賀が縁に腰掛けて、ぼうっと窓の外を眺めている。
「気分はどうだ? 風呂には入れるか?」
 気遣わしげな声で浩司がそう聞くと、加賀は何度か頭を振って、ああ、と返事をする。先程までより大分言動もしっかりしてきており、浩司は少し安心して頷いた。
「だいぶ抜けてきた。分解は早いんだけどな…先、入ってもいいか」
「ああ。水飲んでから行けよ」
「わかってる」
 加賀は掌をひらひらと振りながらシャワールームに入っていく。バタン、とやや乱暴にバスルームの扉が閉められるのを見守って、シャワーの音が鳴り出したのを確認してから、浩司は、はあと知らぬ間に詰めていた息を大きく吐いた。二つ並べられたベッドの隙間をゆっくり指で辿る。
「気にしないわけないだろうが…」
 なんせこの年まで満足に恋愛とやらをしてこなかったのだ。加賀にとっては幾度となく過ごしてきたうちの一夜にすぎないのかもしれないが、浩司にしてみれば、このあいだ手取り足取り腰取り初めてのセックスを教えられた男相手に、意識するなという方が無茶な話である。気にしないようにしようと思えば思うほど自分の言動がおかしくなっているのがわかる。自分がチョロすぎてちょっと心配になるレベルだ。
「なんでこんなことになっているんだか…」
 自分の動揺具合が思いの外強く、浩司は困惑してため息をつく。こんな風になるに決まっているから、もう二度と会いたくなかったのに。
 加賀さんは上司加賀さんは上司…と呪文のように呟きながら、浩司は加賀がシャワーを浴びているあいだ、ホテルの室内をうろうろと落ち着かない気持ちで動き回っていたのだった。
 シャワーから出た加賀はすっかり酒が抜けたようで、さっぱりとした顔をしていた。先に寝ていてくれと声をかけて自分もそそくさと風呂に入りに行った浩司は、バスルームから出てきて室内が薄暗くなっているのを見て少しほっとするような気持ちがした。加賀を起こさないようにと、できるだけベッドの端に背を向けて寝転がったところで、ぐいと力強い腕に腰を引き寄せられて、浩司は思わず悲鳴をあげそうになった。
「なんでそんな端で寝ようとしてるわけ?」
「か、加賀さん」
 身をよじって振り返ると、気怠げな雰囲気を漂わせた酷く端正な顔が間近にあって、浩司は身をこわばらせる。嫌でもあの日のことを思い出して顔が赤くなっていくのがわかる。部屋が暗くてよかった。
「ベッドから落ちるぞ。こっちで寝ろ」
 加賀は今にも眠りそうな声で、浩司の身体を抱き込みながらそんなことを言う。恋人は作らない主義だと語ったくせになんでこんな行動をとるのか。それとも浩司の経験が足りないだけで、世の中これが普通なのだろうか。赤面したままそんなことを考えていたが、薄い夜着越しになんとなく、身に覚えのあるブツが当たっているのを感じて、浩司はいよいよマグロのようにカチコチに固まった。ポケットにスマホでも入れてるんだろうかとか現実逃避気味に考えたが、どう考えてもアレでしかない。浩司はしばらく逡巡したのち、か細い声で抗議した。
「加賀さん、あの…当たってるんだが」
「ああ…疲れなんちゃらってヤツだろ。気にするな」
 気にしないわけがない。でも加賀はそう言うと浩司を腕に抱いたまま、あっけなく眠りに落ちてしまった。背後から規則正しい寝息が聞こえてくるのを感じながら、浩司はその日一晩中悶々とさせられたのだった。
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