拗らせた恋の行方は

山田太郎

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拗らせた恋情

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 長年好きだった男が、今日、結婚する。



 岡島亮介は大澤浩司にとって、長らく拗らせた恋の象徴だった。出会いは大学一年の春、映像研サークルの新歓で飲みつぶれた先輩たちの処理を二人で行ったことから始まる。映像研サークルとは名ばかりの大学でも有数の飲みサーだったのだが、浩司はそんなこととはつゆ知らず、学部の友人に誘われるままについて来たのだった。
「先輩! 起きて! 頼むからタクシー乗ってください」
 座敷の奥で寝こけている先輩を揺り起こす。当時浩司はまだもちろん未成年ではあったのだが、出身が高知だということもあり、高校生の頃から酒自体はよく飲まされていた。高校時代運動部だったもので体育会系の精神が刻まれており、先輩の酒を断るに断れず、注がれるままに注ぎ返しているうちに、自分の周りの先輩はみんな潰れていってしまった。新歓に呼ばれていた一年もみんな酔い潰れてしまって、もう一人、残っていた男と二人で全員をタクシーに押し込んだ。それが、亮介だった。
 先輩たちを乗せたタクシーを見送りながら、浩司は隣でポケットに手を突っ込み、あくびを噛み殺している男をちらりと横目で盗み見た。二人とも背は高い方だったが、細身に見えた亮介が思いの外ひょいひょいと泥酔した男たちを抱えてタクシーまで連れて行ってくれたので、思ったよりも早く会場から引き上げることができた。
 何かスポーツでもやっていたのだろうかと思っていると、亮介が肩を竦めながら、何、とぶっきらぼうに尋ねてきた。自分がずいぶんと不躾な視線を彼に向けていたことに気がつき、浩司は耳を赤くして謝った。
「ああいや、思ったより力があって助かった。何かスポーツでもやってたのか?」
「高校の時はサッカーやってたけど、まあ、こういうのはジイさんに仕込まれたな。昔ロシアで軍人やってたんだと」
 亮介は怠そうにそう言うと、一言断ってライターを取り出した。タバコに火をつける姿は未成年のくせに妙に堂に入っていて、これが初めてではないんだろうなと思われた。亮介はフゥッと煙を吐くと、ちらりと浩司の方を見て、止めねェの?と微笑する。
「未成年だろってさ。アンタ、お堅そうだよな。ああでも、さっきもちゃんと酒飲んでたか。意外と不良?」
「別にそんな、人のやることに口を出したりはしない。酒は断るのが失礼かと思ったんだ」
 揶揄われているのだ、と気がつき、眉を寄せて答える。自分の容姿が警察官のようだと言われることは慣れていたが、初対面の男に揶揄されるように言われるのは気分が悪かった。亮介は驚いたように目を見開き、次いで腹を抱えて笑い出した。
「ははっ、やっぱ堅ェー! でも面白いな、お前っ」
 悪い悪いと謝る亮介に、浩司は呆気にとられて固まっていた。少年のような笑い顔がとても意外で、また、とても魅力的だと思った。
 浩司は当時ーー今もそうだが、クローゼットゲイだった。自覚したのは中学生の頃で、当時はまだゲイ=オカマの偏見が根強く、特に男らしさを良しとされる地方で育った浩司にとって、ゲイであると周囲にバレるということは、コミュニティから完全にはじき出されるということだった。
 肉体的にはおそらくバイであったので、中高は女の子と付き合って誤魔化していたが、その子たちのことを恋愛感情で好きになることはなかった。男らしさを求めて武道にも励んだが、ただ胴着を着た先輩がより魅力的に見えただけで、さしたる意味はなかった。そんな日々に疲れ、無理を言って大学は東京に行かせてもらった。自分みたいな人間が意外とたくさんいる、というのはなんとなく知っていて、東京に行けば仲間が見つかるかもしれないと思った。ノンケに恋しても辛いだけ。ーー亮介に恋をしたのは、そんなゲイの不文律もまだ知らない頃だった。




 亮介は平たく言って、かなりのクズだった。未成年の頃から飲酒、喫煙、ギャンブルは当たり前。女癖も悪く、二股や三股の常習犯だった。浩司の淡い初恋はその時点で早くも崩れ去っていたが、それだけでは飽き足らず、亮介は浩司を伴って夜の街によく女あさりに繰り出した。鼻が高いという以外、異国の血が入っているようにはあまり見えない亮介だったが、地毛だというパーマのような癖毛と、切れ長の目と薄い唇が酷薄そうな雰囲気とよくマッチしていて、声をかけてくる女は絶えなかった。トラブルの一つや二つあってもおかしくなかったが、女癖の悪いクズに共通する憎めない魅力を亮介もまた持っていて、大きな問題に発展することはなかった。
 浩司は始め、亮介が他の女と遊んでいるところなんて見たいわけもないと頑なに断っていたが、人が嫌がれば嫌がるほど喜ぶ亮介のこと、無理やり浩司を連れて3Pにもつれ込むことが複数回にのぼると、浩司も諦めて亮介の女遊びに付き合うようになった。何より3人でセックスすると、亮介が興奮している時の顔やイくときの顔を間近で見ることができて、浩司自身もかなり興奮したし、満足することができたのだった。
「あー、やべェ、出るっ…」
 いつものように女にしゃぶらせながら、亮介が女の中でイくのを見ていた浩司は、亮介がちょいちょいと手招きするのに合わせて、ポジションを交代しようと腰を上げた。いつもだったらそのまま汚れたものを女に掃除させるべく移動する亮介が、自分の背後に陣取っているのを見て、浩司はわずかに眉根を寄せた。
「そこにいられるとやりづらいんだが…」
「いいからいいから」
 全然よくないとは思ったが、浩司自身かなり限界が近く、結局亮介を無視して女に挿入した。しかし、動き始めてすぐ、亮介が浩司の後肛に指を伸ばしたのを感じて、浩司はぎょっとして亮介を振り返った。亮介はにやにやと笑っていて、指にゴムを装着し、浩司のそこにローションを塗り広げていた。
 浩司は確かにゲイで、男同士の性交はそこを使うのだという知識はあったが、自慰でも本番でもそこを使ったことはなかった。性器ではない、排泄口である。あえて直接的な言い方をすれば肛門で、汚いものが出るところだという刷り込みがあった。肉体的にバイで、女で性欲処理ができる身体だったのも災いしていたのだろう。浩司は思わず、亮介の手を払い除けた。
「どこを触っているんだ、お前は!」
「いや、男2、女1の3Pの醍醐味は連結かなって。気持ちいいらしいぜ?」
「AVの見過ぎだ、それは! おい、馬鹿っ、やめろって!」
 止めようとする浩司の手を亮介は顔に見合わぬ力強さで封じ込め、静止に構わずその指を穴の中に突っ込む。痛みはなかったが、異物感が強く、浩司は思わず眉間に皺を寄せた。亮介の指が何かを探るように動き出し、浩司は堪らず呻き声を漏らした。
「ど? 気持ちいい?」
「いいわけあるか…。気持ち悪い…うんこ出そう」
「まじか、出すなよ。ほら、ミコトちゃんが退屈そうだろ。動けよ」
 甘えた声で気を引こうとする女と、亮介の声に浩司は渋々動き出したが、後ろの違和感に集中できずにすぐ、動きを止めてしまう。そんな浩司の様子を見た亮介は、手がかかるやつだなァと言いながら、浩司の乳首にも指を這わせた。
「だから、変なとこ触るなって…っ」
 振り返って抗議した浩司は、自分の唇に当たる柔らかい感触に目を見開いた。亮介はぺろりと浩司の唇を舐めると、その下唇を甘噛みし、口内に舌を差し込んできた。浩司にとって、初めての男性とのキスだった。
 それまで、亮介のことをいいなあと思うことはあったが、彼の女癖の悪さとか日頃の行いの激しさを見ていて、好きになってはいけないヤツだと自然と恋心をセーブしていた。そのブレーキが、このキスでぶっ飛んで空の彼方に弾け飛んでいったのを、浩司はその瞬間自覚した。浩司は結局その日、亮介にキスされながら呆気なく達してしまい、自分の性指向を再認識させられたのだった。
「ほら、息吐けってェ」
「い、痛い痛い馬鹿、無理やり入れようとすんなっ」
 その後も亮介は浩司と3人でするときは、かなりの頻度で浩司の尻を弄ってイカせるようになった。流石に最後までしたのは数えるほどしかなかったが、浩司の体は亮介にすっかり開発されてしまって、大学を卒業して亮介とこんな悪辣な遊びをすることがなくなっても、後ろを慰めなければ満足にイけないようになっていた。
 なんかこう、亮介への気持ちは雛鳥の刷り込みのようなもので、きっと最初からちゃんとゲイコミュニティに属していれば、感じることのなかった思いであったのだと思う。亮介がかなりの快楽主義者で、ノンケのくせに浩司とキスしたりセックスしたりするのを嫌がらなかったのも悪かった。大学を卒業した時点で目を覚ませばよかったのだが、女でも友達でも特定の人間を側に置くことのなかった亮介が、浩司だけ・・はずっと側において親交を切らなかったというのがその恋心に拍車をかけた。浩司が女とも付き合えて、性欲面であまり困っていなかったのもその一因であったことは間違いない。結局浩司は今までずっと、二丁目に行くこともなく、ハッテン場に行くこともなく、互いに恋人を作ったり作らなかったりしながら、三十を過ぎても悶々と亮介への思いを拗らせていっていたのだった。






「結婚するわ、俺」
 告げられたのはいつも行く居酒屋のテーブルでのことだった。思わずブッと飲んでいたビールを吹き出した浩司は、げほげほと盛大に咳き込みながら「はあ?」と裏返った声を上げた。
「結婚? お前が?」
「きったねぇなあ、拭け、早く」
 顔を顰めた亮介は学生時代と変わりなく、最近まで女を喰っては捨て、喰っては捨てを繰り返していたはずだった。その酷薄そうな唇が歪み、鼻からフンと息が吐き出された。
「ガキができたんだと」
 その瞬間、浩司の頭は真っ白になった。亮介の言葉が頭の中でエコーがかって繰り返された。固まる浩司の前で、唐揚げにレモンをかけながら、亮介はなんでもないことのように言葉を続けた。
「ゴムに穴でも開けられてたんだろォなあ。まあいつまでも独り身ってわけにもいかねえし、いい機会だから結婚することにした。やるやるってうるせェから式も挙げんだけど、お前来るだろ?」
 浩司は呆然としながら、その言葉になんとかうなずいた。数々の女を泣かせてきた男がようやく、誰か一人のものになった瞬間だった。そして、10年以上も拗らせた浩司の恋が、呆気なく幕を閉じた瞬間でもあった。
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