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第5章

第292話

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 ……だんだんと兄が大胆になっている。

 蛇王とオレ達の力関係は既に逆転していて、苦戦を演じるのも苦痛になってしまっているのだろう。
 さっきから蛇王の腕だったり両肩のヘビだったりを斬り落とし、それらが変じた漆黒のワイバーンや真っ黒いグランドドラゴンといった、アジ・ダハーカの眷族達を瞬殺しているのだ。
 蛇王の血液が変じたサソリやトカゲなんかは、兄の眼中には無いように思える。
 オレ達の仕事は蛇王の魔法の相殺と、こうした兄に相手にされていない可哀想な小物の殲滅だけ。

 アジ・ダハーカに変化は無い。
 三頭の蛇龍の偉容は常にオレ達に精神的な圧迫を与えてはいるが、蛇王や配下のモンスターに強化魔法を掛け続けている以外は、これといった行動を見せないのだ。

 ……やる気が無い?

 実際、その可能性は有る。
 アジ・ダハーカは今までに遭遇したどのモンスターよりも【魔力感知】で感じられる魔力の量が多い。
 シルバードラゴン等と比較しても、全く桁が違うレベルだろう。
 何なら、オレが遭遇した亜神達よりも格上の存在に思える。
 正邪いずれかと問われれば邪に属することには違い無いのだろうが、存在の格としては『神の領域』に到達していると言われても、何の違和感も感じない程だ。

 蛇王には、そこまでの出鱈目さは感じない。
 それは彼我の実力が逆転する前からの話だ。
 いくら斬っても死んでくれないのは確かに厄介だが、それを逆手に取っている現状で初めて見えてきたものも有る。
 恐らくコイツ……そのうち消えて無くなるるだろう。
 なまじ物理的な攻撃が通用するから騙されてしまっていたが、蛇王の存在感は徐々に薄れてきているのだ。
 つまりコイツの正体は、高度に実体化を果たした魔力体。

 天使や悪魔の中にも苦し紛れに『受肉』し、一時的なパワーアップを果たすヤツらがいる。
 受肉した悪魔や天使は強くなるのだ。
 その不安定な存在が、物質化したことで固定され、結果的に出力を上げているのだろう。
 物理攻撃無効の特性を捨て去る代わりに、より強く物質に干渉する力を得ていると言ったら、少しは分かりやすいだろうか?
 実体の有無は良し悪しだ。
 確かに攻撃の脅威度は増すが、その一方で倒しやすくもなるのだし……。
 恐らくは蛇王も受肉した天使や悪魔と似たような特性を有しているのだろう。
 いずれにせよ、蛇王が内包する魔力が減ってきているのは間違いない。

『ニャニャニャ……かなり楽に戦えるようにはなりましたが、一向に終わりが見えないのですニャー』

『ホントだよねー。それに、いくら強くなってもさ……アレとの差が縮まった気がしないんだけど』

「要は寝起きのトカゲみたいなものだからね……周辺の魔素の濃度が不足しているうちは本調子が出ていないだけ。徐々に覚醒に向かっていると思った方が良いわよ? それに……気付いてる? 不可視の障壁が、その領域を拡げていることに」

 そうか……魔素だ。
 この辺りの魔素濃度を上げるために、ドーム状に障壁を張り巡らしているのか。
 外に出ることは徹底的に阻害しながらも、外から入ってくるものには何の干渉もしない障壁。
 不自然だとは思っていたが、そういう理屈だったんだな。

「トリア……それ、いつ気付いた?」

「ゴメン、ついさっき。私としたことがサウザンドスペルの伝説……その要点を失念していたのよ」

 サウザンドスペルの伝説。
 もしかしたら、オレの知るアジ・ダハーカのそれとは、異なる部分が有るのかもしれない。
 少なくともオレの知っているアジ・ダハーカの伝説には、この不自然な行動やドーム状の障壁魔法に繋がりそうな内容は無かった。

「トリア。その要点っていうの詳しく聞かせてくれるか?」

「もちろん。サウザンドスペルは封印されたけれど、実は一度だけ復活しているの。復活させたのは当時の魔王。穏健派として知られていたのだけれど、ある時から急に侵略戦争を繰り返した。魔国内でも無謀な行動と非難されたそうよ。魔族という種族は極めて数が少ない。個々の能力は高くても、とても他の種族を全て敵に回して勝てるほどでは無かった。でもね……不思議と連戦連勝、次々に支配領域を拡げていったの」

「……アレが復活したのは、魔王が侵略を開始する前の話か? それとも後?」

「後のようね。つまりはサウザンドスペルの存在が、戦争の勝敗に寄与したわけでは無いわ」

「じゃあ、どうやって?」

「魔王がね、劇的に強くなったの。戦う魔王の傍らには、龍の鱗に包まれた異形の戦士達が付き従っていたというわ。ちょうど、あんな感じよ」

 トリアが指差したのは、今まさに兄が首を刎ねたばかりの漆黒のリザードマン。
 蛇王の血肉から生まれた蛇龍の眷族だった。

「魔王の操る魔法は、それまでの常識を覆した。蛇王の治世で失われてしまった魔法も多かったみたいね。何しろ、元々その魔法を使っていた人々も、それを奪った当人も居なくなってしまったのだから、それも当たり前かもしれない。空から星を降らせて一軍を丸ごと屠ったり、敵軍全ての身動きを瞬時に封じ、鱗の戦士達に生きたまま喰らわせたというわ」

 空から星……隕石のことだろうか?
 だとしたら規格外も良いところだ。
 どうやって使うのか、どの系統に属する魔法なのかすら、今のオレでは想像もつかない。

「それで? 領地を広げた魔王は、どうやってアレを封印から解いたんだ?」

「会戦を申し込んだの。魔国との敵対を表明した全ての国を相手に……あとは何となく分かる?」

「蠱毒か! 大規模な戦争を誘発して、戦場の魔素濃度を高め、眷族達を敢えて殺させることで瘴気を充満させれば……」

「そういうことなんでしょうね。私達が見た現象と同じことが、当時の戦場でも起こったのだと思うわ。実際サウザンドスペルの復活は、その戦場の盤面を盛大に引っくり返した。両軍ともに全滅に近い被害を受けて戦争は終了。それまでの魔国の領土拡大は、あくまでも邪龍復活のための手段に過ぎなかったということになるわね」

「その後は? マチルダやトム、それからカタリナが普通に暮らせていたんだから、アレはまた封印されたんだよな?」

「本当に有ったのか定かですら無いとされていた話だからね。色んな話が伝わっているわ。勇者が選ばれ、長い旅の末に封印したとか、自らの軍の壊滅によって我を取り戻した魔王によって封じられただとか、神々の介入によってサウザンドスペルが自ら眠りについただとか……」

 かなり長生きしている筈のトリアが詳しい話を知らないとなると……相当に昔の話なのだろう。
 何か攻略の糸口が見つかれば良かったのだが……っと!
 トリアの勘は鋭い。
 オレが何を考えたか、見抜かれてしまったのかもしれないな。
 視線の圧が凄いことになっている。

「もう! どうせ私は長生きしてるわよ。まぁ、良いわ。事実だし。この話の要点なんだけど……魔王が戦場で用いた魔法は、たった一つらしいの」

か!?」

「そういうことね。つまりはサウザンドスペルが、今回は自らの活動領域を拡げるために行動しているのは間違いないわ。放っておいたら呑み込まれるわよ? 貴方の護りたいもの全て……」
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