きっと全ては自分次第

高遠まもる

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第1章

第16話

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 海かぁ……凄かったな。

 なんだかんだで、この国の象徴とも言われるペアー湖すら見たことが無いボクからしてみれば、理解の範疇を軽く越えた光景だった。
 あんなものを見せられたら、いつか思い描いていたこの町を守る騎士なんていう夢さえひどく色あせたモノに思える。
 町の外には広大な世界が広がっていて、見たことも無いような物が沢山あって……それらを見ずに一生が終わるなんて、すごくもったいないことなんだと、そう強く思わされてしまった。
 カール先生の狙いは案外、そうした部分にあったのかもしれないな。
 海の魚やサシミは本当に美味しかったけど、このまま外の世界を知らずに過ごしていては、そういう物の存在を知る機会さえ失われてしまいかねないんだから。


 人目を忍んでパン屋さんの裏手に回り、どうにかこうにか壁をよじ登っていく。
 あの日、エルを連れ去ろうとした冒険者の人が通ったであろう道のり。
 今のボクなら、何とか真似出来るんじゃないかと思ってチャレンジしに来たワケだけど、ちょっとギリギリ過ぎたかもしれない。
 それでも何とか屋根の上には到達出来たのだから、良しとしよう。
 ここ数ヶ月のサラ師範の道場での稽古。
 今日が初めてだったけど、モンスターとの戦闘を無事に終えたことにより向上した身体能力。
 あの日以来の努力が、今こうして役に立ってくれたことになる。
 パン屋さんの屋根にさえ上がってしまえば、あとは楽勝だ。
 何回も通った道だしね。

 あの日、エルを見送った川原。
 もう何も痕跡は残っていない。
 今後は魔法の練習場所としてこの川原を使うことになる。
 来る度に決意を新たに出来るだろう。
 我ながら良いアイディアだったんじゃないかな?

「さてと……壁に向かって撃つか。まさか壊れたりしないだろうし」

 今日ボクがカール先生から教わったのは、あくまで初級の魔法だ。
 ただし、いわゆる攻撃魔法だからウチの裏庭や自室で練習したりは出来ない。
 川に向かって撃っても良いのかもしれないけれど、何となく的が有った方が楽しく練習が出来そうな気がする。
 魔法に呪文の詠唱は必要無いことが今では判明しているけど、ボクは魔法の練習をする際には必ず詠唱の真似事をすることにしていた。
 何て言うか……その方が圧倒的に習得が早い気がする。
 カール先生は『どっちでも大丈夫だよ~』なんて言っていたけれど、ボクの練習方法を聞いて何だか妙に嬉しそうな顔をしていた。
 カール先生がサンダース先生から魔法を習っていた当時はまだ詠唱論争という、呪文詠唱の要不要について激しく議論が行われていた時代だったハズだし、案外カール先生が子供だった時も魔法の練習には詠唱を用いていたのかもしれない。

「えーと……大いなるマナ、四元の素。其は万物に宿り、万物の核なり。此度マナの信奉者にして、オドの使役者たるジャンの名の下に、万の水滴の具現を請う。我、求めしは水弾……水滴よ集い集いて、我が敵を射つ力となれ。アクアブリット!」

 水弾の魔法……成功だ!

 一応、呪文はこうして伝わっている。
 どういう魔法で、どういう理屈で、どういう過程を経て、魔法が発動するのかを教えるためらしい。
 無詠唱で魔法を使う時にも、このイメージを脳内でいかに鮮明に思い描けるかどうかで成功率が決まる。
 だったら慣れるまでは素直に詠唱しながら魔法を使った方が良いと思うんだけど……サムソンやナタリーなんかは意地でも詠唱しない派だ。
 最近はマリアやトーマスもボクの真似をして詠唱しながら魔法を覚えているけど、ほんの僅かな差ながら以前より魔法を覚える早さが、ボクから見ても早くなってきている。
 恥ずかしいのかもしれないけど、慣れたらこんなのどうってこと無いのになぁ。

 ◆

「ジャン? 何でここにいるの?」

 夢中になって魔法の練習をしていたボクを現実に引き戻したのは、そんなナタリーの声だった。

「ナタリー? ナタリーこそ、どうやってここに?」
「あ、そっか。ジャンは知らないんだよね。最近、たまに皆でここに来てるんだよ? ほら……」
「お兄ちゃん!?」
「マリア?」

 マリアが一緒……っていうか、そうか。
 マリアがここを教えたんだな。

「マリア、どうしたの? え、ジャン?」
「なぁに、ジャン君がどうかしたの?」

 ブリジットにキャサリンまで一緒だったのか。
 ……これは少し困ったな。
 秘密の練習場所には向かないか。

「お兄ちゃん、何やってるの?」
「ボクはほら、例の師匠から習った魔法を練習しようと思ってさ」
「あぁ、何ていう先生だっけ? たしか……ランドバーさんだったかな?」
「カール・ランバート師だよ。本人はカール先生って呼んでくれって言ってたけど」
「そうなんだ。そっちの方が覚えやすくて良いじゃない」
「マリア達は何しにここへ?」
「えっと……色々」
「そうそう、色々だよ。女の子同士の聞かれたくない話とか……ね?」
「何でそこで私の方を見るんだ? ナタリー」
「おやおや、ブリジットさん……お顔が赤いですわよ」
「やめろってば! キャサリンだって、誰かさんの前ではいつもより口数が少ないだろ?」

 あぁ、つまりはそういう話か。
 何もわざわざこんなところまで来なくても良いだろうに。

「お兄ちゃん、実はね……私達、ここで剣の練習もしてたりするの。ブリジットが教えてくれてるんだよ」
「そうそう、ブリジットはかなり前からアイン流を習ってるでしょ? だから、ね」
「へぇ、そっか。ブリジットは道場ではサムソンより先輩だったね」
「私はダイエットの一環としてですけれどね」
「キャサリン、全然太ってないのにね」
「ナタリーは何で?」
「一応は鍛冶師志望なワケだし、剣術を全く知らないよりは……ってとこ」

 マリアは道場通いしたいのに、それを父さんも母さんも認めていないからまだ動機が分かるが、中堅商家の娘のキャサリンにしても、鍛冶師見習いをしながら工房の経営を引き継ぐためにサンダース先生の私塾に通うナタリーにしても、剣術を習う必然性は無いように思えた。
 ブリジットは……少々特殊だ。
 わりと古くから続く騎士の家系の長女ながら、父親と兄を立て続けに亡くしたことで、家の存続のピンチなのだそうだ。
 普通なら婿を迎えて当人は夫を支えるべきなんだろうけど、なまじっか剣の才能が有ったばかりにブリジット自身が叙任を目指している。
 いわゆるガールズトークをしながら、剣のお稽古を皆としている場合では無いようにも思えるんだけど……。

「そっか、じゃあボクは邪魔かな?」
「そんなこと無い! あ、ゴメン。ジャンなら居てくれて構わない」
「そうそう、ジャンなら大丈夫」
「そうね。ジャン君なら落ち着きが有りますし、私達も今日は真面目にお稽古することにしますから、何も問題ありませんわ」
「サムソンやカルロスだと、ちょっとアレだけどね。お兄ちゃんも練習を続けててよ。私達はあっちの隅に行くから」

 ここで帰るのも変か……。
 見られて困る類いの魔法でもないし、少し離れてもらえば危険なことも無いだろう。
 お言葉に甘えて続けさせてもらうとしよう。

 ◆

 マリア達が、ブリジットの手本を参考に見よう見真似で剣に見立てた棒を振るう姿を横目に、ボクはボクで魔法の練習を続けた。
 魔力の操作はサンダース先生の教えに従って磨き続けていたし、この川原は町の中よりもずっと魔素量も多いみたいだ。
 モンスターを何回か撃破したのも良かったのかもしれない。
 以前のボクなら、とっくに魔力切れになっていたぐらいの時間、大した休憩も挟まずに練習に打ち込むことが出来た。
 気づけばいつの間にかマリア達も剣の練習を終えて談笑しているし、辺りも少しずつ薄暗くなり始めている。
 今日はこのあたりで帰ることにしよう。
 水弾の魔法もすっかり無詠唱で使えるようになったことだし。

「マリア、ボクはそろそろ帰るけど……」
「お兄ちゃん、お疲れ様~。私達はもう少しだけ話が有るから先に帰ってて」
「それは良いけど、マリア……今夜はお客さん来るんだからな?」
「あ、そっか。大丈夫。暗くなる前に帰るつもりだし、まだ夕飯に遅れたことは無いんだよ?」
「忘れてないなら良いけどさ……皆も帰りは気をつけてね」
「だいじょぶ、だいじょぶ。もう慣れたから」
「私が皆を送っていくから、あまり心配はいらないさ。ジャンも気をつけてな……」
「ジャン君、明日は私塾に?」
「うん、その予定だよ」
「じゃあ、また明日ね」
「あぁ、また明日」

 女の子達に見送られながら、その場を後にする。
 横目で見たブリジットの剣を振るう姿は、かなり様になっていた。
 何て言うべきか……負けてられないよなぁ。
 少しでも明るいうちにウチに帰って、裏庭で剣を振るいたくなってしまった。

 あれもこれもと欲張りなのは分かっているけれど、こうして欲張れるようになった自分は思っていたよりも嫌いじゃない。
 今はひたすらに頑張ろう。
 いつかまた海を見に行くために。
 今度は自分自身の足で……。
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