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Mission:白の慟哭
第148話:重圧 ~素人に真似は許されない~
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東京地検特捜部とは、警察のように独自の捜査権を持つ行政機関である。
大規模な事件を多く取り扱い、有名人相手の麻薬事件も例外ではない。警察と地検特捜部は、仲間となることもあるが基本はライバルでもある。今回はライバル、ということになるだろう。
「自分が解決できない事件を、東京地検と情報課のどっちに渡すか。そう考えたら答えは明白でしょう?」
すでに裏では東京地検が動いているだろう。今回の事件は麻薬の一大ルートを摘発するチャンスであり、大きな獲物だ。うかうか放っておきたくはない。
そしてタイミングよく千羽が申し出たことを良いことに、警視庁は麻薬事件を情報課に投げた。
「へぇ~、俺は東京地検特捜部に勝てるって思われとるんですね。ありがたいやないですか」
春日はへらへら笑っている。重圧、という言葉は春日の辞書には存在しない。
「……自信がないよりはよほどいいですね」
苦笑する三嶋の姿など、蛙の面に水である。
「で、事件の詳細なんですけど……」
「あ、それまた読んどきますね。俺は後一カ月くらいは捜査できひんので」
春日は三嶋が広げようとした捜査資料を横からかっさらい、片手でヒラヒラさせながら情報課のソファに寝転ぶ。春日は情報課のソファが好きだった。おかげで、ソファには春日の使っている香水の香りがうっすらではあるが染みている。
「一カ月? その間に何かあるんですか?」
「いや、俺の彼女を振るのに、それくらい時間かかるかなぁって」
三嶋の眉がきゅっと持ちあがったのを察し、雑談していた伊勢兄弟が急に大人しくなる。
「……ふざけてるんですか?」
三嶋の目元がぴくりと動いたのを見た伊勢兄弟は微動だにしなくなった。単純な兄弟である。
「何言うてはるんですか、潜入中には女の子と遊ばれへんでしょ。やから、仕事中は女の子とはお別れせな……」
「でも、いくら何でも一カ月は長すぎじゃ……」
「三嶋、ほっといてやれよ。前の仕事の時も変な女いたじゃん、振られてずっと春日追いかけてきたメンヘラ保育士。あんなのにもう一度捕まってみろ、仕事がパーになるぞ」
「いましたねぇ……」
三嶋は思い当たる節があったらしく、眉根に皺を寄せた。
「どんな人なんですか? そのメンヘラ保育士って」
多賀は興味津々で尋ねた。やはり、美人だったりするのだろうか。
「後はつけてきよるわ、電話してきよるわ。手首切るなら放っとけばええけど、後つけるのは仕事に影響出るから困るんよなぁ。あとODな。あれ死ぬかもしれんから怖いねん」
手首を切るのを放っておくのか。今まで健全な女性としか付き合ったことのない多賀は心の中で一歩引く。
「ま、春日はほんとにメンヘラ製造機だからなぁ」
「よくそう言われるんですけど、俺はわりと誠実に付き合ってるつもりですよ?」
「だからだよ。一人一人にそれなりに誠実ってことは、それだけ好かれるってことだろ。でも春日は自分を一番好きだというわけじゃない。それなり、ってことは相手にも自分が一番じゃないことが端々で伝わるわけだ。そりゃあ病んで当然さ」
「なるほどねぇ。でも俺は今のスタイルを変えようとは思わんのでねぇ」
柔らかい言い方ではあるが、あくまで彼自身は頑とした姿勢を貫いている。
「春日さん、結局、その人とはどうやって別れたんですか?」
春日の闇が見えたような気がして、多賀は慌てて話題を変えた。
「なだめすかしたり、逆に怒ってみたり、また付き合うからって言うてもアカンかったなぁ。最終的に、ウザい男を演じたったらゆっくり冷めてくれたけど、二カ月かかった気がする」
二カ月となると相当時間を食っているのではないだろうか。
「同時並行で数人振らなあかんから、捜査どころちゃうねんな」
「…………」
多賀は突っ込むのをやめた。
「あとは、精神科の女医なんてのもいたなぁ。なんて言って追い返したんだっけ、『自分のメンタルくらい自分で面倒見ろ』だった?」
裕の言葉に多賀は口をあんぐりと開ける。
「本当に言ったんですか?」
「言うたで」
春日はあっけらかんとしたものだ。
「マッドサイエンティストみたいな気質もある人やし、はっきり言わんと逆に失礼やろ」
激昂されたりしないのだろうか。
「そゆことです、三嶋さん。女の子は振らんと始まりません。すみませんねぇ」
春日のウインクに呼応するように、三嶋の目がスッと細くなった。
「……私は事件を解決さえしてくれたら、なにも文句は言いません」
「俺はやるだけやりますから」
三嶋の圧を春日は軽くかわし、三嶋が読み上げようとしたファイルを棚に戻す。
「じゃあ俺は、長引きそうな子から別れ話付けてきますんで」
春日は鞄に私物を乱雑に詰め込み、そそくさと課を後にする。三嶋のため息が聞こえてきた気がするが、誰も聞かなかったことにしている。
「自分のメンタルの面倒を自分で見ろ、ですか……。春日さんもすごいこと言いますねぇ……」
多賀は目を白黒させながら呟く。
「素人が真似しちゃダメだぞ。あいつだから許されることだ」
誰も真似などしない。多賀は頷いた。
大規模な事件を多く取り扱い、有名人相手の麻薬事件も例外ではない。警察と地検特捜部は、仲間となることもあるが基本はライバルでもある。今回はライバル、ということになるだろう。
「自分が解決できない事件を、東京地検と情報課のどっちに渡すか。そう考えたら答えは明白でしょう?」
すでに裏では東京地検が動いているだろう。今回の事件は麻薬の一大ルートを摘発するチャンスであり、大きな獲物だ。うかうか放っておきたくはない。
そしてタイミングよく千羽が申し出たことを良いことに、警視庁は麻薬事件を情報課に投げた。
「へぇ~、俺は東京地検特捜部に勝てるって思われとるんですね。ありがたいやないですか」
春日はへらへら笑っている。重圧、という言葉は春日の辞書には存在しない。
「……自信がないよりはよほどいいですね」
苦笑する三嶋の姿など、蛙の面に水である。
「で、事件の詳細なんですけど……」
「あ、それまた読んどきますね。俺は後一カ月くらいは捜査できひんので」
春日は三嶋が広げようとした捜査資料を横からかっさらい、片手でヒラヒラさせながら情報課のソファに寝転ぶ。春日は情報課のソファが好きだった。おかげで、ソファには春日の使っている香水の香りがうっすらではあるが染みている。
「一カ月? その間に何かあるんですか?」
「いや、俺の彼女を振るのに、それくらい時間かかるかなぁって」
三嶋の眉がきゅっと持ちあがったのを察し、雑談していた伊勢兄弟が急に大人しくなる。
「……ふざけてるんですか?」
三嶋の目元がぴくりと動いたのを見た伊勢兄弟は微動だにしなくなった。単純な兄弟である。
「何言うてはるんですか、潜入中には女の子と遊ばれへんでしょ。やから、仕事中は女の子とはお別れせな……」
「でも、いくら何でも一カ月は長すぎじゃ……」
「三嶋、ほっといてやれよ。前の仕事の時も変な女いたじゃん、振られてずっと春日追いかけてきたメンヘラ保育士。あんなのにもう一度捕まってみろ、仕事がパーになるぞ」
「いましたねぇ……」
三嶋は思い当たる節があったらしく、眉根に皺を寄せた。
「どんな人なんですか? そのメンヘラ保育士って」
多賀は興味津々で尋ねた。やはり、美人だったりするのだろうか。
「後はつけてきよるわ、電話してきよるわ。手首切るなら放っとけばええけど、後つけるのは仕事に影響出るから困るんよなぁ。あとODな。あれ死ぬかもしれんから怖いねん」
手首を切るのを放っておくのか。今まで健全な女性としか付き合ったことのない多賀は心の中で一歩引く。
「ま、春日はほんとにメンヘラ製造機だからなぁ」
「よくそう言われるんですけど、俺はわりと誠実に付き合ってるつもりですよ?」
「だからだよ。一人一人にそれなりに誠実ってことは、それだけ好かれるってことだろ。でも春日は自分を一番好きだというわけじゃない。それなり、ってことは相手にも自分が一番じゃないことが端々で伝わるわけだ。そりゃあ病んで当然さ」
「なるほどねぇ。でも俺は今のスタイルを変えようとは思わんのでねぇ」
柔らかい言い方ではあるが、あくまで彼自身は頑とした姿勢を貫いている。
「春日さん、結局、その人とはどうやって別れたんですか?」
春日の闇が見えたような気がして、多賀は慌てて話題を変えた。
「なだめすかしたり、逆に怒ってみたり、また付き合うからって言うてもアカンかったなぁ。最終的に、ウザい男を演じたったらゆっくり冷めてくれたけど、二カ月かかった気がする」
二カ月となると相当時間を食っているのではないだろうか。
「同時並行で数人振らなあかんから、捜査どころちゃうねんな」
「…………」
多賀は突っ込むのをやめた。
「あとは、精神科の女医なんてのもいたなぁ。なんて言って追い返したんだっけ、『自分のメンタルくらい自分で面倒見ろ』だった?」
裕の言葉に多賀は口をあんぐりと開ける。
「本当に言ったんですか?」
「言うたで」
春日はあっけらかんとしたものだ。
「マッドサイエンティストみたいな気質もある人やし、はっきり言わんと逆に失礼やろ」
激昂されたりしないのだろうか。
「そゆことです、三嶋さん。女の子は振らんと始まりません。すみませんねぇ」
春日のウインクに呼応するように、三嶋の目がスッと細くなった。
「……私は事件を解決さえしてくれたら、なにも文句は言いません」
「俺はやるだけやりますから」
三嶋の圧を春日は軽くかわし、三嶋が読み上げようとしたファイルを棚に戻す。
「じゃあ俺は、長引きそうな子から別れ話付けてきますんで」
春日は鞄に私物を乱雑に詰め込み、そそくさと課を後にする。三嶋のため息が聞こえてきた気がするが、誰も聞かなかったことにしている。
「自分のメンタルの面倒を自分で見ろ、ですか……。春日さんもすごいこと言いますねぇ……」
多賀は目を白黒させながら呟く。
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誰も真似などしない。多賀は頷いた。
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