僕は警官。武器はコネ。【イラストつき】

本庄照

文字の大きさ
上 下
148 / 185
Mission:消えるカジノ

Spin-Off:諏訪慎太郎、大学二年生

しおりを挟む
 厳密に言うと、諏訪はオリンピック後の交通事故をきっかけに引退したわけではない。

 諏訪が全日本選手権を優勝し、オリンピックの代表選手となったのは大学二年生の時だった。あの時、諏訪は確かに日本で一番速い選手だった。一般人には名前など知られていなくとも、スキー界の星であることは確かだった。

 緊張など知らない諏訪は、ただいつも通り練習し、海外に遠征し、忙しいが充実した日々を送っていた。

 オリンピックの熱風を諏訪は忘れることができなかった。一年で一番寒い時期に外国で開かれる極寒の地には確かに熱い風が吹いていた。
 コースの下見の時点から、荒れる試合になるだろうと予想はついていた。
 高難易度のコースなうえ、下見の途中から天候が崩れてきた。

「慎太郎、一本目、五位だって」
 諏訪はコーチにそう言われた。世界の頂点を争う大会で、こんな成績が出たのは生まれて初めてだった。
「五位?」
 二十位を切れば万々歳だと思っていた。今までに諏訪が出た世界大会で、最も成績が良かった試合で十八位だ。それが五位とは。

「結構な数の選手が転んでるんだ」
「大丈夫なコースだって言ってたじゃないすか……」
 諏訪が滑る直前、コーチは確かにそう言った。見た目より優しいコースのようだ、と。だがそれは方便だったらしい。

 次は二本目だ。この競技は、二本滑った合計タイムで競われる。つまり、諏訪は五位時点から更に上を目指すことになる。

 更に上。それは未知の感覚である。想像もしていなかった順位から更に上を目指すという感覚が諏訪にはつかめない。
「……こういうところが俺の変なところなんだよなぁ」
 他の選手なら、喜んだり緊張したりするのだろう。

 自分は果たして勝ちたいのだろうか?
 そういう気持ちがふつふつと湧いてきた。自分が緊張しない理由がわかったような気がした。
 速くなりたい。そのためには人と比べるしかない。そういうスポーツだ。だからずっと人と比べて自分の速さを確認してきた。だが今は一本目にして自分の速さが自分の予想を超えてしまっている。

 満を持して迎えた二本目、余裕はなく細かいミスが出た。さすがにヤバいかと思ったが、ゴールした瞬間に会場が湧いた。諏訪の後に一人がミスをし、順位はさらに二つ上がった。表彰台である。

 嬉しかった。数々の有名選手を蹴落とし、トップ選手の中に無名の自分がいる、何度願った夢だろうか。まさか叶うとは思わなかった。自分の中にすっぽりと納まるメダルはとても重かった。

 二日ほどして、自分の手にした栄冠にようやく実感が湧いた頃だった。
 乗っていたバスが事故を起こした。このあたりは自分でも記憶があいまいだが、あれよあれよという間に日本に帰ってきて手術を受けて、気が付けばリハビリだった。家族に心配されるのがつらかった。それだけの怪我だと自覚させられるからである。

 いつの間にか自分は悲劇の主人公になっているらしいことも知った。見てほしいのはそこではないのに。
 自分のどこが悲劇の主人公なんだろう。自分にはもったいない栄冠を得たのに。

 悶々とした日々を過ごすうちに大学三年の夏になった。交通事故でシーズン半分を失った諏訪は焦っていた。他の選手では怪我でシーズン丸ごと失ったケースを見たことはあるものの、健康体の諏訪はシーズン半分が消えるなど経験したことがない。それだけ滑れなければ、自分の感覚がきっと狂ってしまう。諏訪はそれが怖かった。

 しばらく考えた結果、夏休みを利用して南半球に滑りに行った。
 高速種目の練習中に、諏訪は転んだ。安定した滑りが持ち味である彼が転ぶというのは一大事だ。それでも今までは特に怪我らしい怪我をすることなく過ごしてきた。しかし今回は違った。

 左足の靭帯が断裂していた。競技人生の致命傷ともいえる怪我である。
 珍しく焦ったせいだろうか。こんな大怪我をするとは。

 治療に半年以上かかるのは知っていたが、頼みに頼み込んでシーズンインと同時に練習を始めた。違和感にはすぐに気が付いた。それは怪我をした膝に対してではなく、自分自身に対してだった。

 恐怖心が湧いている。今まで、スピードに恐怖したことなどなかった。どう対処すればいいのかわからない。今まで経験してきたスランプとはわけが違う。

 いや、自分が怖いのはスピードではない。怪我をすること、そしてスキーそのものだ。スキーが怖い? この自分が?
 そんなわけはない。自分が得意なのは技術系の種目なのだからスピードの問題ではないはずだ。怪我の多い競技だということは分かっていたつもりだ。だが自分への暗示は全く効かない。

 自分で自分に衝撃だった。自分に芽生えた不信感は全くぬぐえなかった。落ちたタイムを見たくなくて大会へのエントリーも減った。
 その恐怖心は、交通事故と膝の怪我の両方によるものだ。自分が悲劇の男だと呼ばれたのは実は正しかったのではないかとちらりと思ったところで、自分が嫌いになった。

 諏訪が競技を辞めると言い出したのはシーズンも半ばに入ったころだった。オリンピックから一年、諏訪の心は荒みきっていた。
 コーチも、スポンサーも、家族も、文明も、皆が諏訪を止めた。だが諏訪の意志は固かった。いや、頑なという方が正しい。いつか後悔することになるだろうと分かっていても、直視することがどうしてもできない。今まで現実を受け入れるのは得意だったのに、これだけはどうしても耐えられなかった。

 大学三年生のシーズン終わりとともに、諏訪はスキーを辞めた。
 奇しくも、それは文明が大学卒業とともにスキーを引退したのと同時だった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...