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Mission:消えるカジノ
第145話:喫茶 ~秘密は互いに隠さない~
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横須賀の片隅に小さな店を構える喫茶店のドアが開いた。黒いスーツに身を包む男が入ってくる。黒縁の眼鏡に、撫でつけられたという表現が正しい右分けの黒髪。地味だがよく見ると高い背丈。南雲だ。章は手を挙げて彼を席に呼ぶ。
「初めまして。伊勢章さんですね」
南雲は名刺を差し出して章の前の椅子に座る。煙草の箱を見せ、章が頷くやいなやマッチを取り出した南雲は、くわえた煙草に火をつけた。
「君、マッチを使うんだね」
章より南雲の方が年上のはずだが、章は敬語の存在などなかったかのように尊大な態度と言葉づかいで接する。だが外国育ちの南雲は全く意に介していない。
「マッチの方がうまいんです」
「味が違うらしいね。大学で教えてもらった」
「あなたは吸わないんですね」
教えてもらった、という言葉を聞き、南雲は勧めようとしたマッチを引っ込める。
「僕の名刺だけど、渡したほうがいいかい?」
南雲は章の質問に首を振る。
「もう持ってます」
南雲はどこからか章の名刺を取り出した。章は渡していない。掏られたのでもなさそうだ。恐らく、情報屋のルートを使って手に入れたのだろう。
「どうして僕を呼び出した?」
南雲が紅茶を注文し終え、落ち着いたところで章は微笑んだ。
「見たかったんです。あの青年に指示を出していた人間を」
「青年、って諏訪のこと?」
南雲は頷いた。ちらりとも微笑まない男である。
「元スポーツ選手と、警察官でもない大企業の重役が何故くっついているかにも興味がありましたし」
情報課のことが完全に知られている。さすがは情報屋だ。章は苦笑した。
「あなたですか? 諏訪さんに指示を出していたのは」
「いや、答えにたどり着いたのは諏訪自身だよ」
南雲は驚きの表情を隠せないようだった。
「あいつは頭を使えるアスリートだ。独特の頭の良さがあるんだよ。客を舐めてたのがお前の敗因だな」
「お前、諏訪のこと舐めてただろ? 頭の悪いアスリートだ、って」
「…………」
「どうなんだ?」
「見くびっていました。所詮、スポーツが得意なだけのアスリートだと」
「まああいつが天然のアホであることは認めるよ。それでも情報屋か?」
「本業ではありませんから」
南雲は無表情で一本目の煙草の火を消し、二本目を咥える。章の皮肉など、南雲にとって蛙の面に水だ。
「あなたたちが初めてです。僕の本業まで辿りついた人間は」
注文した紅茶が届く。南雲は店員に軽く一礼して、レモンを紅茶に入れた。
「君が初めてだよ。自力で情報課に辿りついた人間は」
カップに口をつける南雲は、何も言わずに目だけでこちらを見る。
「僕の顔を見られて満足したかい?」
「ええ。あなたが諏訪さんの黒幕だという予想は外れましたけど、あなたが情報課を引っ張っていく存在で、諏訪さんはあなたの優秀な部下だということがよくわかりましたよ」
諏訪の後ろに誰かがいるという予想は、諏訪の行動が彼らしくないという直感によるものだ。予想の方は外れたが、直感の方は実は当たっている。
ざっくばらんでありながら、妙なところで神経質、それは諏訪が章に影響された結果だ。間違いないと南雲は章の顔を見て結論付けた。
「ところで、どうして章さんは僕の誘いに乗ったんです?」
南雲は、章が本当に姿を現すとは思っていなかったらしい。
「暇だったから」
章は微笑んで指を一本立てた。
「あと、君の連絡先を教えてもらおうと思ってね」
南雲は黙って章が机に置いている自身の名刺を指さす。
「違うよ、君のもう一つの仕事だよ」
南雲は黙って名刺に手を伸ばし、胸ポケットからボールペンを取り出して裏に電話番号を書き始めた。右上がりの美しい字が十一個並んだところで南雲はふっと息を吹きかけて乾かし、章に手渡す。
「僕を使ってくださるとは意外ですね」
「まあ諏訪は嫌がるだろうけどね」
「でしょうね」
自分の情報屋、そして逃がし屋という立場が事件をかき回していたのだから。
「でもいつかは和解したいものです」
章も頷いた。南雲を利用するのにずっと諏訪に厳しい顔をされるのも困る。
「名前を名乗って、天気の話から始めてくださいね」
妙なルールがあるものだ。
「情報料っていくらくらいするの?」
「時価です」
「僕の電話番号はいくら?」
南雲は少し首をひねる。
「二万五千円です」
「やっす」
章は少し傷ついた。
「そんなに稼ぎたいわけではありませんからね」
と言いつつも、南雲の身の回りはいい品が揃っている。章とどっこいどっこいというところか。三十代前半にしてはかなり稼いでいる方だろう。
「初回はお安くしますので。ご依頼、お待ちしています」
南雲は小さく笑って伝票を手に取り、立ち上がる。
「商売人だなぁこいつ」
章も笑って自分の隣の座席に置いていた鞄を取った。
*第3章・完*
「初めまして。伊勢章さんですね」
南雲は名刺を差し出して章の前の椅子に座る。煙草の箱を見せ、章が頷くやいなやマッチを取り出した南雲は、くわえた煙草に火をつけた。
「君、マッチを使うんだね」
章より南雲の方が年上のはずだが、章は敬語の存在などなかったかのように尊大な態度と言葉づかいで接する。だが外国育ちの南雲は全く意に介していない。
「マッチの方がうまいんです」
「味が違うらしいね。大学で教えてもらった」
「あなたは吸わないんですね」
教えてもらった、という言葉を聞き、南雲は勧めようとしたマッチを引っ込める。
「僕の名刺だけど、渡したほうがいいかい?」
南雲は章の質問に首を振る。
「もう持ってます」
南雲はどこからか章の名刺を取り出した。章は渡していない。掏られたのでもなさそうだ。恐らく、情報屋のルートを使って手に入れたのだろう。
「どうして僕を呼び出した?」
南雲が紅茶を注文し終え、落ち着いたところで章は微笑んだ。
「見たかったんです。あの青年に指示を出していた人間を」
「青年、って諏訪のこと?」
南雲は頷いた。ちらりとも微笑まない男である。
「元スポーツ選手と、警察官でもない大企業の重役が何故くっついているかにも興味がありましたし」
情報課のことが完全に知られている。さすがは情報屋だ。章は苦笑した。
「あなたですか? 諏訪さんに指示を出していたのは」
「いや、答えにたどり着いたのは諏訪自身だよ」
南雲は驚きの表情を隠せないようだった。
「あいつは頭を使えるアスリートだ。独特の頭の良さがあるんだよ。客を舐めてたのがお前の敗因だな」
「お前、諏訪のこと舐めてただろ? 頭の悪いアスリートだ、って」
「…………」
「どうなんだ?」
「見くびっていました。所詮、スポーツが得意なだけのアスリートだと」
「まああいつが天然のアホであることは認めるよ。それでも情報屋か?」
「本業ではありませんから」
南雲は無表情で一本目の煙草の火を消し、二本目を咥える。章の皮肉など、南雲にとって蛙の面に水だ。
「あなたたちが初めてです。僕の本業まで辿りついた人間は」
注文した紅茶が届く。南雲は店員に軽く一礼して、レモンを紅茶に入れた。
「君が初めてだよ。自力で情報課に辿りついた人間は」
カップに口をつける南雲は、何も言わずに目だけでこちらを見る。
「僕の顔を見られて満足したかい?」
「ええ。あなたが諏訪さんの黒幕だという予想は外れましたけど、あなたが情報課を引っ張っていく存在で、諏訪さんはあなたの優秀な部下だということがよくわかりましたよ」
諏訪の後ろに誰かがいるという予想は、諏訪の行動が彼らしくないという直感によるものだ。予想の方は外れたが、直感の方は実は当たっている。
ざっくばらんでありながら、妙なところで神経質、それは諏訪が章に影響された結果だ。間違いないと南雲は章の顔を見て結論付けた。
「ところで、どうして章さんは僕の誘いに乗ったんです?」
南雲は、章が本当に姿を現すとは思っていなかったらしい。
「暇だったから」
章は微笑んで指を一本立てた。
「あと、君の連絡先を教えてもらおうと思ってね」
南雲は黙って章が机に置いている自身の名刺を指さす。
「違うよ、君のもう一つの仕事だよ」
南雲は黙って名刺に手を伸ばし、胸ポケットからボールペンを取り出して裏に電話番号を書き始めた。右上がりの美しい字が十一個並んだところで南雲はふっと息を吹きかけて乾かし、章に手渡す。
「僕を使ってくださるとは意外ですね」
「まあ諏訪は嫌がるだろうけどね」
「でしょうね」
自分の情報屋、そして逃がし屋という立場が事件をかき回していたのだから。
「でもいつかは和解したいものです」
章も頷いた。南雲を利用するのにずっと諏訪に厳しい顔をされるのも困る。
「名前を名乗って、天気の話から始めてくださいね」
妙なルールがあるものだ。
「情報料っていくらくらいするの?」
「時価です」
「僕の電話番号はいくら?」
南雲は少し首をひねる。
「二万五千円です」
「やっす」
章は少し傷ついた。
「そんなに稼ぎたいわけではありませんからね」
と言いつつも、南雲の身の回りはいい品が揃っている。章とどっこいどっこいというところか。三十代前半にしてはかなり稼いでいる方だろう。
「初回はお安くしますので。ご依頼、お待ちしています」
南雲は小さく笑って伝票を手に取り、立ち上がる。
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