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出会い

再会(1)

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朝。

仕事場である高原リゾート「フォレスト」に向かう車中、私は助手席であくびをかみ殺していた。ハンドルを握る兄の陸翔りくとが、呆れ顔でため息をついた。

兄は同じ「フォレスト」の従業員で、フロント部門の責任者。一般企業に置き換えれば、中間管理職だ。私はレストラン部門の担当社員で、30歳になるというのにまだ役職もない。


「一晩じゅうどこ行ってたんだよ。まじで心配したんだぞ」


陸翔の言葉を無視して黙って窓の外を見ていると


「…一応確認するけど、男じゃないよな?」


わかりきっているけど、といった感じで陸翔が尋ねた。


「昨日はビールのペアリングの研究のためにTAMARIBAに行って、電車がなくなっちゃったから恵ちゃんの別邸に泊まらせてもらったの」


ため息ついでに言うと、陸翔はほっとため息を吐いた。


「恵ちゃんだってもう人妻だぞ。いつまでもモテない女友達の相手はできないだろ?そういうときはさ、兄ちゃんを呼べよ。どこでも迎えに行ってやるから」


「迎えって・・・私もう大人なんだし、そういうのいいから」


過保護な兄の言動に半ば呆れていなしながら、頭のなかではまったく別のことを考える。


───運命の人、と言うのはどんな人なのだろうか。

今まで何度も問うてきたその答えはずっと、分からずじまいだった。けれども昨晩感じた、まるで帰るべき場所に戻ったかのようなあの皮膚の感覚。あれこそが運命だったのでは、と感じてしまう。


フォレストの敷地へと繋がる門を抜け、宿泊客がチェックインなどの手続きをするフロント棟を通り過ぎ、連なる宿泊棟の前を進む。その奥に、巨大なテントに覆われたテラス型のレストランがある。

裏口に乗り付けると兄はギアをパーキングに入れた。


「私のことはいいから、早く兄ちゃんの彼女に会わせてよ」


自分のことをそっちのけでいつも独り身の妹を心配している兄のほうが、かえって心配だ。

仕事はできるし、女性スタッフからの人気も高い。

身長182センチ、テニスで鍛えた体はほっそりと引き締まっている。キリリとした目元に意志が強そうな眉をしているけど、微笑めば甘く蕩けるように優しい。接客業のため肌も歯も、手入れを怠らずピカピカしている。

なのに、恋人も作らず生活は仕事一色。

趣味は閑散期にフォレストのテニスコートを借りて仲間とボールを打ち合うだけ。それ以外は私と家でゲームをして過ごしたり、ホームセンターに買い出しに行ったりするだけだ。

貴重な時間とせっかくのイケメンを、無駄遣いしているようにしか見えない。


「兄として世話の焼けるモテないアラサーの妹をひとりにはできないだろ」


本気で困った顔をして陸翔は言った。正直ちょっと、うっとうしい。思わずため息が漏れてしまう。



私は車から飛び降り、レストラン棟のドアを押し開いて中に入った。ユニフォームの白いワイシャツと黒のタイトスカートを身に着け、オペレーションスペースのファウンテンエリアに立った。

カウンターを挟んだ向こうのキッチンはすでにフル稼働で、ステンレスどうしのぶつかる音、包丁の音がせわしなく聞こえ、奥はもわもわと湯気が煙っている。スクランブルエッグを仕込むバターの甘い香りが漂ってくる。

私の立っているファウンテンエリアは、ソフトドリンク、デザート、アルコールを作るカウンターだ。グラス類をそろえ、ドリンクの量を確認し、冷蔵庫、フリーザーの温度をチェックする。

ビールサーバーにつなげた樽ビールの残量が少ないのを確認し、バックスペースのパントリーに入った。十リットル入りのビール樽の持ち手を掴む。かなりの重さがあるので、傾けて斜めにして、ゴロゴロと床の上を転がしながら運び出す。

その時、パントリーの出口に誰かが近づいてきて、横から手が伸びたと思うと、その手が重い樽を持ち上げた。

見上げた瞬間、息を呑んだ。

茶色い瞳が、私を見下ろしていた。ベルジャンホワイトのふんわりとした髪の下で、大きな瞳が美しい弧を描いて微笑んだ。

私は立ちすくんだ。驚きで足が動かない。胸が高鳴って、心臓だけが飛び出して彼の胸に抱き着いてしまいそうな気がした。


「…昴、カイさんの社員さんなの?」


黒いポロシャツの胸元にミントグリーンの糸で刺繍された「カイロジスティクス」のロゴ。


「そう。今日からこのルートの担当になった」


昴はビールの配送で出入りしている運送会社の社員らしかった。


「奥まで運ぶよ。その細っこい腕がムキムキになったら俺、興奮できないし」


新しい樽を軽々抱え、ファウンテンエリアに出てビールサーバーの下に置くと、言った。


「明日からは空の樽もここにおきっぱでいいよ。俺全部出し入れするから」


「そんな、忙しいのに大丈夫?」


これまでの担当者は、いつも忙しそうに立ち働いていて、出入り口に樽を置くなりさっさと走り去って行くのが常だった。それもあって、後任に奥のパントリーまでの搬入と搬出を任せるのは少し気がひけた。


「野郎のいる店で手を抜けばいい」


昴は悪戯っぽく微笑んだ。力持ちで逞しいくせに、頬に縦に走る小さな笑窪が可愛かった。


「手を抜くなんて…お客さんに怒られない?」

「女の子のスタッフ一人しかいないところで時間食ってるって、ちゃんと話すよ」

「かえって、不公平だとか、モテたいんだろとか言われるよ?」

「咲良にモテたいのは本当なんだから、しょうがない」




最後の樽を運び終えて体を起こした昴は、急に真剣なまなざしで私を見つめた。


「全店回って、上がるころまた戻ってくるから、ここで待ってて」


そして、さりげなく周囲を確認した後耳元に唇を近付けて囁いた。


「こんなふうに偶然再会しちゃったらさ…また欲しくなるの、わかるでしょ?」


一瞬のスキを突かれ、顎をくいっとすくい上げられ、唇を重ねてきた。

しっとりと柔らかな感触に、昨晩の情交の熱がぶり返す。顔が熱い。


「可愛いな咲良、紅くなってる」


クスリと笑うと、昴は軽快な身のこなしでトラックに飛び乗り、去っていった。

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