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出会い

初めての夜

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夜明け前。


タクシーの車窓から薄藍色の空を見上げ、私はさきほどまでの昴とのセックスを思い返していた。

隙間なくぴったりと触れ合った昴の肌の感触を思い出し、今まさに抱かれているような生々しい記憶。

息が苦しくなり、思わず自分の胸元をかき抱いた。

両腿のあわいから蘇ってくる快楽の記憶を押し留めようと、ぎゅっと足を閉じ合わせる。



昴と初めて会ったのは、昨日の晩だった。

場所は、渋谷から十分ほど歩いた場所にある“TAMARIBAたまりば”という、お気に入りのビアバーだ。

古いマンションの一階をリノベーションした隠れ家風の店のドアを押し開ける。入るなり、武骨なロックのサウンドと人々の話し声が私を包んだ。

ドアの両脇にある二人掛けの席ではカップルが額を寄せ合って話している。

数歩進んだところに7人ほど座れるカウンターがあって、奥のテーブル席ではすでに男性グループが、ジョッキや長いグラスを片手に楽しんでいた。

テーブル席の間を通り、カウンター席の、出入り口に一番近いスツールに座る。

目の前に立っておしぼりをくれるマスターの背後には、タップと呼ばれるレバー付きのビールの注ぎ口がずらりと並んでいる。

今日はどんなビールが飲めるだろう。手を拭きながら、酒瓶が並ぶ棚の上の黒板に書かれた「今日のオンタップ」を見上げた。

カウンターの一番奥のスツールに、男性が浅く腰かけている。私より五歳くらい若い、二十代前半くらいの男の子だった。カウンターには背を向けて、壁の棚に飾られたレコードを見ている。

酒を酌み交わす人たちに紛れて一人、並んだレコードたちを物色し、エアロスミスの「スウィート・エモーション」のシングル盤を取りだした。カウンターの端に置かれたターンテーブルに乗せて針を落とすと、頬杖をついて音楽に聞き入りながらレコードジャケットを眺めていた。


私は普段、北関東の高原にあるリゾート施設「フォレスト」で正社員として働いている。

「施設内のレストランで提供するホワイトエールに合わせたフードメニューの提案をするように」とマネージャーから指示された私は、ホワイトエールと料理のマッチングを調査すべく、休日を利用して上京し、ペアリングの腕に定評がある“TAMARIBA”を尋ねたのだった。

ビールとの相性を試すため、マスターのうんちくを聞きながらめいっぱい料理を注文した。

カウンターに四皿ほど並んだところで、店の奥から一人の三十代半ばくらいの男性がやってきて隣に座った。男性と同様オフィスカジュアルに身を固めた連れの一行は、「また始まった」「ほどほどにしろよ」をあきれ顔を男性に向けながら、ぞろぞろと店を出て行く。


「お姉さん、ひとりでそんなに食べるの?すごいね」


男はカウンターに肩肘をついて話しかけてきた。仕草から、自分の容姿に自信があることがうかがえた。

遊び慣れた風だ。カジュアルだけど高級そうなスーツの下にはブランド物と思われる真っ白のTシャツ。きらりと光る腕時計。身に着けているものすべてがファッション雑誌に載っていそう。

野性的な香りの香水を纏ったその男は、大人の色気が滲む、と言えるのかもしれないけど、私にはいやにギラついた気障きざ男にしか見えなかった。


「ええ、ここのお店はなんでも美味しいから、全部食べます」


私は言って、会話を終了させるべく男から目をそらした。


「この華奢なカラダで?いいね、気に入った。俺がおごるよ」


さりげなく距離を縮められ、すっと背中を触られ、ぞっと鳥肌が立つ。手練れた感じが、他の女性には受け入れられても、私には薄気味悪さしか覚えなかった。


「大丈夫です。これ、仕事の一環なので経費で落とせるんです」

「ねえ、一人で寂しそうだから声をかけてあげてるんだよ、もうちょっと愛想のいい言い方できないのかな」


気障男はわざと、無知な少女を諭すようなからかい口調で言って、私の顔を覗き込んだ。視界に入り込んだ気障男の目が、ぱっと見開かれた。


「おっ…。スタイルいいだけじゃなくて、顔も可愛いんじゃない。目はくりくりだし、唇もぽってりして、俺のタイプなんだけど」


指先で顎をすくい上げられ、まっすぐに見つめられた。私も男の顔を見つめたまま、硬直してしまった。気障男は、「堕ちた」とでも思っているのか、したり顔でほほ笑んでいるけど、私は喉元までこみ上げてくる不快感を必死に押さえているだけだった。


「お客さん、彼女困ってるよ」


マスターの忠告も聞かず、男は手のひらを、肩から腰元へと滑り落としていく。


「ちょっ…やめ…」


体をよじってその手から逃れようとした瞬間、誰かが男の手をグイっと引っ張り上げた。






「いやがってるよ、やめなよ」


気が付くと、さっきまでターンテーブルをいじっていた若い男の子が、サラリーマンの腕をつかんでいた。

明るい金色に染め上げた、長めの前髪の下で、茶色い目が鋭く光っている。

ヴィンテージTシャツに色褪せたデニムを履いた彼は、近くにいると思い切り見上げなければならないほど背が高かった。



「俺はこの女の子と話してんだけど。手、離してくれないかな」



「いやだ」


気障男が腕を振りほどこうと試みる。
思いのほか、がっちりとつかまれているらしく、手は繋がれたままだ。

客たちの視線が、私たちの方に注がれているのを肌に感じた。


「二人とも離れて」


事を収めようと声を低くしてマスターが間に入るけど、二人はじりじりと距離を詰めてにらみ合うのをやめない。


「おっさん、おもて出ろ。俺を負かしたら、彼女を好きにさせてやるよ」


金髪の彼は言うと、形のいい顎をくいっと動かして出入り口を指し示した。


私はスツールから降りて、二人の間に割り入って彼を見た。


「ちょっと待って、好きにさせる、って…?」


私が慌てて尋ねると彼は意味ありげな目配せを返してきた。


茶色い瞳に見つめられて、直後、不思議なことに私は、彼がしようとしていることが判ったのだった。



「おっさん、おもて出る前にスーツ脱げ。汚れるぞ」


金髪の彼は言って、自分もTシャツを脱いだ。普段から鍛えているのだろうか、服を着ているときのほっそりとしたシルエットからは想像できないくらい、筋肉の隆起が美しい体をしていて、私の胸がどきりと跳ねた。

私は気障男のジャケットを脱がせ、Tシャツをめくり上げながら男に加勢したふりで言った。

「こんなチンピラの鼻血なんかがこの高級な服に着いたら大変。脱いで。さっさと負かして、戻ってきて」

「大丈夫。さっさと済ませるさ」

私の手で上半身裸にされた男は鼻で笑って見せると店の出口へ向かった。痩せているし、歳の割にお腹も出ていないけど、うっすらとついた皮下脂肪には艶がなかった。

「小僧、相手してやるよ」

気障男は、扉を開いて押さえていた金髪の彼を一瞥して通り過ぎ、ドアをくぐって外へ出て行く。

金髪の彼は、一緒に出て行くような姿勢を見せた。

が、翻って、男が店から出るなり、ドア閉めて鍵をかけた。ドアノブを後ろ手に握って店の方に向き直り、悪戯そうに舌を出す。

私はこらえきれずに吹き出した。

上半身裸で締め出された男が、外から叫んでドアを叩く。TAMARIBAは閑静な住宅街にあり、通りには地元の人が行き交う。世田谷の上品な人々の前で裸体を晒して慌てている男の様子が想像できた。

「おいっ、開けろっ」

打ち鳴らされるドアを背に、金髪の彼は体をよじって、声を殺して笑いこけている。そのやけに無邪気な笑い顔を見ているうちに、私もおかしくなって笑った。

情けない姿を街頭で晒す男を想像して、客のなかには、愉快そうに笑う客もいた。

マスターも笑いをかみ殺した顔で、気障男のスーツのジャケットとシャツを持って、裏口から出て行った。


*

「あのお客さん、裸で夜風に当たって酔いもさめたみたいだ。すまなかったって言って帰ったよ。根が悪い人じゃなかったからよかったものの、ああいう荒っぽい締め出しはどうかな」

マスターが困り顔を作って金髪の彼を見た。

彼はこらえきれないと言った様子で静かに笑って、ゆっくりと私の方を見た。

茶色い瞳が、気の合う共犯者を見つけたとばかりに、いたずらっぽい光をたたえて嬉しそうに私を見つめる。

「…俺があの気障男を裸で締め出すつもりだって、いつ気が付いたの?」

「君が私を見た時」

私は答えた。

「以心伝心だね」

彼が言って、頬杖をついた姿勢でこちらをじっと見つめてくる。

どぎまぎしていると、マスターが、サービスだと言ってワイングラスのような洋ナシ型のグラスに注いだビールをカウンターに置いた。


「このビール、君の髪の色と似てるだろ。ベルジャンホワイト。最初の乾杯におススメだよ」

明るい黄金色の液体に、小さな気泡が光の粒になって弾けている。彼の髪色と見比べると、確かに似ている。グラスの向こうで、彼が照れ臭そうにうつむいたのが可愛かった。

ほんのりスパイシーな香りがする爽やかなビールを一口飲むと、彼が尋ねる。

「名前は?」

空野咲良そらのさくら

「俺は、明夜昴みょうやすばる。仲よくしよう」

昴は言って微笑んだ。

小学校の席替えで隣になったときの挨拶みたいな無垢な言葉とは裏腹に、声にはどことなく淫靡な響きがあった。
不意に、顔が熱くなる。

それから一時間もたたないうちに、私たちは円山町のラブホテルの一室のドアを、じゃれあって抱き合いながら体で押し開け、唇を貪りあいながらベッドに身を投げ出したのだった。


そして夜明け前、枕に頬をぺたりとつけて子どものようにやすや眠る昴を残し、私はラブホテルの部屋を出た。

始発電車もまだない時間だった。カラスがゴミをあさる道を速足で歩き、道玄坂でタクシーに乗り込んだ。私は離れがたい思いを引きずったまま、身を引き剥がすように、彼から逃げ出したのだった。


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