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第三話 人類の敵

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「ママはずっと寝てないの……眠れないって言ってた。パパが、食べられてから……」
 地上に停めた車から運び出して膨らませた、災害対策用エアマットの上に頼子を寝かせて、娘の律子の話に耳を貸す冴彦達。ポツリポツリと断片的に語る律子の話を、ポン子が整理した。
「ふむ。要約しますと、関東地方に住んでおられた律子さん達は、春休みにお父様が休暇を取れたため、関西地方を旅行しつつ、お母様の御実家がある、淡路島に行かれる予定だった。そして、この街に到着した日に、【樹人】発生騒動に巻き込まれたわけですね? ご家族3人で3日間逃げ延び、淡路島へと続く明石大橋の入口にどうにか辿り着いたものの、そこで【樹人】の群れに遭遇して、お父様を失った。お父様は、あの咆哮のぬしに捕食されており、その時以降、お母様は眠れなくなって、あの咆哮を聞く度に、情緒不安定になっていた……と」
 ポン子の説明に冴彦と月夜は頷きを返し、少女2人が難しいとばかりに首を傾げた。
「お子様には少し難しい話よ。しかしまあ、彼女がおかしくなった理由は判明したわね?」
「ああ。重度の心的外傷……トラウマって奴だろうな。自分の夫が化物に貪り食われる姿を見た後、一週間も幼い娘と一緒に今の世界に放置されたら、ああなるのも頷ける。俺達みたいに【樹人】や【樹獣】と戦う力が無ければ、精神に掛かる不安や恐怖は計り知れない。心の傷と心理的圧迫。衝動的に死を選ぶほど……娘の言葉すらも無視するほどに、彼女は自分を見失っていたわけか」
「そのようですね。【樹人】発生騒動後は、文字通り混沌こんとん坩堝るつぼでしたから。世界各国で軍と市民と【樹人】、【樹獣】達が入り乱れた戦闘状態に陥り、ここ日本でも自衛隊の避難誘導が全ての都市に行き届いたわけではありません。多数の市民が移動した都市はそのまま封鎖され、【樹人】や【樹獣】のウヨウヨいる都市に置き去りにされた方も少数とはいえいらっしゃいます。今は増え過ぎた【樹人】や【樹獣】の他都市への拡散を防ぐ段階ですから、救助もそこまであてにできませんし……携帯電話などに送られて来る各種の救援報道も、自力で安全である地方都市への移動を推奨している始末。取り残された人々にとっては極めて辛い状況ですね?」
 ポン子の言葉を聞き、冴彦が憐れみを目に宿して眠る頼子を見ていると、その視線を月夜が遮った。
「今考えるべきは、そこの幼女の父親を捕食した、あの咆哮の主のことでしょ? 【樹人】は普通、人間を捕食しない。致命傷を与えて、樹下症状を発症させるだけよ。間違いなくここにはアレがいるわ。そこの幼女……律子だっけ? あんたのお父さんを殺した【樹人】は、普通の【樹人】だった?」
「おいおい月夜さん、小さい子に今聞く内容じゃねえよ、それ?」
「黙ってて、重要なことだから聞いてるの! 律子、教えてくれる? あんたのパパを食べたのは、あんたやママを追ってたさっきの奴らと同じだった?」
 律子の心に配慮し、今はそっとしてやれと訴える冴彦を一喝し、月夜は不機嫌そうに律子へ問うた。
 月夜の表情に一瞬怯えた律子だったが、眠る母を見ておずおずと答える。
「あ、えと……いいえ、もっとおっきくて、うごく木みたいでした。木の生えた犬や猫もたくさん連れてて……」
「そうでしょうとも。【樹巨人ツリータイタン】よ、冴彦。私達も少し対策を練る必要があるわ」
 月夜の言葉に、冴彦は傍らに置いていた、日本刀を思わず握り締めた。

 樹下症状で人体に生えた植物は、人体そのものを養分にして成長する。
 では、その人体の養分が尽きればどうなるのか。
 普通は枯れるが、周囲に他の【樹人】がいる場合は例外で、養分を求めて他の【樹人】達に蔓や蔦を伸ばし、植物同士・【樹人】同士が、融合を図るのである。
 融合した【樹人】の集合体、それが【樹巨人】であり、【樹巨人】はを捕食する習性を持っていた。また、他の【樹人】とは段違いの運動能力を持つため、戦闘能力も非常に高い。
「四国が目と鼻の先だっていうのに……面倒な奴に出くわしたもんだ」
 冴彦は、ポン子が壁に投影する映像を見て、憂鬱そうに歯噛みした。
 ポン子お手製のラジコン探査機から送られて来る映像には、明石大橋の出入り口に集まる無数の【樹人】や【樹獣】達が映されており、群れの主のように立つ、1体の【樹巨人】の姿も見られた。
「今までに見たことがないほどのサイズですね。……10メートルはありますよ?」
「気にするべきはそこじゃないわ。どうして【樹人】達が橋の出入り口に集まっているのか、という点よ。【星樹】の命令……人間の移動経路を塞ごうとしている? ……まさかね」
 手を顎に当てて考え込んでいた月夜が、真剣さを目に宿し、冴彦に問うた。
「どうするのよ? 荷物を持ったまま、あの【樹人】や【樹獣】の壁を突破するの? 荷物の片方は時限爆弾付きよ? あたしは御免だわ。アレが咆える度に車内で恐慌状態になられたら、こっちが安心出来ない。戦闘は避けられないし、生き残るためにも、不確定要素は排除すべきよ」
「むうっ! リッちゃん達を置いてっちゃ駄目!」
 律子と抱き合い、月夜を睨む炎花。その炎花を睨み返す月夜。重苦しい空気が場に満ちる。
「……少し時間をくれ、動くにはもう時間が遅いし、今夜はここで野営しよう。ポン子、このビルは給湯設備が生きてるって言ってたな? 飯と、出来れば風呂を用意してくれ」
 冴彦はポン子に指示を出し、屋上を降りた。すぐ下の階に降り、物が散らかった一室に入って、開きっ放しの窓から、薄暗い闇の降りた外の景色を見る。
「生きることを諦め、死にたがる母親か。あの娘は……律子は、よく平気だったな。親父さんも目の前で亡くしてるってのに……」
「平気、というか順応したのではありませんか? 生き残るために」
「ポン子、聞いてたのか……」
 冴彦が振り返ると、出入り口からポン子が現れた。
「冴彦さん、申し訳ありません。そろそろ神樹さんへの定期連絡の時間でしたので、衛星電話をお持ちしたのですよ。ここに居合わせたのはただの偶然です」
「ふふふ、ありがとう。もう定期連絡の時間か……ところでポン子、さっき言ってた順応したってのは、どういうことだ?」
 ポン子から衛星電話を受け取り、冴彦が問うと、ポン子が頭部を明滅させて答えた。
「私は機械ですので、あくまでインストールされた心理学の知識を拝借した上での見解ですが、律子さんもお父様を失われた時、恐らくは母の頼子さんと同じ状態だったと思うのです。ですが、日々憔悴していく母親を見る過程で、自分がしっかりせねばと、意識の革新が起こった。外的環境に対しては子どもの方が早く適応、順応します。自分が生きるために、母を守るために、幼くも律子さんはお父様の死を乗り越えたのではないか、そう思ったのです」
「ふむ……説得力がある説だ。ということはあの母娘の場合、幼い娘の方が現実を受け入れて、必死に生きようとしているのに、母親の方は現実を受け入れられず、生きることから逃げてるってことか」
「私にはそう見えますね、まあ機械の言うことです。そういう意見もある程度に捉えてください」
「いや、参考にさせてもらう。ありがとう」
「いえいえ、では定期連絡よろしくお願い致しますね? 私はご飯とお風呂の用意に戻ります」
「ああ。頼む」
 ポン子が去った後、母を気遣う律子が語った話と、頼子の恐慌状態を思い出し、冴彦はため息をついた。
「ポン子の説を聞いた後だと、月夜さんの言うことももっともだと思える。現実逃避した挙句に恐慌状態に陥る爆弾を抱えたまま、奴らと一戦交えるのは俺も遠慮したい。下手をすれば俺達も危険な目に遭う。ただ、助けておいてここで見捨てるのはなぁ……おっと」
 冴彦が1人で悶々と悩んでいた時である。持っていた衛星電話は突然震動した。
「神樹さんか? 定期連絡ご苦労様です。こちら冴彦、応答どうぞ?」
『残念でした、兄ちゃん、今日の定期連絡は美雪だよっ! 神樹さんの代理で、定期連絡を任されたのであります!』
 定期連絡の相手は、炎花の父親ではなく、冴彦の妹であった。
 能天気に明るい妹の声が、冴彦の耳を打ち、笑顔が自然に現れた。
「美雪だったのか、3日ぶりだな? また神樹さんが気を利かせてくれたのか。……そっちはどうだ?」
『こっちは楽しくやってるよ! 自衛隊のお姉さんや神樹さんが様子を見に来てくれるしね。身体も異常無し。兄ちゃんの方はどう? そろそろこっちに着く? また話を聞かせてよ』
「まだお前には細菌適合の兆しが無いか。月夜さんの話じゃ、俺達は遺伝子的に適合し易いらしいが……まあいい。多分明日にはそっちに到着するだろう。それで話だが、何から聞きたい?」
 冴彦はここ3日間で自分が経験したことを話した。
 そのお蔭で、冴彦は30分近く妹と話し、さっきまでの煩わしさを一時忘れられた。
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