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2巻
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「依頼だ、ヒスイ」
俺の名を呼ぶ野太い声が室内に響いた。
立派な椅子に腰掛けた筋肉の塊のような大男は、ギルドの総帥、リゴリア。
窓から差し込む朝日を受けて、リゴリアの禿げ頭は眩しく輝いていた。
「……依頼、ねぇ」
早朝から呼び出しを受けて少しばかり不機嫌な俺は、欠伸を噛み殺しながら曖昧に返事をする。
リゴリアのデスクの前に立つ俺の視線の先には、一人の少女の姿があった。今回の依頼人とも呼べる立場の少女だ。
彼女は神妙な顔つきで依頼書を握りしめていた。
「んで、どんな依頼なんだよ、ディティア」
褐色の肌に黒髪の美少女、ディティア・アシェルダ。ダークエルフという種族に共通する特徴である先の尖った耳が、ポニーテールにした髪の合間から覗いている。
彼女は、先日、俺が依頼を受けてアリゲール学園に潜入した際、同時期に転校してきた少女だ。
最初は妙に突っかかってきたり、反発したりしていたが、それは俺の妹のシリアのことなどで、色々な誤解があったからだ。根は友達想いのいいやつに違いない。
結局、俺がギルドのSランク冒険者だと知った彼女は、すっかり態度を変えて俺に怯えてしまったし、今さら仕返しに何かしようなんて、酷いことは考えていない。
そんな彼女が改まって俺に依頼とは……気になるところではある。
ディティアはリゴリアの机に依頼書を置いて、口を開いた。
「エルフの里にあるエルフ学舎で〝異種混合共闘大会〟が開催されるのですが、その……ヒスイさんには、私の共闘者として大会に出ていただきたいのです」
「……へぇ」
異種混合共闘大会での共闘依頼……最近、ギルドの依頼でよく見かけるものだ。
なんでも、今までほとんど他種族と関わりを持たなかったエルフ族が、これからは他種族と積極的に友好関係を築こうという意図をもって、この大会を催したらしい。
若い子がこの大会をきっかけにエルフの里を訪れ、その素晴らしさを知り、互いに友誼を深められればいい、みたいな感じだろうか。
しかし、それにしては賞品がずいぶん豪華だという話だ。
優勝賞品は、あらゆる病気と怪我をたちどころに治せる『エルフの秘薬』と呼ばれる貴重な薬。
現金にすれば、小国一つくらい買える金額になるんじゃないかと言われている。
「たしか、エルフ学舎に在籍している者が、同年代の他種族を連れてともに戦う大会……だよな? おまえ、アリゲール学園の生徒じゃないのか?」
「少し事情があって……エルフ学舎に戻ったのです」
「ふーん、まあいいや。で、その共闘者ってのを、俺にねぇ」
「はい。是非ともヒスイさんにお願いしたいんです」
ディティアはペコリと頭を下げた。
別に〝さん付け〟しなくてもいいって、前に言ったのだが、どうやら改める気はないみたいだ。
「ふーん」
俺はまだちゃんと返事はせず、とりあえず机の上にある依頼書を手にとった。
条件を確認せずに安請け合いするほど、俺はお人好しじゃない。
概ね書いてある内容はディティアが言ったとおり。エルフ学舎で開かれる異種混合共闘大会に共闘者として出場して優勝してほしい、というものだった。
だが、肝心なのはその続きだ。
「報酬は……Sランクの最低金額じゃねーか。しかも、依頼達成時のみ支払うだって?」
Sランク冒険者への報酬は、ハッキリ言ってしまえば異常な額だ。文字どおり金の山を積み上げてようやく依頼できる。前金はもちろん、成功報酬まで含めれば、貴族でなければ支払えないほどだ。
だから依頼は滅多に来ない。
しかし報酬が高い分、成功率は高い。
ギルドのトップに立つSランク冒険者の成功失敗は、ギルドの評判に大きく影響するため、請け負ったからには成功しなければならない。
もちろん、失敗したからといって公にされることはないが、噂はどこまで広まるか分からないものだ。
そういうリスクも含めて、依頼料が定められているのである。
だというのに、緊急時でもないのに前金もなしで成功報酬のみとは、バカにしているのか?
失敗するつもりはないが、わざわざリスクを負って最低金額で受けようとは思えない。
「それが大会の優勝賞金全額なんです」
「ちっ。俺に頼みたいなら、エルフの秘薬をよこせよ。そっちの方が金になる」
「……それは、無理です」
ディティアは声を震わせながら首を横に振った。
今日会ってから一度も視線が合っていない。
まだ俺のことを怖がっているのか?
彼女は危険な裏組織ギルティアスに洗脳されて俺と戦い、敗れた。その時の恐怖が今も残っているのかもしれない。
「なんでだよ。エルフの秘薬なら、依頼を受けるか考えるって言ってるんだぞ?」
「それは……」
ディティアは言葉を詰まらせた。
総帥室にしばしの沈黙が訪れる。
一体何が目的なのか分からないが、これ以上喋るつもりはなさそうだ。
俺はディティアの答えを待ちながら、体の良い依頼の断り方を考えていた。
沈黙を切り裂く言葉は、意外なところから発せられた。
「ヒスイ少年よ。そんなに意地悪をするものではないぞ」
リゴリアだ。
彼がディティアを庇おうとしているのをひしひしと感じる。
リゴリアは俺の目をまっすぐ見て話しはじめた。
「ディティア少女には依頼先として、Aランクのユア少女と、あっという間にBランクに上り詰めた注目の新人、シリア少女を選ぶ機会があった。しかし、彼女たちではなく、ヒスイ少年に頼んだのだ。その真意は問うまでもないだろう?」
――男ならば受けろ!
リゴリアのどっしりとした笑顔がそう語っていた。
まさかこいつは、ディティアが俺に好意を抱いてるとでも思っているんじゃないか?
いやいや、それはないぞ。
ディティアは俺を怖がっているだけだし、俺に受けてもらいたいのは、他よりも圧倒的に強いSランクなら優勝できると思っているからだ。
『Sランクのヒスイ』の詳細を知る者は少なく、こうして直接俺を指名して依頼をするやつは滅多にいない。
たまたま知り合いになったディティアは例外と言える。
だからこのチャンスを活かそう、と考えたのだろう。
「ヒスイ少年よ、皆まで言わせるな」
まあ、たしかに、最低金額とはいえかなりの大金だ。
ディティアの覚悟は相当なものだったに違いない。
「そう、だなぁ……」
だが、待てよ……大会ということは、大勢の観客の前で見世物のように戦うということだ。それはちょっと気が進まない。
……やっぱり、断ろう。
俺が決意を固めたその時だった。
「よく言った! それでこそヒスイ少年だ! がはは、喜べ、ディティア少女!」
リゴリアの豪快な笑い声が俺の鼓膜を震わせた。
「あ、ありがとうございます!」
ディティアは涙を流しそうな勢いで、しきりに頭を下げている。
「んっ?」
なんでこいつら、こんなに喜んでいるんだ?
まるで俺が依頼を受諾したような反応じゃないか。
まさか……
そこで俺はサァーっと血の気が引くのを感じた。
『そう、だなぁ……』
少し前に俺が口にした何気ない言葉。
「いや、待て! あれはただ変な間を空けないための相槌的な――」
「どうだ、我の言ったとおりだろう?」
「はい! とても嬉しいです!」
「……」
二人は俺の弁明に一切聞く耳を持たなかった。
説明すれば誤解は解けるだろうが、どうもリゴリアの態度はわざとらしく思える。このおっさんは時々何を考えているか分からないからな。どうせ断っても、あの手この手で依頼を受けさせようとするに違いない。
そんな面倒なことになるのであれば、いっそこのまま引き受けて、パパッと依頼を終わらせた方が楽か。
「はぁ、分かったよ」
俺は達観した気持ちでリゴリアの机にあるペンを取って、依頼書にサインをした。
「……じゃあ、エルフの里に行くぞ」
俺はディティアの手を掴んで一歩こちらに引き寄せた。
「えっ!? な、なんで急に手を握るんですか!」
「すぐに分かる」
ディティアに説明するのも面倒だ。
俺はリゴリアを一瞥して声を掛けた。
「行ってくる」
「うむ! 頑張れよ!」
リゴリアは満足げに大きく頷いて、白い歯を見せた。
「……黒靄」
そう呟くと、俺の体から黒い靄が漂いはじめ、ディティアを包み込むように広がった。
俺はギルド最高ランクのSランク冒険者としてだけでなく、一般的にほとんど認知されていない特殊な属性の魔法――闇魔法の使い手としても有名なのだ。
「ちょ――な、何これ!?」
突然のことに、ディティアの顔が恐怖で引きつっている。
これは俺が使える闇魔法、黒靄だ。
この靄は自動防御や身体能力強化など、様々な恩恵をもたらす。その能力の一つに、空間掌握というものがある。
靄が掌握した空間は自由に行き来できる、言わば瞬間移動のようなものだ。
便利だから長距離移動する時などは、よく使っている。
エルフの里には一度行ったことがあるので、移動経路は把握済みだ。
俺は転移先の場所をイメージして黒靄を発動させる。
「行くぞ、ディティア」
「えっ、えぇぇ!?」
次の瞬間、ギルドの総帥室から俺とディティアの姿は消えていた。
◆
「あれ、ここって……?」
突然屋外に放り出されたことに気づいたディティアが、呆けた声を出した。
俺たちが今いるのは、木々が生い茂る森の中。
ギルドからはかなり離れているので、歩いてここまで来ようと思ったら結構な時間がかかるだろう。
すでに王国の外に出ているが、エルフの里まではまだ距離がある。
一発で移動できればいいのだが、あまりにも遠い場所には移動できないので、何度か連続転移していくことになる。
「ほら、まだ行くぞ」
「えええ!?」
ディティアの悲鳴が聞こえるが、容赦なく移動開始する。
こうすればすぐに着くのだから、しばらく我慢してもらいたい。
それに、馬車代や食事代だって浮くしな。
もっとも、報酬と比べたらそんなものははした金だが。
目の前には、巨大な滝が轟々と音を立てて流れていた。
水しぶきが冷たくて気持ちいいが、この膨大な水量に呑み込まれたらひとたまりもない。
「こ、今度は、滝……!?」
ディティアは周囲をキョロキョロ見回している。
「観光しに来たわけじゃないんだ。さっさと行くぞ」
俺はまた空間を掌握して、別の場所に移動した。
「そっ、草原……」
転移を重ねるごとにディティアの顔が青ざめていく。
「次」
「綺麗な……湖……」
「次」
「海……」
「ん、少しズレたか。次」
◆
そんなこんなを繰り返して、俺たちは目的の場所に到着した。
再び森の中だが、生い茂る木々はどれも巨大で、王国の森とはスケールが違う。
エルフの里といっても、小さな村落ではなく、規模は大きい。彼らは主に大木の幹に穴をあけて、そこを住居にして暮らしているため、地上にはほとんど何もない。
木と木の間に橋を作ったり櫓を組んだりして、基本的に樹上で生活するという特徴的な文化をもつ種族――それがエルフである。
「着いたな」
「……ほにゃ~……」
返事のつもりなのか、ディティアがよく分からない言葉を放った。
どうやらめまぐるしく景色が変わって酔ってしまったようだ。
呂律が回らず、足取りもふらふらしていて、実に危なっかしい。
「ふにゃっ……」
っと、心配したそばからディティアは木の根につまずいて、バランスを崩してしまった。
このまま転んだらまずいので、胸元に引き寄せて抱きとめる。
「おい、ディティア。起きろ」
「むにゅう……」
頬を軽く叩いて覚醒を促すが、目を瞑ったままで起きる気配はない。
「……ダメだな、これは」
完全に参ってしまったディティアを抱えながら、俺はこれからどうするか考えをめぐらせた。
すると、頭上から男の声が聞こえてきた。
「おお、そこにいるのはもしかしてディティアじゃないか? すっかり伸びちまって、どうしたんだ?」
木の上の橋から身を乗り出して声を掛けてきたのは、平均的に華奢な体躯を持つエルフにしては珍しく、それなりに筋肉質な男だった。
口ぶりからすると、このエルフのおっさんはディティアの知り合いのようだ。
地上にいる俺たちを見つけて、気になったらしい。
俺がディティアから依頼を受けたことなどを説明すると、男は納得の面持ちで頷いた。
「そういうことなら、俺がディティアの家まで案内してやる。上がってこられるか?」
俺は脱力してもたれかかるディティアを背負って、エルフのおっさんに続いた。
「着いたぞ。ここがディティアと、母親のルーンが住んでいる家だ」
ディティアの家は、エルフの里の外れにあった。
外れといっても、基本的にエルフたちはまばらに住んでいるから、中心部の店舗が集中する区画以外はどこもあまり環境は変わらないのだが。
それより、少し気になることがあって俺は疑問を口にした。
「父親はいないのか?」
「ああ……あいつか……」
おっさんは少しばつが悪そうに言葉を濁した。
どうもこれは、わけありっぽいな……
おっさんはあまり話したくないようで、俺に背負われているディティアをチラリと横目で見た。
しかし、ディティアの口から後で言わせるのも酷だと判断したのか、後ろ頭を掻きながら声を潜めて話しはじめた。
「父親はいない。アンタは知らないかもしれないが、数年前に起こった〝魔物の大氾濫〟ってやつが原因さ。里を守るために魔物と戦って……死んだよ」
離婚か何かかとも思ったが、死別とは、一番重いのが出てきてしまった。
これ以上深く聞くべきではないな。
「ああ……そうか」
魔物の大氾濫とは、王位から中位までの、万を超す多種多様な魔物がエルフの里を襲った、悲惨な事件だ。
犠牲者はかなり多かったが、ディティアの父さんもその一人だったか。
気絶しているとはいえ、目の前では言いにくいよな。悪いことをしてしまった。
しかし、エルフのおっさんは辛気臭い空気を払うように、陽気な笑みを浮かべた。
「まぁ、こう言っちゃなんだが、魔物の大氾濫が起こった時に他種族のやつらが助けてくれて、昔から続いたエルフの排他主義を改めるきっかけになったんだから、悪いことばかりじゃないさ。異種混合共闘大会が始まったのだって、あれ以来だからな」
話の流れを明るいものに変えようとして、おっさんがそんなことを言い出した。
気遣いはありがたいが、俺は今そんな他愛ない話をする気分にはなれない。
「……変なこと聞いて悪かったな」
俺は小さく呟いて、会話を打ち切った。
「ん? お……おう、じゃあ俺はこれで行くぞ。ディティアをよろしくな」
おっさんはそう言って去っていった。
魔物の大氾濫か……嫌なことを思い出してしまった。
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