日常のひとコマ

繰奈 -Crina-

文字の大きさ
上 下
41 / 54

有用なBGM (女性/仕事/残業/恐れ)

しおりを挟む
BGMがうるさい。
ふっと集中力が途切れた合間に入り込んできた音楽が、とても耳障り。
気にならないときは気にならないけど、一度耳につくともうダメだ。
わたしは集中する時は無音がいいの。
面倒だったけど席を立って、スピーカーにつないである音楽プレイヤーを切った。
そして訪れる静寂にほっと一息つく。
立ち上がったついでに、今日何杯目かわからないコーヒーを入れに行く。
静かな空間と熱いコーヒー。
よし、集中できる環境は整った。ラストスパート頑張ろう。

週の半ばの水曜日は、みんな残業を避けて帰っていく。
だから、わたしは敢えて水曜日に残業する。
夜9時のオフィスにはわたしひとり。
静かなオフィスに響き渡るキーボードの音が、実はけっこう好きだったりする。
心がすっと仕事に入っていくのを感じる。


……どれくらい経ったのだろうか。
温くなったコーヒーを飲みながら、途中まで出来上がった企画書に目を通す。
静かだと思っていた空間は、意外と外の音が聞こえる。
前の幹線道路を走る車の走行音。
酔っ払って気が大きくなった人の騒がしい声。
そういう雑音は、決してわたしの集中を邪魔しない。
窓に向き合うわたしの席からは下の道路を歩く人が意外と良く見える。
雨が降ってきたかのチェックには便利。
しばらく道行く人を見降ろして眺めていたが、早く帰りたい自分に気付いて企画書に再度向き合うことにする。
けれど、いったん集中が解けて外の雑音を耳が捉えちゃうと、今度は逆に背後の静寂が気になる。
音楽プレイヤーの電源を入れようかとちょっと迷って半身だけで振り返ろうとした瞬間、視界の片隅を何かが掠めた。

姿勢はそのままで、目だけを窓に向ける。
なんだろう。
昼間はよく鳥が飛んでいるけど、もう夜。
何かが飛ぶほど風は強くないし……。
ちょっと考えたけど、考えてもわかるはずないので忘れることにする。
なんとなく立つのが面倒になったので、そのまま企画書を進める。
早く終わらせて帰ろう。

がちゃっと遠くでドアが閉まる音がする。そして、コツコツと響く足音。
あぁ、向こうの会社の人が帰っちゃう。
このフロアは、うちの会社の他にもう2社入っている。
遅くまで残業するのはうちか、廊下を挟んで隣の会社と向き合っている会社だけ。
向こうが先に帰ると、わたしが帰るときにフロアの電気を消さなければならない。
スイッチが遠いのでちょっと面倒。
しかも、帰りにはごみを捨てなきゃいけないので両手がふさがってしまう。
両手がふさがった状態で真っ暗な中でエレベーターを待つのはなんとなく嫌な気分になるので好きではない。
ゴミ捨てがなければ携帯電話でも眺めているのだけどね。
というか、先に帰る人が捨ててくれたらいいのに。
ひとりの残業でそんなにゴミが追加で出るわけないんだから。
そんなことを考え出すと、日頃の不満がいろいろと思考に乗っかってくる。
いかん、集中しなければ。
言い回しがわかりにくかった文章の修正を始める。気にしだすと、細かなところまで気になって仕方ない。
結果的に、ちょっと修正するだけのつもりが、その部分の文章が段々長くなる。


……あれ、エレベーターの音、した?
キーボードをたたく手を止めて、耳を澄ます。
エレベーターはうちのオフィスの向かいにある。
足音、エレベーターの駆動音、扉が開く音、乗り込む音、扉が閉まる音。
意識的に聞きはしないけどいつも耳に入るそれらの音。
ドアの音を聞いた後、自分が聞いたかどうかを記憶から探る。
わからない。
けど、ドアの音を聞いたのに、もっと近くで聞こえる音を聞き逃すことってある?
そんなに集中していたわけじゃないのに。

……鍵、締めなきゃ。
なんとなく、何かから身を守りたい気分になってそう思った。
あぁ嫌だ。
どうしてこんなこと考えるんだろう。
何かって、なに。
誰かじゃなくて、何かってなんなの。
何を怖がってるの。
気のせい。
向こうの会社の人は、わたしがボーっとしている間に降りて行ったんだ。
気にすることじゃない。
階段を使ったのかもしれないし。
気のせい。
ただなんとなく、わたしが怖がっているだけ。
動くのが怖いのも、鳥肌が立っているのも、背後の静寂も、全部気のせい。
人の気配とかよく言うけど、そんなのわかるはずがない。
この背後の空気だけ冷えているように感じるのは空調のせい。
気のせい。

意識してふーっとため息をつく。
このフロアにはもうわたししかいないかもしれないけど、6階の人もいつも遅いからこの時間ならまだ残ってる。
大丈夫。だいじょうぶ。ダイジョウブ。

でも、今日はもう帰ろう。
企画書は明日でもいいし。
うん、そうしよう。
トイレは駅で行けばいいし、コーヒーカップ洗うのも明日でいい。

慌てて帰り支度をしながら決意する。
今度ひとりで残業するときは、決してBGMを消しはしない。
そしてもうひとつ決めた。
会社のBGM用音楽プレイヤーに、聞くだけで脱力するような変な歌を入れておいてやる。

身体が動けば、もう安心。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

機織姫

ワルシャワ
ホラー
栃木県日光市にある鬼怒沼にある伝説にこんな話がありました。そこで、とある美しい姫が現れてカタンコトンと音を鳴らす。声をかけるとその姫は一変し沼の中へ誘うという恐ろしい話。一人の少年もまた誘われそうになり、どうにか命からがら助かったというが。その話はもはや忘れ去られてしまうほど時を超えた現代で起きた怖いお話。はじまりはじまり

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

処理中です...