あの子のこと

水野七緒

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sideB:まなみのこと

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その日、私はまなみと下校することになっていた。
両親の結婚記念日の贈り物を、ふたりで買いに行く約束をしていたからだ。
まなみは、ロッカーの前にいた。
閉めた扉の前で、なぜかぼんやり立ち尽くしていた。
なにかあったのだろうか。
まなみ、と声をかけようとしたタイミングで、彼女はこちらに顔を向けた。
まるで気配を察したみたいに。

「沙耶」

薄い唇が、一瞬強ばる。
けれども、それはすぐに笑むような形へと変わった。

(ああ、またこの顔だ)

ここ最近、まなみがよく浮かべる取り繕ったような笑顔。
ただ、眼差しの憂いまでは隠しきれてはいない。

(かわいい)

この子の、こういうところが好きだ。
素直に心情を表に出せない憶病さが。
たくさん考えた上での言動が、空回りしがちなところが。
そのちぐはぐさが、たまらなく好きだ。

「もう帰れそう?」
「もちろん──」

うなずきかけて、「あ」とまなみは声をもらした。

「職員室に寄ってもいい? プリント出さないといけなくてさ」
「プリント? なんの?」
「遠征の承諾書。出すの忘れてたんだよね」

鞄を掴む仕草が、いささか乱暴だ。
まるで何かを振り切ろうとしているみたい。
もっとも本人はそんなの指摘されたくないだろうから、これは私だけの胸にとどめておこう。

「バイバーイ、まなみ」

声をかけてきたクラスメイトに軽く手をあげて、まなみは私に近づいてくる。
バランスのいい体躯。
すっとのびた背筋。
いつもと変わらないその美しさ。
だからこそ、私は油断していたのかもしれない。

「じゃあ、行こうか」

それは突然の出来事だった。
彼女は、流れるような仕草で私の手をつかまえた。
軽く握られた左手。
不意打ちのような冷たさ。
全身が、電流が走ったかのように痺れ、頭のなかが真っ白になった。
気がついたら、私はまなみの手を振り払っていた。

「あ……」

まなみが、驚いたようにこちらを見る。
それでも、心は静まる気配を見せない。

なんだろう、この感じは。
この身体の奥底が熱くなる感じは。

(いきなり触られたから?)

──違う。

(手をつなぐのが久しぶりだったから?)

──違う。

(なんだか暑苦しかったから?)

違う、そんな理由じゃない。
本当はわかっているくせに、私は──

「沙耶?」

まなみの伺うような声で、我に返った。

「ごめんなさい。その……ちょっとびっくりして」

かろうじて謝ったものの、まなみは何も発さない。
ただ、静かな目で私を見つめるだけだ。

(ああ……)

唐突に悟った。
自分に向けられた、紅茶色の目を見たことで。

(初めて見たとき「おいしそう」って思った……)

そうだ、あのころから私は欲望を抱いていた。
同性の、かわいい「妹」であるはずの彼女に──嫌悪すべき秘めやかな「恋情」のようなものを。
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