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sideB:まなみのこと
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そのころ、まなみには気にかけている男子がいた。
ふたりで話をしていると、必ずといっていいほど登場する人物。
通称「あいつ」。
「今日、あいつが」「あいつってば」「あいつがさ」──
連日「あいつあいつ」で、聞いている私としてはそのうち「暑い」すら「あいつ」に聞き間違えそうな勢いだ。
そのくせ、まなみは「あいつ」の正体をなかなか明かそうとしない。
「ねえ、そろそろ教える気にならない?」
「なにを?」
「決まってるでしょう。『あいつ』の正体」
「……それは……」
まなみの頬が、うっすらと朱色に染まる。
ああ、愛らしい。
その顔を見られただけで、今の質問は十分役目を果たした。
けれども──
「あいつが誰なのかは、そのうち教えるよ。もう少し、その……親しくなってから……」
──この答えはいらなかった。
だって、そんなの教えてもらう必要はなかったから。
(隣の席の子でしょう)
田岡とかいう、まなみのクラスメイト。
お喋りなだけのつまらない男子。
あいつとまなみが釣り合うとは思えない。
あいつは、まなみの「表向きの顔」を、ただ消費していくだけの人間だ。
だから、つい口にしてしまった。
「つまらない人ならやめてね」
「……は?」
「まなみの『あいつ』がつまらない人なら、教えてくれなくてもいい。まなみにふさわしい人なら、ぜひ教えて」
まなみの目の色が変わった。
紅茶色の瞳ににじんだのは、明らかな反発だ。
「あいつは、つまらなくなんかないよ」
「そう? じゃあ、時期がきたら誰なのか教えて」
言葉の裏にひそませた感情は、正確にまなみにも届いたらしい。
「本当だよ。本当にあいつはいいヤツで……」
まなみは、必死になって彼のいいところを言い募る。
おそらく、本人は自覚していないだけで、すでに彼のことが好きなのだろう。
そう──これは恋だ。
まごうことなき恋だ。
放課後、恋愛話に花を咲かせる友人たちと同じ表情、同じ声音。
(私自身は、まだ知らない気持ち)
それを、まなみは他人に向けている。
つまらない、ただおしゃべりなだけの男子生徒に。
「じゃあさ」
私が聞き流していることに気づいたのだろう。
まなみの声がワントーン低くなった。
「沙耶は、どんな人なら私に似合うと思っているわけ?」
「どんなって……」
「沙耶の思う『私にふさわしい人』ってどんな人?」
「そうね……」
あなたが臆病な人間だと気づいている人。
いつも震えている魂を、愛おしく思ってくれている人。
でも、そんなの伝えたところでまなみは納得しない。
そもそも自分が臆病だということを認めはしないだろう。
では、なんと答えようか。
言葉を探す私を見て、まなみは「ほらね」と先に結論を出した。
「いないんだよ、私なんかに似合う人」
薄い紅茶色の瞳が、私をとらえる。
そこに滲む、仄暗い色。
(ああ……)
背中が、ぶるりと震えた。
新しい顔だ。
姉であるはずの私ですら知らない「まなみの顔」。
(どうしよう……)
もっと見たい。
もっと知りたい。
(見たい……見たい!)
もっと見せてほしい。
私の知らない「あなた」の顔を。
1週間後、私は田岡に交際を申し込んだ。
その結果──
「さっきはごめん。でも知らなかったよ、沙耶が田岡くんのことを好きだったなんて」
いつもの家族団らんのあと、こっそり伝えられた言葉。
あのときのまなみの眼差しを、私は一生忘れることはないだろう。
ふたりで話をしていると、必ずといっていいほど登場する人物。
通称「あいつ」。
「今日、あいつが」「あいつってば」「あいつがさ」──
連日「あいつあいつ」で、聞いている私としてはそのうち「暑い」すら「あいつ」に聞き間違えそうな勢いだ。
そのくせ、まなみは「あいつ」の正体をなかなか明かそうとしない。
「ねえ、そろそろ教える気にならない?」
「なにを?」
「決まってるでしょう。『あいつ』の正体」
「……それは……」
まなみの頬が、うっすらと朱色に染まる。
ああ、愛らしい。
その顔を見られただけで、今の質問は十分役目を果たした。
けれども──
「あいつが誰なのかは、そのうち教えるよ。もう少し、その……親しくなってから……」
──この答えはいらなかった。
だって、そんなの教えてもらう必要はなかったから。
(隣の席の子でしょう)
田岡とかいう、まなみのクラスメイト。
お喋りなだけのつまらない男子。
あいつとまなみが釣り合うとは思えない。
あいつは、まなみの「表向きの顔」を、ただ消費していくだけの人間だ。
だから、つい口にしてしまった。
「つまらない人ならやめてね」
「……は?」
「まなみの『あいつ』がつまらない人なら、教えてくれなくてもいい。まなみにふさわしい人なら、ぜひ教えて」
まなみの目の色が変わった。
紅茶色の瞳ににじんだのは、明らかな反発だ。
「あいつは、つまらなくなんかないよ」
「そう? じゃあ、時期がきたら誰なのか教えて」
言葉の裏にひそませた感情は、正確にまなみにも届いたらしい。
「本当だよ。本当にあいつはいいヤツで……」
まなみは、必死になって彼のいいところを言い募る。
おそらく、本人は自覚していないだけで、すでに彼のことが好きなのだろう。
そう──これは恋だ。
まごうことなき恋だ。
放課後、恋愛話に花を咲かせる友人たちと同じ表情、同じ声音。
(私自身は、まだ知らない気持ち)
それを、まなみは他人に向けている。
つまらない、ただおしゃべりなだけの男子生徒に。
「じゃあさ」
私が聞き流していることに気づいたのだろう。
まなみの声がワントーン低くなった。
「沙耶は、どんな人なら私に似合うと思っているわけ?」
「どんなって……」
「沙耶の思う『私にふさわしい人』ってどんな人?」
「そうね……」
あなたが臆病な人間だと気づいている人。
いつも震えている魂を、愛おしく思ってくれている人。
でも、そんなの伝えたところでまなみは納得しない。
そもそも自分が臆病だということを認めはしないだろう。
では、なんと答えようか。
言葉を探す私を見て、まなみは「ほらね」と先に結論を出した。
「いないんだよ、私なんかに似合う人」
薄い紅茶色の瞳が、私をとらえる。
そこに滲む、仄暗い色。
(ああ……)
背中が、ぶるりと震えた。
新しい顔だ。
姉であるはずの私ですら知らない「まなみの顔」。
(どうしよう……)
もっと見たい。
もっと知りたい。
(見たい……見たい!)
もっと見せてほしい。
私の知らない「あなた」の顔を。
1週間後、私は田岡に交際を申し込んだ。
その結果──
「さっきはごめん。でも知らなかったよ、沙耶が田岡くんのことを好きだったなんて」
いつもの家族団らんのあと、こっそり伝えられた言葉。
あのときのまなみの眼差しを、私は一生忘れることはないだろう。
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