あの子のこと

水野七緒

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sideA:沙耶のこと

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──なんていうのは、ただの杞憂にすぎなかった。

帰宅して顔をあわせた沙耶は、驚くほどいつもどおりだった。
「おいしそうなにおい」と微笑んで食卓につき、私が振った「団らんネタ」にも的確に返し、最後まで背筋をのばしたまま夕食のカレーライスをぺろりとたいらげた。
そのことがどうにも釈然としなかった私は、彼女がデザートのりんごを食べているとき、つい余計なことを口走ってしまった。

「沙耶、田岡くんと付き合うんだって?」

「えっ」と声をあげたのは両親だ。
当の沙耶は、表情ひとつ変えることなくシャクシャクとリンゴを味わっている。

「付き合うってアレか? 交際か?」
「そうだね、交際だね」
「いや、『そうだね』って、お前……」

父さんから不穏な気配を感じ取ったのか、母さんはぎこちない笑みを浮かべた。

「まあ、でも……そうよね、高校生ともなればそれくらいはね」
「いや、だが……」
「あなただってそうだったんじゃない?」
「いや……! 俺のころは、そんな……特には……」

まずい。この雰囲気はあまりよろしくない。
しかも、この状況を作り出したのは私だ。
私のうかつな発言のせい。
ああ、まずいまずい。
いっそ、時を戻したい。
あんなこと、やっぱり口にするべきではなかった。
訊きたいいなら、沙耶とふたりきりのときを選ぶべきだったのに。
てのひらに、嫌な汗が滲んできた。
口元は、たぶんずっと引きつったままだ。
それでも、なんとかこの場をおさめるための「正解」を探していると、沙耶がふっとこちらに視線をよこした。

「まなみは?」
「……は?」
「まなみはどう思う?」
「どう……って……」

沙耶が誰かとつきあうことについて?
沙耶のお相手の田岡くんについて?
それとも、高校生に彼氏ができることについて?

(今の、この状況における「正解」は?)

「田岡くんは──いい人だと思う」

結局、数時間前と真逆のことを口にした。
それが、私が導き出した「正解」だったからだ。
けれども、すぐにそのことを後悔した。
「うん」とうなずいた沙耶が、満足そうに笑っていたから。


そこからだ。
沙耶に対して、なにかと「不正解」を選ぶようになったのは。
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