目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

第7話

１６・霧の中

　当然そんな相手など現れるはずもなく、俺は帰宅後も苦悩を抱えるはめになった。
　ベッドに寝転がり、天井を見あげる。
　右側にぼんやり浮かんだのが、笑顔の夏樹さん。
　左側に浮かんだのが、くるくる表情の変わるナツさん。
　そういえば、ここ数日ナツさんの笑顔を見ていない。怒ったり、ふてくされたり、泣きそうな顔をしていたり──そんなのばかり目にしている気がする。

（それって、俺を好きになってから──だよな）

　俺を振り向かせると息巻いて以来、ナツさんはあまり笑わなくなった。たまに見かけても、妙に取り繕っていて、あの人らしくないというか──
　そう、それだ。今のナツさんは、あまりにも「あの人らしくない」のだ。
　あんなに我の強い人が「夏樹さん」という別人になりきろうとしているのもおかしいし、俺の機嫌をとろうとしているのもどうかしている。
　挙げ句の果てに、瞑想まではじめてしまった。その目的が、俺の想像どおり「元の世界に戻りたい」だった場合、気になるのはその理由だ。
　いつまでたっても俺が振り向かないから、もう元の世界に戻ります──これなら「あきらめが良すぎる」という点は引っかかるものの、まだ理解できなくもない。
　でも、もしそうじゃないとしたら？　「青野をこっちの星井夏樹と会わせるために、オレは元の世界に戻ります」だとしたら？

（違うだろう）

　そんなの、本当の本当にナツさんらしくない。
　ナツさんは、もっと身勝手で自由奔放な人だったはずだ。仮に、本当に俺のことを好きだったとしても、我が道をつらぬく人だったはずじゃないか。
　なのに「俺のために」？
　なんだそれ。そんなことをするくらいなら、もっと俺に体当たりしてくるべきじゃないのか？　それこそ、いきなりキスしてきたときみたいに、もっとあの人らしいアプローチがあるはずだ。それでこそ「ナツさん」じゃないか！

「くそ！」

　吐き捨てた言葉は、思いがけなく大きく響いた。
　そこで、ようやく俺は我に返った。

（いや、落ちつけ──どうした、青野行春？）

　以前の自分なら「ナツさんが元の世界に戻る！？　よし、応援します！」とふたつ返事で食いついていたはずじゃないか。
　なのに、今はこの有様だ。これこそ、まったくもって俺らしくない。
　そう、つまり──結局のところ、今いちばん「らしくない」のは俺自身だ。ナツさん以上に、俺がなにも見えない霧の中をふらふらとさまよっているのだ。

「ああ、くそ」

　ふたりの面影を振り払うように、ベッドから身体を起こす。
　ふと空を眺めると、満月には微妙に足りない月が輝いていた。
　あれは満月になったあとの月なのか、それともこれから満月になろうとしている月なのか、天体に興味のない俺には知る由もない。
　ただ、あのまん丸なようで微妙に足りない月の形が、今の俺の中途半端な心情そのもののようでゾッとしてしまった。
　やっぱりダメだ、ちゃんと答えを出したい──
　いや、答えは決まっている！　俺のなかに、揺らがぬ「答え」があるはずじゃないか。