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第7話
12・俺らしくない俺
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突然あげた大声に、周囲の人たちはギョッとしたようにこちらを見る。
それでも、ナツさんはかたくなに振り返ろうとしない。それどころか、その細い身体からは想像できないような力で、俺の手を振り払おうとする。
「ちょっ……何するんですか!」
「うっさい、放せ!」
「放したら、ひとりで行っちゃうでしょう!」
腕を掴む手に、いっそうの力を込める。
ナツさんは「痛い痛い痛い」と大仰に騒いだかと思うと、涙目で俺を睨みつけてきた。
「なんなの青野、オレになんの用なの!?」
「そんなの決まって──」
言いかけた言葉が、喉元で詰まる。
そういえば、どうして俺はナツさんを待っていたんだ?
「いや、あの……なんというか……」
「……何、話したいことないの?」
ナツさんの眼差しが、よりいっそう険しくなる。
「だったら放して。オレ、今めちゃくちゃ疲れててさっさと家に帰りたいから」
でしょうね、バイト先であれだけやらかしたら──内心こっそり突っ込んだところで、俺ははたと思い出す。
そうだ、バイトの件だ。「やめたほうがいいのでは」と助言したくて、ここで待っていたんじゃないか。
「あの、ナツさん、ラッキーバーガーのバイトの件ですけど……」
「はぁっ!?」
言い終わる前に、大声で遮られた。
完全なる戦闘モード──もし、彼が猫なら、きっと毛を逆立てて「フーッ」と威嚇していたに違いない。
「バイトが何!? 青野もやめろって言いたいの!?」
「まあ、そんなところで──」
「あっそう、あっそう! そうだよな、このままだとこっちの『星井夏樹』の名誉に傷がつくもんな!」
吐き捨てるような言葉に、ハッとした。
そうだ──その可能性もあるのだ。俺としたことが、まったく気づいていなかった。
(だって、この人のことで頭がいっぱいで……)
その事実にがく然とした。
俺としたことが、なんという失態だ。こんなの、まったくもって俺らしくない。いったい何事だ? 今の俺のなかに、どんなバグが生じているんだ?
混乱する俺の前で、ナツさんはすんすんと鼻水をすすっている。
「どうせ俺は何もできねーよ。こっちの『星井夏樹』みたいに優秀じゃねぇよ」
彼らしくない、卑屈な物言い。
「けどな、バイトはやめない。意地でもやめない」
「どうしてですか」
この人をここまで頑なにする理由はなんなのだ?
はっきり言って、こんなのナツさんらしくない。いつものこの人なら、バイトの最初の1時間で「やっぱり無理」とさじを投げ出しているはずなのに。
俺の問いかけに、ナツさんは「そんなの決まってるじゃん!」とまなじりをつりあげた。
「青野に好きになってもらうためじゃん! それ以外の理由なんてあんの!?」
ついに、彼の目尻から水分が流れ落ちた。
「こっちの『星井夏樹』じゃないと、青野好きになってくれないじゃん! だったら、そうするしかないじゃん!」
「いや、そんなことは──」
「それとも何!? オレがオレのままでも、青野はオレのことを好きになってくれるの!?」
返答に窮した。本当なら、今すぐ「なりません」と答えるべきだった。
なのに、バグ発生中の俺は、もごもごと口ごもった。
薄暗くなりはじめたロータリーの片隅で「俺らしくない俺」と「ナツさんらしくないナツさん」が向かい合う。ナツさんの細い目は、まだ水分を含んでゆらゆら揺れていた。
「キスして」
ドスのきいた声でそう言うと、ナツさんは軽く顎をあげた。
「キスして。オレを『一番』にしてよ、青野」
それでも、俺は──やっぱり返答できなかった。「はい」も「いいえ」も、その場で選べなかった。
長い沈黙のあと、ナツさんは「はぁっ」と派手なため息をついた。そこで、俺はつい手の力を緩めてしまったのだろう。
今度こそ、ナツさんは腕を掴んでいた俺の手を振り払った。
「バカ、青野のバカ、大嫌い!」
細い背中は、どんどん遠ざかり、あっという間に駅構内に吸い込まれてしまう。
それでも、俺は動けなかった。追いかけることもせずに、ただその場にずっと立ち尽くしていた。
それでも、ナツさんはかたくなに振り返ろうとしない。それどころか、その細い身体からは想像できないような力で、俺の手を振り払おうとする。
「ちょっ……何するんですか!」
「うっさい、放せ!」
「放したら、ひとりで行っちゃうでしょう!」
腕を掴む手に、いっそうの力を込める。
ナツさんは「痛い痛い痛い」と大仰に騒いだかと思うと、涙目で俺を睨みつけてきた。
「なんなの青野、オレになんの用なの!?」
「そんなの決まって──」
言いかけた言葉が、喉元で詰まる。
そういえば、どうして俺はナツさんを待っていたんだ?
「いや、あの……なんというか……」
「……何、話したいことないの?」
ナツさんの眼差しが、よりいっそう険しくなる。
「だったら放して。オレ、今めちゃくちゃ疲れててさっさと家に帰りたいから」
でしょうね、バイト先であれだけやらかしたら──内心こっそり突っ込んだところで、俺ははたと思い出す。
そうだ、バイトの件だ。「やめたほうがいいのでは」と助言したくて、ここで待っていたんじゃないか。
「あの、ナツさん、ラッキーバーガーのバイトの件ですけど……」
「はぁっ!?」
言い終わる前に、大声で遮られた。
完全なる戦闘モード──もし、彼が猫なら、きっと毛を逆立てて「フーッ」と威嚇していたに違いない。
「バイトが何!? 青野もやめろって言いたいの!?」
「まあ、そんなところで──」
「あっそう、あっそう! そうだよな、このままだとこっちの『星井夏樹』の名誉に傷がつくもんな!」
吐き捨てるような言葉に、ハッとした。
そうだ──その可能性もあるのだ。俺としたことが、まったく気づいていなかった。
(だって、この人のことで頭がいっぱいで……)
その事実にがく然とした。
俺としたことが、なんという失態だ。こんなの、まったくもって俺らしくない。いったい何事だ? 今の俺のなかに、どんなバグが生じているんだ?
混乱する俺の前で、ナツさんはすんすんと鼻水をすすっている。
「どうせ俺は何もできねーよ。こっちの『星井夏樹』みたいに優秀じゃねぇよ」
彼らしくない、卑屈な物言い。
「けどな、バイトはやめない。意地でもやめない」
「どうしてですか」
この人をここまで頑なにする理由はなんなのだ?
はっきり言って、こんなのナツさんらしくない。いつものこの人なら、バイトの最初の1時間で「やっぱり無理」とさじを投げ出しているはずなのに。
俺の問いかけに、ナツさんは「そんなの決まってるじゃん!」とまなじりをつりあげた。
「青野に好きになってもらうためじゃん! それ以外の理由なんてあんの!?」
ついに、彼の目尻から水分が流れ落ちた。
「こっちの『星井夏樹』じゃないと、青野好きになってくれないじゃん! だったら、そうするしかないじゃん!」
「いや、そんなことは──」
「それとも何!? オレがオレのままでも、青野はオレのことを好きになってくれるの!?」
返答に窮した。本当なら、今すぐ「なりません」と答えるべきだった。
なのに、バグ発生中の俺は、もごもごと口ごもった。
薄暗くなりはじめたロータリーの片隅で「俺らしくない俺」と「ナツさんらしくないナツさん」が向かい合う。ナツさんの細い目は、まだ水分を含んでゆらゆら揺れていた。
「キスして」
ドスのきいた声でそう言うと、ナツさんは軽く顎をあげた。
「キスして。オレを『一番』にしてよ、青野」
それでも、俺は──やっぱり返答できなかった。「はい」も「いいえ」も、その場で選べなかった。
長い沈黙のあと、ナツさんは「はぁっ」と派手なため息をついた。そこで、俺はつい手の力を緩めてしまったのだろう。
今度こそ、ナツさんは腕を掴んでいた俺の手を振り払った。
「バカ、青野のバカ、大嫌い!」
細い背中は、どんどん遠ざかり、あっという間に駅構内に吸い込まれてしまう。
それでも、俺は動けなかった。追いかけることもせずに、ただその場にずっと立ち尽くしていた。
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