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第5話
8・厄災のあと(その1)
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そこからどうやってこの公園まで辿り着いたのか、実はいまいち覚えていない。
うっすらと記憶にあるのは、ナツさんが「ふぇぇ」とおかしな泣き声をあげていたこと。途中で八尾さんが駆けつけてきたこと。そのあと保健室に運び込まれそうになったものの「それはちょっと」と拒んだことくらいだ。
ちなみに、今はベンチに寝かされているらしい。
寝心地の悪さにひとまず身体を起こそうとしたものの、全身のあちらこちらに激痛が走って、俺は再び固い板の上に沈んでしまった。
(最悪だ……まさか、こんなことになるなんて)
桜の枝の向こうには、オレンジ色の空が広がっている。
できれば、日が沈む前に帰宅したい。けれど、こんなにも身体中が痛いままで、俺は電車に乗れるのだろうか。
「あ、青野、起きた!?」
砂利を踏む音が聞こえたかと思うと、ナツさんの顔が夕空をさえぎった。
「青野ごめんね、ほんとごめんね。オレのせいでごめんなさい」
涼やかな目元から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。謝りながら「ふっ」「ふぐぅっ」と息を詰まらせているあたり、これは嘘泣きではないのだろう。
「いいですよ、謝らなくても」
「で、でも、オレのせいで……」
「違います。俺が、自分から巻き込まれにいったんです。ナツさんは関係ありません」
はっきりそう伝えると、ナツさんは困惑したように視線を揺らした。
それから「あ、これ」と、思い出したように濡れたハンカチを頬にあててくれた。たぶん弁当箱を包んでいたものなのだろう。かすかに、ウスターソースのにおいがする。
「顔、腫れてますか?」
「今はちょっとだけ。でも、八尾の話だと、明日はもっと腫れるだろうって」
たしかに、言葉を発しようとするたびに頬がひきつれる。熱ももっているようだし、これはえらいことになるかもしれない。
「八尾さんは……」
「今、ドラッグストアで湿布を買ってる。青野を、家まで送ってくれるって」
「いえ、そんな……」
「オレも行くから。もうちょっとしたら3人で帰ろ?」
話しながら、またもやナツさんは「ふええ」と泣き出した。ただでさえ細い目が、このままだと涙で溶けてしまいそうだ。
俺は、痛む右手をなんとかあげて、ナツさんの濡れた頬をぬぐった。
「泣かないでください」
「青野……でも……」
「お詫びはもういいです。それより……」
潤んだ瞳を、俺はまっすぐ見つめた。
「もう二度と、彼女には会わないでください」
「『彼女』って……サーヤのこと?」
「他に誰がいるんです。まさか、この期に及んで関係を継続する気はないですよね?」
念押しするまでもなく、ナツさんは激しく首を横に振った。
「会わない! サーヤとはもう連絡もとらない!」
「では、連絡先の削除を」
「え……っ」
「削除を」
「う……うん、わかった」
ナツさんはグズグズと鼻水をすすりながら、俺の目の前で連絡先を削除した。
「これでいい?」
「ええ」
ナツさんの背後から、再び砂利を踏みしめる音が聞こえてきた。「おお、目を覚ましたか」と顔を覗かせたのは、想像していたとおり八尾さんだ。
「とりあえず湿布を買ってきた。病院はどうする?」
「保険証もお金もないんで」
「じゃあ、手当だけして家まで送ってやるよ」
ちなみに、八尾さんはたまたま委員会活動で居残りしていたらしい。
「ほんと、ナツもタイミングが悪いよなぁ。俺が同伴していないときに待ち伏せされちまうんだから」
そうですね、と返したものの、少しだけ引っかかるものを覚えた。
いや──聞き流しても問題ないとは思うんだけど。
「八尾さんなら対処できましたか?」
「……うん?」
「あの場にいたのが八尾さんなら──こんなふうに、みじめに殴られたりはしませんでしたか?」
うっすらと記憶にあるのは、ナツさんが「ふぇぇ」とおかしな泣き声をあげていたこと。途中で八尾さんが駆けつけてきたこと。そのあと保健室に運び込まれそうになったものの「それはちょっと」と拒んだことくらいだ。
ちなみに、今はベンチに寝かされているらしい。
寝心地の悪さにひとまず身体を起こそうとしたものの、全身のあちらこちらに激痛が走って、俺は再び固い板の上に沈んでしまった。
(最悪だ……まさか、こんなことになるなんて)
桜の枝の向こうには、オレンジ色の空が広がっている。
できれば、日が沈む前に帰宅したい。けれど、こんなにも身体中が痛いままで、俺は電車に乗れるのだろうか。
「あ、青野、起きた!?」
砂利を踏む音が聞こえたかと思うと、ナツさんの顔が夕空をさえぎった。
「青野ごめんね、ほんとごめんね。オレのせいでごめんなさい」
涼やかな目元から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。謝りながら「ふっ」「ふぐぅっ」と息を詰まらせているあたり、これは嘘泣きではないのだろう。
「いいですよ、謝らなくても」
「で、でも、オレのせいで……」
「違います。俺が、自分から巻き込まれにいったんです。ナツさんは関係ありません」
はっきりそう伝えると、ナツさんは困惑したように視線を揺らした。
それから「あ、これ」と、思い出したように濡れたハンカチを頬にあててくれた。たぶん弁当箱を包んでいたものなのだろう。かすかに、ウスターソースのにおいがする。
「顔、腫れてますか?」
「今はちょっとだけ。でも、八尾の話だと、明日はもっと腫れるだろうって」
たしかに、言葉を発しようとするたびに頬がひきつれる。熱ももっているようだし、これはえらいことになるかもしれない。
「八尾さんは……」
「今、ドラッグストアで湿布を買ってる。青野を、家まで送ってくれるって」
「いえ、そんな……」
「オレも行くから。もうちょっとしたら3人で帰ろ?」
話しながら、またもやナツさんは「ふええ」と泣き出した。ただでさえ細い目が、このままだと涙で溶けてしまいそうだ。
俺は、痛む右手をなんとかあげて、ナツさんの濡れた頬をぬぐった。
「泣かないでください」
「青野……でも……」
「お詫びはもういいです。それより……」
潤んだ瞳を、俺はまっすぐ見つめた。
「もう二度と、彼女には会わないでください」
「『彼女』って……サーヤのこと?」
「他に誰がいるんです。まさか、この期に及んで関係を継続する気はないですよね?」
念押しするまでもなく、ナツさんは激しく首を横に振った。
「会わない! サーヤとはもう連絡もとらない!」
「では、連絡先の削除を」
「え……っ」
「削除を」
「う……うん、わかった」
ナツさんはグズグズと鼻水をすすりながら、俺の目の前で連絡先を削除した。
「これでいい?」
「ええ」
ナツさんの背後から、再び砂利を踏みしめる音が聞こえてきた。「おお、目を覚ましたか」と顔を覗かせたのは、想像していたとおり八尾さんだ。
「とりあえず湿布を買ってきた。病院はどうする?」
「保険証もお金もないんで」
「じゃあ、手当だけして家まで送ってやるよ」
ちなみに、八尾さんはたまたま委員会活動で居残りしていたらしい。
「ほんと、ナツもタイミングが悪いよなぁ。俺が同伴していないときに待ち伏せされちまうんだから」
そうですね、と返したものの、少しだけ引っかかるものを覚えた。
いや──聞き流しても問題ないとは思うんだけど。
「八尾さんなら対処できましたか?」
「……うん?」
「あの場にいたのが八尾さんなら──こんなふうに、みじめに殴られたりはしませんでしたか?」
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