目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒

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第3話

1・下り列車のなかで

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 各駅停車に揺られながら、俺は流れる景色をぼんやりと眺めていた。
 案の定、雨に濡れたはずの髪の毛はほぼ乾いていた。なのに、心はまるで晴れる気配がない。

(なんなんだ、あの人)

 人たらしなところがあるのは知っていた。うちの母親なんて、初対面にしてあっさりナツさんに籠絡ろうらくされたくらいだ。
 でも、まさか、こっちの世界に来るまで面識がなかった「夏樹さんのバイト仲間」とまで親しくなっているとは思ってもみなかった。

(いつだ? いつからあの人と?)

 つい最近であることは間違いない。だって、先日店の前で声をかけられたときは、相手を警戒するように俺の背中に隠れていたのだ。
 なのに、いつのまに?
 なぜ? どうやって?
 悶々もんもんとする俺の脳裏に、あの日のナツさんの独り言がよみがえる。

 ──「ぶっちゃけ、好みかも」

 そうだ、たしかにそう言っていた。まるで獲物を見つけた肉食獣が、舌なめずりをするみたいに。
 だとすると、先ほど見た光景もあながちおかしくはないのかもしれない。
 今から十数分ほど前、労るように俺の頭を撫でてくれたナツさんが、その足で「夏樹さんのバイト仲間」のもとに向かったのも、さらに甘えるようにそいつの腕に抱きついて、そのまま急行列車に吸い込まれていったのも「ああ、ハイハイ、あなた『好みのタイプ』って言ってましたもんね」ってことで解決だ。

(いや、けど……)

 ここで、俺のなかの純情が「待ってくれ」と頭をもたげる。

(ナツさん、今フリーじゃないよな?)

 しかも、我慢できずにこっちの俺にちょっかいを出してくるほど、別世界の「青野行春」を好きなはずなのでは?
 なのに「好みのタイプ」? なんだ、それ。
 つまりは浮気か? 浮気したってことだよな?
 ぐるぐる考え込む俺の足下に、何かがぽたりと落ちてきた。ペットボトルの水滴だ。「傘を貸してくれたお礼」とナツさんからもらったそれを、俺はご丁寧にも両手で包み込むようにして持っていたのだ。
 俺は、大きく息を吸った。
 できることなら、今この場で奇声を発したかった。あるいは、このペットボトルを雨粒が流れる窓ガラスめがけて投げつけてやりたかった。
 でも、できない。
 残念なことに、俺は常識的な小心者なのだ。
 結局、吸い込んだ大量の空気は、ため息として吐き出すだけにとどめた。こんなときに、そんなありふれたふるまいしかできないなんて、やはり俺は平凡な男なのだろう。

(とりあえず、星井に連絡)

 ナツさんとラッキーバーガーの店員がどうなったか、聞き出さないと。
 ぽた、ぽた、とさらに水滴がしたたり落ちた。今や、てのひらは髪の毛よりも濡れていた。
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