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第1話

14・夏樹との出会い

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 夏樹さんは、俺にとって初恋の相手だ。
 というと「遅すぎやしないか?」との声が聞こえてきそうだけど「初恋は幼稚園時代の××ちゃん」とか「小学校1年生のときの○○くん」と言っている人は、一度それが本当に恋と呼べるものだったのか、振り返ってみてほしい。
 俺だって、長い間、初恋の相手は保育園でお世話になったサキコ先生だと信じていたし、それ以降も淡い好意を抱いた相手が何人かいた。たとえば、小学校4年生のときのクラスメイトとか、6年生のときに学習塾で知り合った隣の小学校の女子とか。
 中学2年生のときには、生まれてはじめて「カノジョ」なるものができた。ただ、彼女との交際はたったの3ヶ月で幕を下ろした。別れの理由は「いつまでたっても、青野が私を好きになってくれないから」──当時の俺は、それをうまく飲み込めないでいた。たしかに告白は彼女からだったけれど、了承したのは、自分もそれなりに相手に好意を抱いていたからだ。なのに「好きになってくれない」? どういう意味だ?
 けれど、夏樹さんと出会ったことで、俺は彼女が正しかったのだと思い知った。なるほど、俺がこれまで「恋」と認識していたものは、恋愛未満の淡い好意に過ぎなかったらしい。それくらい、夏樹さんの存在は、俺のなかで強烈だったのだ。
 出会いは、忘れもしない中学3年生の夏。高校の「一日体験入学会」に参加したときのこと。

(やば……まずい……)

 俺は、男子トイレで血まみれになってうずくまっていた。トイレの個室から出ようとした矢先、つまずいて鼻を打ち付けて、鼻血が止まらなくなってしまったのだ。
 どうしよう、引率の先生に連絡──ところが、スマホは説明会の教室に置いてきてしまったので手元にない。助けを呼ぼうにも、少し歩いただけで鼻血がボトボト落ちるし、声をあげようとすると喉に血が流れ込んでくる。
 窓の外で蝉が必死に愛を叫ぶなか、俺も負けじと心のなかで助けを求めていた。
 誰か来て、俺を助けて、俺のことを見つけて、どうか誰か──
 ドアが開いたのは、そのときだ。

『うおっ』

 真っ先に目に入ったのは、その人物が履いていた内履きの青いラインだ。

『えっ、なに!? 事件!?』

 違います、ただの鼻血です──はくはくと唇を動かしながら、俺は血まみれの手を必死にのばそうとする。

『ああ、鼻血か──って、顔あげるな! 下向け、下!』

 遠慮ない力で、頭を押さえこまれた。そのせいで、さらなる血だまりが床にできた。

『ごめんな、乱暴なことをして。でも、鼻血が出たときに上を向くと、窒息するかもっていうじゃん?』

 それは初耳。けど、たしかに顔をあげようとするたびにゴボゴボと喉に血が流れ込んできていた。そうか、あのままだと窒息していたかもしれないのか。ということは、この人は俺の命の恩人だ。
 ふと、彼の内履きのつま先部分に、鮮やかな赤丸ができていることに気がついた。まずい、どう考えてもこれは俺の鼻血だ。
 すみません、と謝ったつもりが、うまく発声できなくて「すびばぜん」になった。

『え、何が?』
『ほへ……ふず……』
『靴? ──ああ!』

 返ってきたのは、朗らかな笑い声だった。

『いいって! こんなの洗えばきれいになるし』

 さらに、くしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜられる。
 なんだろう、気持ちいい。人に頭を撫でられたりするの、特に好きってわけでもないのに。
 うつむいたまま考えこんでいると、視界にひょいと見知らぬ顔が割り込んできた。

『どう? 鼻血、止まった?』

 やや茶色がかった黒い瞳に、まぬけな顔をした俺が映っている。
 どくん、と心臓が跳ねた。このまま口から飛び出してもおかしくないような勢いだった。

『……ん? 大丈夫? 俺の声、聞こえてる?』

 目の前でひらひらと手を振られ、俺は弾かれたように顔をあげた。
 初めて正面から見た、その顔。つりあがり気味の目尻、薄い唇、明るすぎるほどの茶髪──そのすべてに俺は釘付けになった。

『鼻血は?』
『……』
『ん……大丈夫っぽいな』

 涼しげな目を、さらに細めるようにその人は笑った。
 その瞬間、再びたらりと生ぬるいものが鼻から流れ落ちた。

『うわわっ、血! また鼻血出てる!』

 慌てる彼の声を聞きながら、俺はぼんやり思った。
 ああ、俺は今、恋に落ちてしまったんだ──と。
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