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第7話

6・丸まった肩

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 5号車は自由席だったが、悪天候のせいか乗客はまばらだ。先に車両に入った緒形は、入り口に比較的近い三人掛けの座席に荷物を置くと、くるりと菜穂に向きなおった。

「窓際にいく?」
「あ、うん……」

 菜穂がコートを脱いで奥の席に座ると、緒形は真ん中の座席に腰をおろした。てっきり真ん中の座席を空けて座るとばかり思っていた菜穂は「ん? 何?」と訊ねられて、慌てて首を横に振った。
 普通車なので、座席はそれほど広くない。肘掛けにおいた緒形の肘がぶつかりそうな気がして、菜穂はキュッと身体をすぼめた。
 さて、何を話そうか。今の胸の内を素直に口にするなら「来てくれて良かった」といったところだが、わざわざそう伝えるのもなんだか気恥ずかしい。
 すると、緒形が先にむっすりと口を開いた。

「笑えば。あれだけゴネてたくせに結局来るのかよ、って」
「笑わないよ」

 先程まで気恥ずかしいと思っていた本音が、菜穂の口からつるりと滑り出た。

「来てくれて良かったって、本当に思ってる」

 実はちょっとあきらめかけていたから――そんな弱音まで付け加えると、緒形は「ふーん」とメガネの奥の目を細めた。そこには、先ほどまでとは打って変わって、からかうような色が滲んでいる。

「俺は、三辺はしつこく待っていそうって思ってた。それこそ、時間ギリギリまでずっと」

 そのとおりだ。実際、待てるギリギリまで待つつもりでいた。けれど、それを緒形に見抜かれていたのは、なんだかひどくいたたまれない。

「ていうか荷物多すぎだろ。まさか一泊すんの?」
「いちおう、日帰りのつもりではいるけど……」

 ちら、と窓の外に目を向けたことに気づいたのだろう。緒形は「ああ」と眉をひそめた。

「今日、荒れるんだっけ」
「記録的な大雪だって」
「ほんと、どこまでも迷惑なヤツだよなぁ、あの男」
「それは……さすがに関係ないと思うけど」

 当たり前のことだが、天候は人の力でどうにかできるものではない。緒形の父親も、それを自分のせいにされては困惑するだろう。
 しばし沈黙が続いたあと、緒形はぽつりと口を開いた。

「そういえば雪だったんだよな」
「なにが?」
「最後に、あいつと会ったとき」

 雪のなか、呼び出されて迷惑だった──そんな恨み言を、緒形は独り言のように呟く。
 けれど、その横顔はどこか寂しげで、菜穂は10代のころの彼を思い出した。今より幼く、不遜で、自信にあふれていて、そのくせいつもどこか不安そうな色を滲ませていた。今の自分が、当時の彼の隣にいたら「どうしたの」と背中をさすっていたかもしれない。

「手術は15時からだっけ?」
「そうだよ」
「終わるのは?」
「5~6時間はかかるらしいから、下手すれば21時を過ぎると思う」
「遅っ……え、それで帰れんの?」
「22時台の新幹線があるから」

 暇つぶしもあるし、と鞄のファスナーを開けてみせる。どんと存在を主張する5冊の文庫本に、緒形は「それでその荷物か」と納得したようにうなずいた。

「やべ……俺、なにも持ってきてない。スマホって見てもいいんだっけ」
「待合室では大丈夫だったと思うけど……よかったら、私の本貸そうか?」

 彼の好みはわからないが、1冊くらいは興味をもてるものがあるかもしれない。
 緒形は、しばらく黙り込んだあと「ホラー以外なら」と視線をよこした。そのどこか恨めしそうな眼差しに、菜穂はたまらず吹き出した。

「大丈夫、今日は持ってきてないよ」
「本当かよ」
「本当だってば。病院でホラーはさすがにね」
「たしかに……だったら借りる。たぶん」

 緒形は唇を軽く尖らせると、そのままくるりと菜穂に背を向けた。

「じゃあ、俺、寝るから。着いたら起こして」
「いいけど……座席、変わろうか?」

 窓際のほうが眠りやすいのでは、と思ったのだが、緒形は「いい、このままで」と頑なだ。
 わずかに丸まったその肩に、菜穂はふと触れてみたくなった。理由は、自分でもよくわからない。ただ、なんとなくそっと撫でてみたくなったのだ。
 菜穂はしばらく逡巡して、けれど結局は伸ばしかけた右手を膝の上に戻した。ことん、と頭を寄せた小さな窓は、水滴で濡れて冷たかった。
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