113 / 130
第7話
5・当日
しおりを挟む
手術当日、午前11時。
菜穂は、新幹線の改札内にある待合室のなかにいた。
天気予報は午後から大雪とのことで、現時点では特に目立った遅れは出ていない。
問題は帰りだ。新幹線や在来線が止まれば、東京に戻れなくなってしまう。
念のため、ホテルを取っておくべきか。その場合、シングル1部屋でいいのか。
(でも、2部屋になるかもしれないし)
手術日と時間については、すでに緒形に伝えてある。何時の新幹線に乗る予定なのかも、まずはメールで、さらに昨日はメッセージアプリでも「リマインド」としてその旨をしっかり送っておいた。
アプリのメッセージには既読がついていたから、目は通しているはずだ。
けれど返信はこない。だから、彼が今日どうするつもりなのか、菜穂にはまったくわからない。
それでも、数日前までは「絶対に来る」と信じていた。緒形があそこまで父親を嫌うのは、まだぶつけたい思いが燻っているからではないか。だったら、なんだかんだ言いながらも結局は会いに行こうとするのではないか――
だが、今日になっても緒形からの返信はない。
加えて、本日の天気予報は「大雪」だ。テレビは、昨夜から「不必要な外出は控えるように」と繰り返し警告を出している。
それでも、菜穂は信じたかった。信じるつもりで、ここまで来た。
(ギリギリまで待ってみよう)
緒形には12時40分発の新幹線に乗ると伝えたが、実はもう一本あとの新幹線でも手術にはなんとか間に合う。だから、待つとしたら、その次の便――13時4分までだ。
「――よし」
覚悟を決めて、菜穂はカバーがかかっている文庫本を取り出した。
布地のカバーは例の緒形からもらったもので、10年もの間愛用したことで、端々がほつれはじめている。けれど、それさえも、菜穂はいたく気に入っていた。この長い月日を共に歩んできた、証のように感じていた。
ふと、菜穂は手を止めた。
(緒形くんと、どうしてこんなふうになれなかったんだろう)
10年前──17歳の自分が、勇気をふりしぼれなかったことがすべてな気がする。
あのとき、臆せず本音をぶつけていたら、自分たちは自然消滅せずに済んだのではないか。それこそ、古びたほつれさえも愛おしく感じるような、そんな関係をふたりで築けたのではないだろうか。
(今回の、立会人のことだって……)
それだけ深い関係性であったなら、もっと容易く説得できていたに違いない。あるいは、説得できなかったとしても、こうも心を閉ざされるようなことはなかったような気がする。
だが、結局はどれも「たられば」だ。今更、過去は変えられないのだ。
(だったら、今の私にできることを)
自分に言い聞かせて、菜穂は文庫本の表紙をめくった。
けれど、その内容はまったくといっていいほど頭に入ってこなかった。
数行読んでは時計を眺め、数行読んではスマートフォンのメッセージアプリを確認する──そんなことを何度も繰り返し、気がつけば時刻は正午をまわっていた。
メールにもメッセージアプリにも、新着メッセージは届いていなかった。
それでも、どうしてもあきらめることができないまま、ひとまず菜穂は新幹線のホームへと向かうことにした。
外気は大雪警報が出ているのも納得の冷たさで、菜穂の頬や指先を容赦なく突き刺した。震える手で「5号車の列にいます」とメッセージを送り、ホットドリンクを購入して列に並ぶ。
乗車予定の新幹線の清掃が終わったようで、並んでいた列が動きはじめた。皆が白い息を吐きながら車内に吸い込まれていくなか、菜穂はひとり、ドア口の前で緒形を待った。
発車3分前……2分前……1分前──
(ダメだ、もう来ない)
菜穂は、あきらめて待合室に戻ろうとした。このまま次発列車の列に並ぶことも考えたが、凍えそうな外気のなか、30分以上も待機するのはあまりにも辛すぎる。
とりあえず暖をとっていたホットドリンクを飲んで、それから再びホームにあがる前にまたホットドリンクを買い直して──そんな段取りを考えていた矢先だった。
「すみません、乗ります! 通して!」
聞き覚えのある声に、菜穂は勢いよく振り向いた。
「緒形く……」
「乗るんだろ、ほら!」
強い力で腕を掴まれ、そのまま車内に引っ張りこまれる。
背後で、音をたててドアが閉まった。
車体がゆっくり動き出したところで、菜穂は改めて自分の右腕を掴んだままの男を見上げた。
「……なんだよ」
ふてくされたように唇をとがらせた緒形は、髪がボサボサな上に、メガネをかけている。
菜穂は、思わず笑ってしまった。
菜穂は、新幹線の改札内にある待合室のなかにいた。
天気予報は午後から大雪とのことで、現時点では特に目立った遅れは出ていない。
問題は帰りだ。新幹線や在来線が止まれば、東京に戻れなくなってしまう。
念のため、ホテルを取っておくべきか。その場合、シングル1部屋でいいのか。
(でも、2部屋になるかもしれないし)
手術日と時間については、すでに緒形に伝えてある。何時の新幹線に乗る予定なのかも、まずはメールで、さらに昨日はメッセージアプリでも「リマインド」としてその旨をしっかり送っておいた。
アプリのメッセージには既読がついていたから、目は通しているはずだ。
けれど返信はこない。だから、彼が今日どうするつもりなのか、菜穂にはまったくわからない。
それでも、数日前までは「絶対に来る」と信じていた。緒形があそこまで父親を嫌うのは、まだぶつけたい思いが燻っているからではないか。だったら、なんだかんだ言いながらも結局は会いに行こうとするのではないか――
だが、今日になっても緒形からの返信はない。
加えて、本日の天気予報は「大雪」だ。テレビは、昨夜から「不必要な外出は控えるように」と繰り返し警告を出している。
それでも、菜穂は信じたかった。信じるつもりで、ここまで来た。
(ギリギリまで待ってみよう)
緒形には12時40分発の新幹線に乗ると伝えたが、実はもう一本あとの新幹線でも手術にはなんとか間に合う。だから、待つとしたら、その次の便――13時4分までだ。
「――よし」
覚悟を決めて、菜穂はカバーがかかっている文庫本を取り出した。
布地のカバーは例の緒形からもらったもので、10年もの間愛用したことで、端々がほつれはじめている。けれど、それさえも、菜穂はいたく気に入っていた。この長い月日を共に歩んできた、証のように感じていた。
ふと、菜穂は手を止めた。
(緒形くんと、どうしてこんなふうになれなかったんだろう)
10年前──17歳の自分が、勇気をふりしぼれなかったことがすべてな気がする。
あのとき、臆せず本音をぶつけていたら、自分たちは自然消滅せずに済んだのではないか。それこそ、古びたほつれさえも愛おしく感じるような、そんな関係をふたりで築けたのではないだろうか。
(今回の、立会人のことだって……)
それだけ深い関係性であったなら、もっと容易く説得できていたに違いない。あるいは、説得できなかったとしても、こうも心を閉ざされるようなことはなかったような気がする。
だが、結局はどれも「たられば」だ。今更、過去は変えられないのだ。
(だったら、今の私にできることを)
自分に言い聞かせて、菜穂は文庫本の表紙をめくった。
けれど、その内容はまったくといっていいほど頭に入ってこなかった。
数行読んでは時計を眺め、数行読んではスマートフォンのメッセージアプリを確認する──そんなことを何度も繰り返し、気がつけば時刻は正午をまわっていた。
メールにもメッセージアプリにも、新着メッセージは届いていなかった。
それでも、どうしてもあきらめることができないまま、ひとまず菜穂は新幹線のホームへと向かうことにした。
外気は大雪警報が出ているのも納得の冷たさで、菜穂の頬や指先を容赦なく突き刺した。震える手で「5号車の列にいます」とメッセージを送り、ホットドリンクを購入して列に並ぶ。
乗車予定の新幹線の清掃が終わったようで、並んでいた列が動きはじめた。皆が白い息を吐きながら車内に吸い込まれていくなか、菜穂はひとり、ドア口の前で緒形を待った。
発車3分前……2分前……1分前──
(ダメだ、もう来ない)
菜穂は、あきらめて待合室に戻ろうとした。このまま次発列車の列に並ぶことも考えたが、凍えそうな外気のなか、30分以上も待機するのはあまりにも辛すぎる。
とりあえず暖をとっていたホットドリンクを飲んで、それから再びホームにあがる前にまたホットドリンクを買い直して──そんな段取りを考えていた矢先だった。
「すみません、乗ります! 通して!」
聞き覚えのある声に、菜穂は勢いよく振り向いた。
「緒形く……」
「乗るんだろ、ほら!」
強い力で腕を掴まれ、そのまま車内に引っ張りこまれる。
背後で、音をたててドアが閉まった。
車体がゆっくり動き出したところで、菜穂は改めて自分の右腕を掴んだままの男を見上げた。
「……なんだよ」
ふてくされたように唇をとがらせた緒形は、髪がボサボサな上に、メガネをかけている。
菜穂は、思わず笑ってしまった。
15
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?
さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。
私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。
見た目は、まあ正直、好みなんだけど……
「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」
そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。
「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」
はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。
こんなんじゃ絶対にフラれる!
仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの!
実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる