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第7話

5・当日

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 手術当日、午前11時。
 菜穂は、新幹線の改札内にある待合室のなかにいた。
 天気予報は午後から大雪とのことで、現時点では特に目立った遅れは出ていない。
 問題は帰りだ。新幹線や在来線が止まれば、東京に戻れなくなってしまう。
 念のため、ホテルを取っておくべきか。その場合、シングル1部屋でいいのか。

(でも、2部屋になるかもしれないし)

 手術日と時間については、すでに緒形に伝えてある。何時の新幹線に乗る予定なのかも、まずはメールで、さらに昨日はメッセージアプリでも「リマインド」としてその旨をしっかり送っておいた。
 アプリのメッセージには既読がついていたから、目は通しているはずだ。
 けれど返信はこない。だから、彼が今日どうするつもりなのか、菜穂にはまったくわからない。
 それでも、数日前までは「絶対に来る」と信じていた。緒形があそこまで父親を嫌うのは、まだぶつけたい思いが燻っているからではないか。だったら、なんだかんだ言いながらも結局は会いに行こうとするのではないか――
 だが、今日になっても緒形からの返信はない。
 加えて、本日の天気予報は「大雪」だ。テレビは、昨夜から「不必要な外出は控えるように」と繰り返し警告を出している。
 それでも、菜穂は信じたかった。信じるつもりで、ここまで来た。

(ギリギリまで待ってみよう)

 緒形には12時40分発の新幹線に乗ると伝えたが、実はもう一本あとの新幹線でも手術にはなんとか間に合う。だから、待つとしたら、その次の便――13時4分までだ。

「――よし」

 覚悟を決めて、菜穂はカバーがかかっている文庫本を取り出した。
 布地のカバーは例の緒形からもらったもので、10年もの間愛用したことで、端々がほつれはじめている。けれど、それさえも、菜穂はいたく気に入っていた。この長い月日を共に歩んできた、証のように感じていた。
 ふと、菜穂は手を止めた。

(緒形くんと、どうしてこんなふうになれなかったんだろう)

 10年前──17歳の自分が、勇気をふりしぼれなかったことがすべてな気がする。
 あのとき、臆せず本音をぶつけていたら、自分たちは自然消滅せずに済んだのではないか。それこそ、古びたほつれさえも愛おしく感じるような、そんな関係をふたりで築けたのではないだろうか。

(今回の、立会人のことだって……)

 それだけ深い関係性であったなら、もっと容易く説得できていたに違いない。あるいは、説得できなかったとしても、こうも心を閉ざされるようなことはなかったような気がする。
 だが、結局はどれも「たられば」だ。今更、過去は変えられないのだ。

(だったら、今の私にできることを)

 自分に言い聞かせて、菜穂は文庫本の表紙をめくった。
 けれど、その内容はまったくといっていいほど頭に入ってこなかった。
 数行読んでは時計を眺め、数行読んではスマートフォンのメッセージアプリを確認する──そんなことを何度も繰り返し、気がつけば時刻は正午をまわっていた。
 メールにもメッセージアプリにも、新着メッセージは届いていなかった。
 それでも、どうしてもあきらめることができないまま、ひとまず菜穂は新幹線のホームへと向かうことにした。
 外気は大雪警報が出ているのも納得の冷たさで、菜穂の頬や指先を容赦なく突き刺した。震える手で「5号車の列にいます」とメッセージを送り、ホットドリンクを購入して列に並ぶ。
 乗車予定の新幹線の清掃が終わったようで、並んでいた列が動きはじめた。皆が白い息を吐きながら車内に吸い込まれていくなか、菜穂はひとり、ドア口の前で緒形を待った。
 発車3分前……2分前……1分前──

(ダメだ、もう来ない)

 菜穂は、あきらめて待合室に戻ろうとした。このまま次発列車の列に並ぶことも考えたが、凍えそうな外気のなか、30分以上も待機するのはあまりにも辛すぎる。
 とりあえず暖をとっていたホットドリンクを飲んで、それから再びホームにあがる前にまたホットドリンクを買い直して──そんな段取りを考えていた矢先だった。

「すみません、乗ります! 通して!」

 聞き覚えのある声に、菜穂は勢いよく振り向いた。

「緒形く……」
「乗るんだろ、ほら!」

 強い力で腕を掴まれ、そのまま車内に引っ張りこまれる。
 背後で、音をたててドアが閉まった。
 車体がゆっくり動き出したところで、菜穂は改めて自分の右腕を掴んだままの男を見上げた。

「……なんだよ」

 ふてくされたように唇をとがらせた緒形は、髪がボサボサな上に、メガネをかけている。
 菜穂は、思わず笑ってしまった。
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