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第7話
2・理由
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心を射抜くような強い眼差しに、緒形はみっともないほど狼狽えた。
ああ、気づかれている。先ほどぶつけた言葉が、ただの勢いやなりゆきからではなく、明確な目的をもって発せられたものなのだと、菜穂はおそらく理解している。
その上で、彼女は「受けて立つ」とばかりに、緒形の手首を掴んだのだ。この寒空の下、煮えるような熱いてのひらで。
「ごめん、悪かった」
気づけば、するりと謝罪の言葉が滑りでていた。
「ひどいことを言った。本当にごめん」
菜穂の丸い目に、自分が映っている。情けなくてみっともない、どうしようもない男の顔だ。
菜穂がなにかを言いかけたところで、車のクラクションが鳴り響いた。そういえば、横断歩道を渡っている途中だったことを、今さらのように思い出す。
慌てて駆け出し、完全に渡りきったところで、お互いどちらからともなく足を止めた。軽く息を弾ませながら隣を見ると、菜穂もまたうつむき、細い肩を静かに上下させている。
その肩に、半ば無意識のうちに手を伸ばしかけたところで、菜穂が「じゃあ」と身体を起こした。
「手術の代理人、引き受ける?」
「……いや」
「どうしても?」
「どうして、も」
歯切れの悪い返答に、緒形自身が驚いた。なにより即答できなかったことに、内心ひそかにうろたえた。
いったい自分はどうしてしまったのか。この件に関する答えはひとつしかないというのに。
動揺を誤魔化すかのように、緒形は「いや、それよりさ」と、敢えて朗らかな声をあげた。
「三辺こそ、なんでそんなにこだわんの?」
「……え?」
「俺が立会人を断ったところで、三辺には何の影響もないだろ。なのに、なんでそんなに俺に引き受けさせようとするわけ?」
菜穂は、考え込むように視線を落とした。飾り気のない彼女のまつげを、緒形はどこかぼんやりと眺めた。
自分から訊ねておきながら、実は緒形自身はそれほど答えを求めていたわけではない。そもそも、この問いの本当の意図は、菜穂への牽制だ。「無関係な事柄に、なぜ首をつっこむのか」──それを、遠回しに指摘しただけに過ぎない。
けれど、菜穂は真摯に答えを探そうとしているらしい。やがて、薄い唇がためらうように言葉を発した。
「いいのかなって」
「……え?」
「せっかくお父さんに会える機会なのに、会わなくてもいいのかなって」
「いいに決まってるだろ」
今度は、緒形も即答した。
「あんなやつの顔、二度と見たくないんだし」
「でも、言いたいことは?」
汗ばんだてのひらが、再び緒形の左手に触れた。
「会ったら言ってやりたかったこととか、そういうの、あったりしない? これって絶好の機会だよ? 今、再会すれば、中学生だった緒形くんが言えなかったこと、言えるかもしれないんだよ?」
「べつに、そんなもの──」
「私はあったよ、そういうの。だから、高校時代の緒形くんとのこと──実は、すごく後悔してる」
緒形は、警戒するように顎を引いた。菜穂が何を言おうとしているのか、その意図がまったく見えてこない。
「緒形くんの家に行って、いろいろあって──あのとき、本当は言いたいことがいっぱいあって。『ひどい』とか『どうして』とか、そういうこと、本当は言いたかったのに、それをぶつけるだけの勇気がなくて……結局、ぜんぶ飲み込んだ。だから、10年も引きずったんだと思ってる。あのとき、あの場で、言うべきことを伝えられなかったから」
菜穂のてのひらに、力が込められた。
「やらなかったことに対する後悔ってずっと残るし、ひどいときは『恨み』とか『憎しみ』になるんだよ。私にとっての緒形くんが、そうだったように」
「……」
「緒形くんはどう? 心当たりはない? 緒形くんが未だにお父さんを許せないのって、やり残したことがあるからじゃないの?」
緒形は、視線を逸らした。気づけば、口のなかがカラカラに乾いていた。
菜穂の指摘は、おそらく間違っていない。あの雪の日にぶつけそびれた感情は、今も泥のように緒形の心に沈んでいる。
それでも、緒形はうなずけない。つまらないプライドのせいか、あるいはくだらない反発心か。
冷えた沈黙が漂うなか、菜穂は「わかった」とため息を洩らした。
「だったら、私が引き受ける」
「──は?」
「お父さんの手術の立会人、私が引き受けるよ」
ああ、気づかれている。先ほどぶつけた言葉が、ただの勢いやなりゆきからではなく、明確な目的をもって発せられたものなのだと、菜穂はおそらく理解している。
その上で、彼女は「受けて立つ」とばかりに、緒形の手首を掴んだのだ。この寒空の下、煮えるような熱いてのひらで。
「ごめん、悪かった」
気づけば、するりと謝罪の言葉が滑りでていた。
「ひどいことを言った。本当にごめん」
菜穂の丸い目に、自分が映っている。情けなくてみっともない、どうしようもない男の顔だ。
菜穂がなにかを言いかけたところで、車のクラクションが鳴り響いた。そういえば、横断歩道を渡っている途中だったことを、今さらのように思い出す。
慌てて駆け出し、完全に渡りきったところで、お互いどちらからともなく足を止めた。軽く息を弾ませながら隣を見ると、菜穂もまたうつむき、細い肩を静かに上下させている。
その肩に、半ば無意識のうちに手を伸ばしかけたところで、菜穂が「じゃあ」と身体を起こした。
「手術の代理人、引き受ける?」
「……いや」
「どうしても?」
「どうして、も」
歯切れの悪い返答に、緒形自身が驚いた。なにより即答できなかったことに、内心ひそかにうろたえた。
いったい自分はどうしてしまったのか。この件に関する答えはひとつしかないというのに。
動揺を誤魔化すかのように、緒形は「いや、それよりさ」と、敢えて朗らかな声をあげた。
「三辺こそ、なんでそんなにこだわんの?」
「……え?」
「俺が立会人を断ったところで、三辺には何の影響もないだろ。なのに、なんでそんなに俺に引き受けさせようとするわけ?」
菜穂は、考え込むように視線を落とした。飾り気のない彼女のまつげを、緒形はどこかぼんやりと眺めた。
自分から訊ねておきながら、実は緒形自身はそれほど答えを求めていたわけではない。そもそも、この問いの本当の意図は、菜穂への牽制だ。「無関係な事柄に、なぜ首をつっこむのか」──それを、遠回しに指摘しただけに過ぎない。
けれど、菜穂は真摯に答えを探そうとしているらしい。やがて、薄い唇がためらうように言葉を発した。
「いいのかなって」
「……え?」
「せっかくお父さんに会える機会なのに、会わなくてもいいのかなって」
「いいに決まってるだろ」
今度は、緒形も即答した。
「あんなやつの顔、二度と見たくないんだし」
「でも、言いたいことは?」
汗ばんだてのひらが、再び緒形の左手に触れた。
「会ったら言ってやりたかったこととか、そういうの、あったりしない? これって絶好の機会だよ? 今、再会すれば、中学生だった緒形くんが言えなかったこと、言えるかもしれないんだよ?」
「べつに、そんなもの──」
「私はあったよ、そういうの。だから、高校時代の緒形くんとのこと──実は、すごく後悔してる」
緒形は、警戒するように顎を引いた。菜穂が何を言おうとしているのか、その意図がまったく見えてこない。
「緒形くんの家に行って、いろいろあって──あのとき、本当は言いたいことがいっぱいあって。『ひどい』とか『どうして』とか、そういうこと、本当は言いたかったのに、それをぶつけるだけの勇気がなくて……結局、ぜんぶ飲み込んだ。だから、10年も引きずったんだと思ってる。あのとき、あの場で、言うべきことを伝えられなかったから」
菜穂のてのひらに、力が込められた。
「やらなかったことに対する後悔ってずっと残るし、ひどいときは『恨み』とか『憎しみ』になるんだよ。私にとっての緒形くんが、そうだったように」
「……」
「緒形くんはどう? 心当たりはない? 緒形くんが未だにお父さんを許せないのって、やり残したことがあるからじゃないの?」
緒形は、視線を逸らした。気づけば、口のなかがカラカラに乾いていた。
菜穂の指摘は、おそらく間違っていない。あの雪の日にぶつけそびれた感情は、今も泥のように緒形の心に沈んでいる。
それでも、緒形はうなずけない。つまらないプライドのせいか、あるいはくだらない反発心か。
冷えた沈黙が漂うなか、菜穂は「わかった」とため息を洩らした。
「だったら、私が引き受ける」
「──は?」
「お父さんの手術の立会人、私が引き受けるよ」
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