上 下
98 / 130
第6話

8・どろりとした感情

しおりを挟む
 左隣から聞こえてきた呟きに、緒形は「ん?」と顔をあげた。
 たしかに、表通りでは白いものがふわふわと舞っている。けれど、雪にしてはどうも動きが妙だ。

「……あ、違うね、これ」
「だな……照明か?」

 おそらく牛丼屋の上階にある店が、通行人の足を止めるために何か仕掛けているのだろう。実際、通りかかったカップルや大学生の集団が、興味深そうに上方を見あげている。

「雪かと思っちゃった」
「そうか? 雪にしては動きが不自然だろ。そもそも地面も濡れてないし」

 これでこの話題は終わるかと思いきや、菜穂は意外なことを言いだした。

「緒形くんがいるからかも」
「……俺?」
「私のなかで、雪といえば緒形くんなんだよね」

 ついこぼれ出たかのような、独り言めいた言葉。
 緒形は、生玉子を掻き混ぜる手を止めた。
 菜穂は、あいかわらず光の粒を眺めている。この様子だと、特に緒形の返答は求めていないのかもしれない。
 それでも、緒形の胸に様々な感情が押し寄せてきた。
 彼らしくない感傷、好奇心、あるいは妙なくすぐったさ。その一方で、なぜ「雪」と自分がつながっているのか──その理由を想像しただけで、気持ちはずんと重くなる。

「それって、俺の名前のせい?」

 つい、口調に皮肉げな色が混じった。
 菜穂は、ふいを突かれたように目を丸くした。

「ううん──冬にお別れしたから、かな」

 どこか歯切れの悪い物言いに、緒形は嘘の気配を嗅ぎとった。
 そういえば、菜穂は、緒形が自分の名前を嫌っていることを知っているのだった。だから、こうしたもっともらしい嘘をついたのだろう。
 ただ、そんな彼女でも、嫌う理由までは知らないはずだ。菜穂に限らず、歴代の恋人の誰にも、緒形はこれまで打ち明けたことがない。
 手元の小鉢には、まだ混ざりきっていない白身が残っている。どろりとした、まるで今の自分の心情そのもののようなそれを、緒形は一気に丼に流し込んだ。
 そして、事もなげに口を開いた。それこそ、明日の天気の話でもするかのように。

「三辺さ、このあと時間ある?」
「……え?」
「もし時間があるなら、もうちょっと俺に付き合わない?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥ えっちめシーンの話には♥マークを付けています。 ミックスド★バスの第5弾です。

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

Promise Ring

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
浅井夕海、OL。 下請け会社の社長、多賀谷さんを社長室に案内する際、ふたりっきりのエレベーターで突然、うなじにキスされました。 若くして独立し、業績も上々。 しかも独身でイケメン、そんな多賀谷社長が地味で無表情な私なんか相手にするはずなくて。 なのに次きたとき、やっぱりふたりっきりのエレベーターで……。

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

イケメンエリート軍団の籠の中

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり 女子社員募集要項がネットを賑わした 1名の採用に300人以上が殺到する 松村舞衣(24歳) 友達につき合って応募しただけなのに 何故かその超難関を突破する 凪さん、映司さん、謙人さん、 トオルさん、ジャスティン イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々 でも、なんか、なんだか、息苦しい~~ イケメンエリート軍団の鳥かごの中に 私、飼われてしまったみたい… 「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる 他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」

処理中です...