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第6話

5・うまくいかない

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 それでも、午後からの取引先との顔合わせはそつなく終わらせて、この日はほぼ定時であがることができた。「せっかくだから飲みにいこうぜ」と先輩に誘われたが、どうにも今はそんな気分にはなれそうにない。

「すみません、このあと人と会う約束があるんで」
「おっ、女か?」
「いやぁ……そこはナイショってことで」

 敢えて意味ありげに笑ってみせると「ふざけんなよ」と軽く肩を小突かれた。こういう断り方をするからおかしな噂が広まるわけだが、バカ正直に「気が乗らないので」などと口にして角が立つよりはよほどましだ。
 かくして、緒形はひとりで会社を後にした。
 駅までの足取りがいつになく重たいのは、今日一日のもろもろに加えて、単純に腹が減っているからに違いない。

(何か食べてから帰るか)

 ふと目についたのは、よく行く牛丼屋の看板──先月、菜穂と訪れた店だ。
 その事実に気づいたとたん、昼間のたいそう格好悪いやりとりが脳裏によみがえった。瞬く間に気分は沈み、緒形は軽く舌打ちをする。

(マジで、勘弁してくれよ)

 結局その店は素通りし、もっと先にある別の牛丼チェーン店に足を踏み入れた。ここは食券方式の店なので、まずは何を食べるのか決めなければいけない。

(まあ……牛丼だよな)

 「店内」「牛丼」とタッチパネルを押していく。すると、けっこうな数のメニューがずらりと表示された。
 そういえば、このチェーン店の売りは「変わり種の牛丼」だ。好奇心をくすぐられるものから「それはないだろう」というものまで、様々な牛丼が用意されている。

(三辺なら、この時点でうろたえてるだろうな)

 定番のものにするか、それとも勇気を出して冒険してみようか──キュッと唇を引き結ぶ彼女の横顔を想像する。

(あるな……絶対ある)

 ふ、と笑ったところで緒形は我に返った。
 なぜ、ここでもまた三辺菜穂のことを思い出さなければいけないのか。なんだか打ちのめされたような気分だ。

(とりあえず、ふつうの牛丼にしておくか)

 定番の商品に生玉子を追加して、店員に食券を渡した。「セルフサービス店」とあったから、できあがり次第、番号を呼ばれるのだろう。
 あたたかなお茶とともに席に着いたところで、スマートフォンがブルブルと震えだした。
 発信者は「公衆電話」──ああ、すでに嫌な予感しかしない。
 さんざん迷った末に、緒形は通話アイコンをタップした。

「──緒形ですが」
『おお、やっと出た』

 からかうような元父親の声に、緒形ははっきりと舌打ちをしてみせた。
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