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第5話

17・待ちながら

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 地下鉄の入り口で千鶴と別れるなり、菜穂は鞄からスマートフォンを取りだした。
 改めてメッセージアプリを開き、15分前に届いたメッセージをまじまじと見つめる。

 ──「今晩、時間ある?」

 正直に答えるなら「ある」だ。
 ただ、緒形からこうしたメッセージをもらう理由がわからない。

(もしかして、デート──とか?)

 そう考えたそばから「5日前に交際を解消したのに?」と、冷静なもうひとりの自分が疑問を投げかけてくる。
 では、なぜこのようなメッセージが送られてきたのか。いろいろ考えてみたものの、納得のいく答えが見つからない。
 結局、菜穂はスタンプをひとつ送ることにした。人気のキャラクターが「うん」とうなずいているものだ。
 既読は、すぐについた。返信も驚くほど早く届いた。

 ──「今どこ? 社内?」

 周囲を見まわすと、ビルの1階にある書店が目に入った。奇しくも、今日の帰りに寄ろうと考えていた店だ。
 その書店の店名を打ち込むと、今度は「了解」のスタンプが送られてきた。

 ──「待ってて」
 ──「たぶん30分以内に行けるはず」

 菜穂はしばらくそのメッセージを眺めたあと、待ち合わせ場所となった書店へ向かうことにした。
 会社員の利用が多いせいか、書店の店頭にはビジネス書の新刊がずらりと平積みになっている。その次に目につくのは、20代~30代向け女性誌の最新号──おそらく、菜穂のような仕事帰りの女性をターゲットにしているのだろう。
 けれど、菜穂のお目当てはもっと奥にある文庫本の棚だ。ぽつぽつとしか人がいないそこには、最近刊行されたばかりの小説が出版社ごとに積まれている。
 菜穂は、まずそれらの表紙をながめると、気になった作品を手に取り裏表紙を確認した。そこにはたいていあらすじが書いてあり、購入するかどうかの大きな決め手になる。
 それなのに、今日はその内容がまるで頭に入ってこない。文面を追おうとしても目がすべるばかりで、いわゆる「気もそぞろ」な状態だ。
 それもそのはず、菜穂の意識は今、明らかに書店の入り口に向けられている。自動ドアの開閉音が聞こえるたびに、ついそちらに気を取られてしまうのだ。

(なにをやってるんだろう、私)

 そんなに気になるなら、いっそ入り口で待てばいいのではないか。そう思いはじめた矢先、鞄のなかのスマートフォンがブルブルと音をたてた。
 案の定、緒形からのメッセージが届いていた。

 ──「今、会社を出た。10分くらいで着く」

 だったら、と移動しかけて、菜穂はふと足を止めた。
 入り口で待つだなんて、いかにも「待ってました」と言わんばかりではないだろうか。
 そんなのは恥ずかしい。いたたまれない。けれど、こんな奥まった場所で待っていては、緒形も探すのに一苦労しそうな気がする。
 さんざん迷ったものの、結局は気恥ずかしさが勝った。もし、緒形が菜穂を見つけられなかったとしても「今どこ?」などのメッセージが送られてくるだろう。

(やっぱり、このまま待とう)

 菜穂は、別の文庫本を手に取った。ほんの150文字ほどのあらすじを繰り返し読んでいるうちに、どこか慌ただしい足音が近づいてきた。

「──いた、絶対ここだと思った」

 得意げな声とともに、緒形は菜穂の隣に並んだ。

「ごめん、待たせて。──それ買うの?」
「あ、うん……」
「じゃあ、貸して」

 緒形は、当たり前のように、菜穂の手から文庫本をとりあげた。

「えっ、あの……」
「他に欲しいのは? あと1冊くらいならプレゼントするけど」

 思いがけない申し出に、菜穂はギョッとして頭を振った。

「いいよ、自分で買うよ」
「まあまあ」
「『まあまあ』じゃなくて──そんなことしてもらう理由もないし」
「理由ならあるけど」

 緒形は、背中を屈めて菜穂の顔を覗き込んできた。

「今週、三辺が残業してたの、俺のせいだよな?」

 真摯な眼差しでそう問われて、菜穂は言葉を詰まらせた。
 たしかに、緒形が担当することになったクライアントのトラブルに巻き込まれたのは事実だ。けれど、それを「緒形のせい」というのはどうなのだろう。

「違うよ」

 だから、これは菜穂の本心だ。

「緒形くんのせいなんかじゃない。たぶん──誰のせいでもないと思う」
「……そっか」

 緒形の唇に、苦い笑みが浮かんだ。

「そういうとこ、三辺らしいよな」
「──そういうところって?」
「自分の基準を、絶対に曲げないところ」

 はい、と菜穂に文庫本を返すと、緒形はやわらかく目を細めた。

「じゃあ、それはプレゼントしない。でも、飯くらいはおごらせて。他の制作部の人たちにも、お詫びのケーキを差し入れしているし」
「でも……」
「それとも、三辺もカップケーキをもらうほうが良かった? だったら週明けに買ってくるけど」

 菜穂は、返答に迷った。最初は「どちらもいらない」と答えるつもりでいた。緒形からお詫びをされる理由がない以上、断るのが筋だと思ったのだ。
 けれど、そう口にしかけたとき、手にしていた文庫本の帯が目に入った。「新たな冒険を、君に」──ファンタジー小説らしいそのキャッチコピーが、菜穂の心をふと揺さぶった。

「あの……じゃあ、付き合ってほしいところがあるんだけど」

 恐る恐る申し出ると、緒形はパッと目を輝かせた。

「いいよ、どこ?」
「その……大したところじゃないんだけど」
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