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第5話
9・慎重な性格のせいで
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帰りの下り列車に揺られながら、菜穂は千鶴の指摘をぼんやりと思い返していた。
──「菜穂サンは慎重ですねー、ってこと」
それは千鶴に限らず、これまでいろいろな人たちに指摘されてきたことだ。
(「慎重」「保守的」「冒険しない」──なんて)
だからこそ、つい先日までの「緒形と交際して、何が何でも処女を捨てる」と思い込んでいたようなことは極めて異常事態だったといえる。ふだんの菜穂ならば、そのような振り切った行動をとることはまずあり得ないからだ。
とはいえ、そうした自分の慎重さがこれまで何度も足かせになってきたことは、菜穂自身がいちばんよく知っている。
(みんな、どうしてそんなに思いきりがいいんだろう)
誰かを好きになることは、怖い。すごく怖い。
裏切られたり、傷つけられたりするのはもちろんのこと、自分をさらけ出さなければいけないことにも、菜穂はいつも躊躇してしまう。
高校時代の緒形とうまくいかなくなったあと、まったく誰にも恋をしなかったわけではない。
ほのかに「いいな」と想う相手はいた。なかには「好きかもしれない」「お付き合いしてみたい」と感じた相手もいた。
けれど、菜穂がようやく心を決めるころには、相手は別のひととの交際をはじめている。
あれは、社会人2年目のことだったか。当時の勤務先に、菜穂に積極的にアプローチをしてきた男性がいた。
彼とは何度かデートを重ねたが、話も合うし悪い人ではなさそうだったから、ようやく菜穂も「次のデートでOKしよう」と心を決めたのだ。
それなのに、そのデートの帰り際、彼から深々と頭を下げられた。
『ごめん、三辺さんとのデートはこれが最後なんだ』
理由は「別の女性と授かり婚をすることになった」から。
菜穂としてはそれ自体もかなりショックだったが、それ以上に心をえぐられたのは、相手の男性が泣きながら訴えてきたその内容だ。
『俺が本当に好きなのは、今でも三辺さんだけだから……ほんと、三辺さんだけが好きだから!』
つまり、自分が煮えきらない態度をとらなければ、彼は他の女性に目を向けなかったのか。「付き合ってほしい」と告げられたとき、すぐに応じていればよかったのか。
冷静に考えてみれば、そんなことはない。彼が本当に菜穂のことを好きだというのなら、そもそも他の女性と関係をもつべきではなかっただろう。
それでも、頭ではそう理解していても、悔やむ気持ちを吹っ切るのに一年近くかかった。食べそびれたブドウは、いつだって甘く感じるものなのだ。
(慎重・保守的・冒険しない──)
そんな自分の性格を、いよいよ変えなければいけないのかもしれない。
そうしなければ、いつまでたっても重たいこの荷物を下ろせないのかもしれない。
(でも、急に変えろって言われても……)
ため息をついたところで、下車駅に到着した。
菜穂はいつもどおり定期券で改札を通過すると、やはりいつもどおり南口から駅の構外に出る。
すると、制服姿の若い女性からA4サイズのチラシを渡された。
「本日オープンでーす、よろしくおねがいしまーす」
──「菜穂サンは慎重ですねー、ってこと」
それは千鶴に限らず、これまでいろいろな人たちに指摘されてきたことだ。
(「慎重」「保守的」「冒険しない」──なんて)
だからこそ、つい先日までの「緒形と交際して、何が何でも処女を捨てる」と思い込んでいたようなことは極めて異常事態だったといえる。ふだんの菜穂ならば、そのような振り切った行動をとることはまずあり得ないからだ。
とはいえ、そうした自分の慎重さがこれまで何度も足かせになってきたことは、菜穂自身がいちばんよく知っている。
(みんな、どうしてそんなに思いきりがいいんだろう)
誰かを好きになることは、怖い。すごく怖い。
裏切られたり、傷つけられたりするのはもちろんのこと、自分をさらけ出さなければいけないことにも、菜穂はいつも躊躇してしまう。
高校時代の緒形とうまくいかなくなったあと、まったく誰にも恋をしなかったわけではない。
ほのかに「いいな」と想う相手はいた。なかには「好きかもしれない」「お付き合いしてみたい」と感じた相手もいた。
けれど、菜穂がようやく心を決めるころには、相手は別のひととの交際をはじめている。
あれは、社会人2年目のことだったか。当時の勤務先に、菜穂に積極的にアプローチをしてきた男性がいた。
彼とは何度かデートを重ねたが、話も合うし悪い人ではなさそうだったから、ようやく菜穂も「次のデートでOKしよう」と心を決めたのだ。
それなのに、そのデートの帰り際、彼から深々と頭を下げられた。
『ごめん、三辺さんとのデートはこれが最後なんだ』
理由は「別の女性と授かり婚をすることになった」から。
菜穂としてはそれ自体もかなりショックだったが、それ以上に心をえぐられたのは、相手の男性が泣きながら訴えてきたその内容だ。
『俺が本当に好きなのは、今でも三辺さんだけだから……ほんと、三辺さんだけが好きだから!』
つまり、自分が煮えきらない態度をとらなければ、彼は他の女性に目を向けなかったのか。「付き合ってほしい」と告げられたとき、すぐに応じていればよかったのか。
冷静に考えてみれば、そんなことはない。彼が本当に菜穂のことを好きだというのなら、そもそも他の女性と関係をもつべきではなかっただろう。
それでも、頭ではそう理解していても、悔やむ気持ちを吹っ切るのに一年近くかかった。食べそびれたブドウは、いつだって甘く感じるものなのだ。
(慎重・保守的・冒険しない──)
そんな自分の性格を、いよいよ変えなければいけないのかもしれない。
そうしなければ、いつまでたっても重たいこの荷物を下ろせないのかもしれない。
(でも、急に変えろって言われても……)
ため息をついたところで、下車駅に到着した。
菜穂はいつもどおり定期券で改札を通過すると、やはりいつもどおり南口から駅の構外に出る。
すると、制服姿の若い女性からA4サイズのチラシを渡された。
「本日オープンでーす、よろしくおねがいしまーす」
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