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第3話
13・嘆息
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週末ということもあって、飲食店だらけのビルのエレベーターはずいぶん混雑している。それでも、なんとか乗り込んだ緒形は、最上階のボタンに手をのばした。
正直、意外だった。緒形の予想では、菜穂はビストロを選ぶのではと思っていたのだ。
予約しなくて良かった、とこっそり息を吐いたところで、エレベーターは最上階に到着する。
この居酒屋の売りは、なんといっても眺望の良さだ。眼下に広がる夜景を眺めているだけで、たいていのカップルは自然と気持ちが浮き立つのだろう。
だが、あいにく今日は曇天だ。せっかく窓際の席に案内されても、気分が高まるような光景は広がっていない。
菜穂も、窓の外にはまったく目を向けようとしない。物憂げな様子で、メニュー表をめくっている。
「なに飲む?」
甘い系のサワーか、カクテルか──そんな予想はまたもや外れ、菜穂はあっさり「ビール」と答えた。
「え、意外」
「どうして?」
「三辺ってビールを飲むイメージがない」
「飲むよ、ビールくらい」
菜穂の淡い色の唇に、苦い笑みが浮かんだ。
なんだろう、非常に面白くない。遠回しに「なにもわかってないんだね」と言われたような──いや、それはさすがに考えすぎか。
菜穂が「緒形くんはどうする?」とメニュー表を向けてくる。
「とりあえずビールで」
ろくに確認もせずにそう伝えると、菜穂はなぜかくしゃりと頬を緩めた。
「出た、『とりあえずビール』」
「いいだろ、別に。ていうか三辺だってビールじゃん」
「私は『とりあえず』じゃないもん」
「うわぁ、屁理屈」
けれど、今の菜穂の笑顔は悪くない。
緒形は店員を呼び止めると、ふたり分の生ビールを頼んだ。
「じゃあ、あとは任せた」
「えっ、食べたいものとかないの?」
「あーとりあえず唐揚げがあればいいや」
「了解、唐揚げね」
きれいに調えられた爪が、メニュー表をめくっていく。
(あ、この顔……)
ふと、懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
高校時代、デートと称してふたりで入ったファミリーレストラン。いつも「お決まりのもの」しか頼まない自分とは対照的に、菜穂はいつも隅々までメニュー表を眺めていた。
その際、彼女の唇がわずかにとがることを、緒形は敢えて指摘しなかった。だって、この癖は「自分だけが知る三辺菜穂」なのだ。誰にも──本人にさえも教えたくはない。
(こういうところは、あの頃のままなんだよな)
目の前の、わずかに唇をとがらせている彼女をこっそり盗み見る。
この雰囲気が、ずっと続いてくれればいい。けれど、それは難しいだろうということに、緒形は薄々気づいている。
それくらい、今日の菜穂は情緒不安定だ。
屈託なく笑ったかと思うと、急に黙り込む。投げやりな態度を見せたかと思うと、親しげな軽口を叩いてくる。
その上で、時折懐かしい表情を見せるのだから、緒形としてはたまったものじゃない。
(なんだかなぁ)
明らかに振りまわされっぱなしの己にひそかに嘆息したそのとき、隣の個室から女性の甘ったるい声が聞こえてきた。
正直、意外だった。緒形の予想では、菜穂はビストロを選ぶのではと思っていたのだ。
予約しなくて良かった、とこっそり息を吐いたところで、エレベーターは最上階に到着する。
この居酒屋の売りは、なんといっても眺望の良さだ。眼下に広がる夜景を眺めているだけで、たいていのカップルは自然と気持ちが浮き立つのだろう。
だが、あいにく今日は曇天だ。せっかく窓際の席に案内されても、気分が高まるような光景は広がっていない。
菜穂も、窓の外にはまったく目を向けようとしない。物憂げな様子で、メニュー表をめくっている。
「なに飲む?」
甘い系のサワーか、カクテルか──そんな予想はまたもや外れ、菜穂はあっさり「ビール」と答えた。
「え、意外」
「どうして?」
「三辺ってビールを飲むイメージがない」
「飲むよ、ビールくらい」
菜穂の淡い色の唇に、苦い笑みが浮かんだ。
なんだろう、非常に面白くない。遠回しに「なにもわかってないんだね」と言われたような──いや、それはさすがに考えすぎか。
菜穂が「緒形くんはどうする?」とメニュー表を向けてくる。
「とりあえずビールで」
ろくに確認もせずにそう伝えると、菜穂はなぜかくしゃりと頬を緩めた。
「出た、『とりあえずビール』」
「いいだろ、別に。ていうか三辺だってビールじゃん」
「私は『とりあえず』じゃないもん」
「うわぁ、屁理屈」
けれど、今の菜穂の笑顔は悪くない。
緒形は店員を呼び止めると、ふたり分の生ビールを頼んだ。
「じゃあ、あとは任せた」
「えっ、食べたいものとかないの?」
「あーとりあえず唐揚げがあればいいや」
「了解、唐揚げね」
きれいに調えられた爪が、メニュー表をめくっていく。
(あ、この顔……)
ふと、懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
高校時代、デートと称してふたりで入ったファミリーレストラン。いつも「お決まりのもの」しか頼まない自分とは対照的に、菜穂はいつも隅々までメニュー表を眺めていた。
その際、彼女の唇がわずかにとがることを、緒形は敢えて指摘しなかった。だって、この癖は「自分だけが知る三辺菜穂」なのだ。誰にも──本人にさえも教えたくはない。
(こういうところは、あの頃のままなんだよな)
目の前の、わずかに唇をとがらせている彼女をこっそり盗み見る。
この雰囲気が、ずっと続いてくれればいい。けれど、それは難しいだろうということに、緒形は薄々気づいている。
それくらい、今日の菜穂は情緒不安定だ。
屈託なく笑ったかと思うと、急に黙り込む。投げやりな態度を見せたかと思うと、親しげな軽口を叩いてくる。
その上で、時折懐かしい表情を見せるのだから、緒形としてはたまったものじゃない。
(なんだかなぁ)
明らかに振りまわされっぱなしの己にひそかに嘆息したそのとき、隣の個室から女性の甘ったるい声が聞こえてきた。
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