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第1話
1・とある日の休憩室
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緒形について、出会いのときから語るならば、今から10年ほど前までさかのぼらなければいけなくなる。
けれど、それではあまりにも昔すぎるし、そもそも当時のあれこれは菜穂にとってはあまり良い思い出ではない。
なので、さかのぼるのは数週間前にしておこう。
そう、菜穂の派遣先である広告会社の休憩室から──
「聞いた? 営業の山田さん、北海道に転勤だって」
派遣仲間の千鶴の一言に、その場にいた皆が「へぇ」と声をあげた。
「それって栄転?」
「じゃないの? 向こうでマネージャーになるみたいだし」
「山田さん、営業成績いつも上位だったもんね」
彼女たちの会話を、菜穂は「そうなんだ」と感心しながら聞いている。
同じ派遣仲間なのに、皆ずいぶんと社内事情に詳しい。所属している制作部署についてならまだしも、営業部署の社員となると菜穂はからきしだ。
もっと交流を持ったほうがいいのかな、と思うこともある。ただ、彼らの体育会系っぽいノリにはどうしても気後れしてしまう。
(悪い人たちじゃないのは、わかっているけど……)
こぼれそうなため息を、マイボトルから注いだ紅茶ごと飲みこんだ。あたたかな飲み物は、それだけで菜穂の心を落ち着かせた。
「で、山田さんの代わりは?」
「あー噂だと大阪から来るみたい」
大阪から──ということは関西人だろうか。
「男? 女?」
「女の人じゃない? たしか『ユキノ』って名前だし」
菜穂の心臓が、軽く跳ねた。
脳裏をよぎったのは、高校時代の「とある人物」だ。
少し着崩した制服。メガネの奥の、どこか一癖ありそうな眼差し。窓際の席で、派手な女の子たちに囲まれていた「ユキノ」は、女子ではなく男子だったけれど──
「女性の営業かぁ。それならやりとりしやすいかな」
「どうだろう、人によるんじゃない?」
「女性でもヒステリックな人はいるもんね」
派遣社員同士の、好き勝手な会話が耳に届いたのだろう。
「違いますよ」
近くの席にいた若い男性社員が、くるりとこちらに顔を向けた。
「今度来る営業さん、女性じゃないです」
「えっ、そうなの?」
「『ユキノ』って名前なのに?」
「緒形雪野さんのことですよね? 間違いないです、男です」
菜穂の心臓は、今度こそ派手な音をたてた。
(え……緒形? 緒形雪野?)
ほろ苦い思い出の「彼」が、はっきりとした存在感を示してくる。
けれど、まだあの「緒形雪野」だと決まったわけではない。もしかしたら、ただの同姓同名かもしれない。
だって、どれだけの確率だろう? 高校時代のクラスメイト──しかも「元カレ」と、同じ職場で働くことになるだなんて。
菜穂は、テーブルの下で祈るように手を組んだ。
どうか「彼」ではありませんように。
まったく別の「緒形雪野」でありますように──
けれど、それではあまりにも昔すぎるし、そもそも当時のあれこれは菜穂にとってはあまり良い思い出ではない。
なので、さかのぼるのは数週間前にしておこう。
そう、菜穂の派遣先である広告会社の休憩室から──
「聞いた? 営業の山田さん、北海道に転勤だって」
派遣仲間の千鶴の一言に、その場にいた皆が「へぇ」と声をあげた。
「それって栄転?」
「じゃないの? 向こうでマネージャーになるみたいだし」
「山田さん、営業成績いつも上位だったもんね」
彼女たちの会話を、菜穂は「そうなんだ」と感心しながら聞いている。
同じ派遣仲間なのに、皆ずいぶんと社内事情に詳しい。所属している制作部署についてならまだしも、営業部署の社員となると菜穂はからきしだ。
もっと交流を持ったほうがいいのかな、と思うこともある。ただ、彼らの体育会系っぽいノリにはどうしても気後れしてしまう。
(悪い人たちじゃないのは、わかっているけど……)
こぼれそうなため息を、マイボトルから注いだ紅茶ごと飲みこんだ。あたたかな飲み物は、それだけで菜穂の心を落ち着かせた。
「で、山田さんの代わりは?」
「あー噂だと大阪から来るみたい」
大阪から──ということは関西人だろうか。
「男? 女?」
「女の人じゃない? たしか『ユキノ』って名前だし」
菜穂の心臓が、軽く跳ねた。
脳裏をよぎったのは、高校時代の「とある人物」だ。
少し着崩した制服。メガネの奥の、どこか一癖ありそうな眼差し。窓際の席で、派手な女の子たちに囲まれていた「ユキノ」は、女子ではなく男子だったけれど──
「女性の営業かぁ。それならやりとりしやすいかな」
「どうだろう、人によるんじゃない?」
「女性でもヒステリックな人はいるもんね」
派遣社員同士の、好き勝手な会話が耳に届いたのだろう。
「違いますよ」
近くの席にいた若い男性社員が、くるりとこちらに顔を向けた。
「今度来る営業さん、女性じゃないです」
「えっ、そうなの?」
「『ユキノ』って名前なのに?」
「緒形雪野さんのことですよね? 間違いないです、男です」
菜穂の心臓は、今度こそ派手な音をたてた。
(え……緒形? 緒形雪野?)
ほろ苦い思い出の「彼」が、はっきりとした存在感を示してくる。
けれど、まだあの「緒形雪野」だと決まったわけではない。もしかしたら、ただの同姓同名かもしれない。
だって、どれだけの確率だろう? 高校時代のクラスメイト──しかも「元カレ」と、同じ職場で働くことになるだなんて。
菜穂は、テーブルの下で祈るように手を組んだ。
どうか「彼」ではありませんように。
まったく別の「緒形雪野」でありますように──
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