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第三部 Waiting All Night
78話
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礼は静かに部屋の中に入ったが、すぐに気づいた侍女が言った。
「こちらは大丈夫ですわ」
礼は侍女の隣に座った。
「あなたは続けで王子の付き添いをしているから疲れているでしょう。私の方はもういいのよ。旦那様はお疲れのようで休まれたから」
そこで礼は侍女と入れ替わった。
侍女は立ち上がり簀子縁に出た。夜がすっかり明けた真っ白い空を眩しそうに眺めて自室に向かった。
礼は哀羅王子に目を落とした。目が覚めるまでの王子は苦しそうな表情だったが、今は安らかな顔で眠られている。先ほど交代した侍女も、王子の様子に変化はなくよく眠られていると言っていた。左腕の傷口を確かめるために、礼は白布を解いた。横に走る傷口は赤い身を覆う膜のようなものができて、少しではあるが癒えつつあることをうかがわせた。塗薬を傷口の周りに塗って枇杷の葉で覆い、新しい白布を巻いた。
哀羅王子の眠りは深いようで、礼が手当てをするのに腕を動かしても、目を覚ますことはなかった。
礼は簀子縁に出て、青空になった空を見上げてから、庭に目を落とした。夏の花が庭に咲き誇っている。庭に咲いているのを眺めるのもいいが、部屋の中に持って入って身近に飾るのもよいと思った。階を下りて百合を数本手折って、部屋に戻った。隅に置いてある盥に水を注いでそっと入れた。蕾がほころび始めようとするところで明日には咲くかもしれなかった。
礼は再び哀羅王子の左側に座って、その様子を窺った。腕の手当てをしていた時と変わらず上を向いて眠っている。
礼は哀羅王子の傍で、暫く早朝の景色を見ていた。二日前の騒ぎは嘘のように清々しい朝だった。人が殺されたなんてことはみじんも思い起こさせない。萩という束蕗原から来た若い女人が死んだことも嘘であるようだ。礼は本当に、そうあって欲しいと思った。若く溌溂とした娘には、これから輝かしい将来があったはずなのに、岩城の邸に来てしまったばかりにその前途は突然終わってしまった。そのことは悔やんでも悔やみきれない。
こうして、一人じっとしている時間に、ふと萩のことを思い出して、申し訳なく心の中で手を合わせるのだった。
礼は自分の感傷にばかり浸ってばかりもいられない。今は、哀羅王子のことが一番である。
哀羅王子の方へ向き直ったところで、目が合った。哀羅王子がしっかりと目を開いて、礼を見ていた。
「王子様!」
礼は小さく叫んだ。しっかりと目を開けた哀羅王子が礼をじっと見る。礼もじっと哀羅王子を見つめ返した。そして、やっと声が出た。
「……お目覚めになりましたか?」
礼の問いかけに、哀羅王子は口を動かそうとしているが、それは声にはならず、礼は身を寄せて哀羅王子の声を聞こうとした。
「…体を起こしておくれ。……起きたい」
礼は起き上がろうとする哀羅王子の背中に手を添えて、ゆっくりとその身を起こした。
この二日、寝たきりの王子にとっては、上半身を起こすだけでも一苦労であった。
「お水をお上がりください」
礼は用意していた椀を取り上げて、哀羅王子に差し出した。王子の背中を支えながら水を飲むのを見守った。
「お加減はいかがですか?」
礼の言葉に、哀羅王子は少しの間考えて。
「悪くない」
と答えた。
「薬湯もお飲みくださいまし」
礼が差し出した冷ました薬湯の椀から一口飲むと、哀羅王子はもう十分とばかりに礼につき返した。苦い薬湯は哀羅王子の体には応えたようで、暫く下を向いてその苦さに耐えた。礼は椀を受け取って、哀羅王子の背中を撫でた。
哀羅王子は俯いた顔を上げて隣にいる礼を再び見た。
礼は王子と目が合って、驚き横を向いて視線を外した。
「……お前には、ひどいことをした」
哀羅王子は呟くように言った。
哀羅王子が言う、酷いこととは、後宮での狼藉だということを礼はわかった。礼はそれを思い出すと、身が固まり哀羅王子から遠ざかりたい気持ちになった。目の前の王子はあの時の王子ではないことはわかっているが、襲われた時の恐怖が足元から上がってくる。
「復讐をなさんがために私の心は鬼になった。時間をかけて実言を傷つけるために様々なことを考え、実言が大切にしている者を奪うのがいい手だと思って、お前にあんなことをした。こうして、呪いが解けたようにすべてがわかってからは、本当に酷いことをしたと思っている。お前にも、実言にも」
「実言はあなた様の苦しい心内をわかろうとしていました。実言はどこまでもあなた様を信じていました」
「私があんなことをしても?」
「はい。あなた様も私をも慮って、苦しんでいました」
哀羅王子は傷を負っていない右手で頭を支えて首を振った。
実言め……ああ、どんなに痛めつけても、あの男には無駄だったのか。妻を傷つけたというのに、こんなところまで連れてきて、私のために使わしている。
「王子様、横になってくださいまし。体が目覚めたばかりで、すぐにお疲れになってしまいます。お体に障ります」
礼は少し離れた体を再び哀羅王子の傍に寄せて、その体を支えた。
その時、簀子縁から足音が近づいてきた。気づくと同時に、庇の間に実言と舎人一人が現れた。
「王子、お目覚めでしたか」
王子の目覚めに喜色を隠さず実言は王子の右側の円座に座った。反対側で、王子の背中を支えている礼を見て頷いた。
「王子様には横になっていただきます。まだ起き上がるのは早いですから」
礼は言って、哀羅王子に横になるように促した。
「もう一度、水をくれ」
哀羅王子は言って、礼は徳利に入った水を椀に注いだ。
「……すでに、妻がきいているかもしれませんが、ご気分はいかがですか?」
実言は哀羅王子に訊いた。
「悪くない。ひ弱な私ではあるが、腕以外はどこも悪くない。少し腹も空いている」
水を入れた椀を哀羅王子に渡し、いつでも飲むのを助けられるように手を添えて見守っている礼は、それを聞いて言った。
「それでは、お粥をお持ちしましょう。用意させますわ」
それを聞いて庇の間にいた侍女が立ちあがって邸の奥に行った。
哀羅王子は水を一口飲んで、椀を持ったまま手を下ろして実言を見た。
「どうなっている。もう動きがあるのか」
「はい。事は急速に動いています。私たち自身が先手を打つ必要があります。王子には、今夜、宮廷へ移動していただきたいのです」
哀羅王子はじっと右手に持った椀を見つめて聞いている。哀羅王子の左側にいた礼は、すぐさま声を上げた。
「だめです。それは、王子様の体には大変な負担です」
続けて礼は夫に訴えた。
「先ほど起きられたばかりよ。今からお食事を上がっていただくのに、体力も戻っていらっしゃらないわ。移動なんて無理です」
「うん。無理は承知だ」
実言は言って、哀羅王子へと視線を向けた。
「王子、我々の医者はそう言っております。私も傷の癒えていないあなた様を移動させるのは無理なことと分かっておりますが、都では春日王子が謀反を企んでいるとの噂が広がっております。一刻も早くあなた様を王宮にお連れして、弁解の機会を作らなければ、あの書状の価値がなくなります」
「そう……」
「今夜はまだ駄目です。せめて一日待ってください。王子様、先ほど体を起こされたばかりです。どうか、今夜、もう一晩安静にしてくださいませ」
礼は哀羅王子に向かって懇願の言葉を言うが、目は夫の顔を見ていた。実言は礼の視線を受け止めているが、その言葉に寄り添うことはなかった。
「王子、首尾よく王宮へ着けましたら、すぐにお休みいただけるよう手配いたします。それは、父の園栄ともよく話し合っておりますから、ご心配には及びません」
「馬で?それとも徒歩?どちらにしても無理です。体には大変な負担です。体力も戻られていないのよ。傷を大きくするかもしれません。そんなこと、医者として認められません」
と礼は応じた。
「夜にはまだ時間がある。王子にはそれまでしっかりと休んでもらって、移動に備えていただきます」
冷静な声で実言が哀羅王子に言う。
「王子様にもう一日ほど安静に過ごせる時間を作ってください。一日猶予を作ることを考えて。今夜でなくていいように計らって!」
礼の言葉がまるで聞こえていないような実言のその素振りに礼は怒りを露わにした声で言い放つ。
「そうできたらいいが。事は風雲急を告げている。一日さえも待つことはできない」
礼の怒りにつき合うことなく、実言は礼に顔を向けて言葉を遮る。
「くっ……ふっ、くくくっ、ふっははは……」
突如、哀羅王子が笑い始めた。
実言も礼もはっとして、真ん中の哀羅王子を見た。
「夫婦が私を挟んで言い合っている。一体私はどうしたらいいもんだろうね」
哀羅王子は面白そうに笑った。しばらく、くつくつと肩を震わせてから、真顔に戻ると。
「……私自身のことだから、私に決めさせておくれ」
と言って、実言と礼を交互に見た。
「私の望みはただ一つ。我が血筋を本来あるべき地位に戻すこと。そのためであれば、少々の体の痛みやら、疲れなどは気にしない。お医師のいうことはありがたいが、私は実言の言うことに従うよ」
哀羅王子は礼に言い聞かせるように、その右目をじっと正視して言い、その後に実言に向かった。
「頼む。機を逃したくない。私が頼れるのは今目の前にいる二人だよ。私を生きて王宮の大王の前まで連れて行ってくれ」
「もちろんでございます」
実言はすぐさま言って、礼を見た。
夫は何でも、自分の思い通りに物事を進める。今も、どんなに言ったところで敵わないことと思っていたが、その通りになった。
礼は心でため息をついた。
こうなれば、哀羅王子の望みを成さんがために、できる限りのことをするしかない。
「哀羅王子様のご意思に従います」
と礼も覚悟を決めて言った。
それを聞いて、哀羅王子は小さな笑みを作って満足そうに頷いた。
「夜まではまだ長いですわ。お粥を召し上がって、その後は横になってお休みになってくださいまし」
と声を張って言った。
実言もそうだというように頷いた。
実言もわかっている。大変な負担を哀羅王子の体にかけてしまうことを。しかし、それでも今夜の王宮行きは哀羅王子がしなければならないことだった。大王の前に進み出て、春日王子の謀反を訴え自分の誤りを認め、許しを請わなければならない。その場を……この上ない機会を用意しなければならない。
それは、春日王子も予想していることだろう。今夜の脱出は、また命を賭けた脱出になる。礼の言うことが正しいのは承知の上だが、やるしかない。やって見せるしかない。
哀羅王子を生まれ変わらせるために。
「こちらは大丈夫ですわ」
礼は侍女の隣に座った。
「あなたは続けで王子の付き添いをしているから疲れているでしょう。私の方はもういいのよ。旦那様はお疲れのようで休まれたから」
そこで礼は侍女と入れ替わった。
侍女は立ち上がり簀子縁に出た。夜がすっかり明けた真っ白い空を眩しそうに眺めて自室に向かった。
礼は哀羅王子に目を落とした。目が覚めるまでの王子は苦しそうな表情だったが、今は安らかな顔で眠られている。先ほど交代した侍女も、王子の様子に変化はなくよく眠られていると言っていた。左腕の傷口を確かめるために、礼は白布を解いた。横に走る傷口は赤い身を覆う膜のようなものができて、少しではあるが癒えつつあることをうかがわせた。塗薬を傷口の周りに塗って枇杷の葉で覆い、新しい白布を巻いた。
哀羅王子の眠りは深いようで、礼が手当てをするのに腕を動かしても、目を覚ますことはなかった。
礼は簀子縁に出て、青空になった空を見上げてから、庭に目を落とした。夏の花が庭に咲き誇っている。庭に咲いているのを眺めるのもいいが、部屋の中に持って入って身近に飾るのもよいと思った。階を下りて百合を数本手折って、部屋に戻った。隅に置いてある盥に水を注いでそっと入れた。蕾がほころび始めようとするところで明日には咲くかもしれなかった。
礼は再び哀羅王子の左側に座って、その様子を窺った。腕の手当てをしていた時と変わらず上を向いて眠っている。
礼は哀羅王子の傍で、暫く早朝の景色を見ていた。二日前の騒ぎは嘘のように清々しい朝だった。人が殺されたなんてことはみじんも思い起こさせない。萩という束蕗原から来た若い女人が死んだことも嘘であるようだ。礼は本当に、そうあって欲しいと思った。若く溌溂とした娘には、これから輝かしい将来があったはずなのに、岩城の邸に来てしまったばかりにその前途は突然終わってしまった。そのことは悔やんでも悔やみきれない。
こうして、一人じっとしている時間に、ふと萩のことを思い出して、申し訳なく心の中で手を合わせるのだった。
礼は自分の感傷にばかり浸ってばかりもいられない。今は、哀羅王子のことが一番である。
哀羅王子の方へ向き直ったところで、目が合った。哀羅王子がしっかりと目を開いて、礼を見ていた。
「王子様!」
礼は小さく叫んだ。しっかりと目を開けた哀羅王子が礼をじっと見る。礼もじっと哀羅王子を見つめ返した。そして、やっと声が出た。
「……お目覚めになりましたか?」
礼の問いかけに、哀羅王子は口を動かそうとしているが、それは声にはならず、礼は身を寄せて哀羅王子の声を聞こうとした。
「…体を起こしておくれ。……起きたい」
礼は起き上がろうとする哀羅王子の背中に手を添えて、ゆっくりとその身を起こした。
この二日、寝たきりの王子にとっては、上半身を起こすだけでも一苦労であった。
「お水をお上がりください」
礼は用意していた椀を取り上げて、哀羅王子に差し出した。王子の背中を支えながら水を飲むのを見守った。
「お加減はいかがですか?」
礼の言葉に、哀羅王子は少しの間考えて。
「悪くない」
と答えた。
「薬湯もお飲みくださいまし」
礼が差し出した冷ました薬湯の椀から一口飲むと、哀羅王子はもう十分とばかりに礼につき返した。苦い薬湯は哀羅王子の体には応えたようで、暫く下を向いてその苦さに耐えた。礼は椀を受け取って、哀羅王子の背中を撫でた。
哀羅王子は俯いた顔を上げて隣にいる礼を再び見た。
礼は王子と目が合って、驚き横を向いて視線を外した。
「……お前には、ひどいことをした」
哀羅王子は呟くように言った。
哀羅王子が言う、酷いこととは、後宮での狼藉だということを礼はわかった。礼はそれを思い出すと、身が固まり哀羅王子から遠ざかりたい気持ちになった。目の前の王子はあの時の王子ではないことはわかっているが、襲われた時の恐怖が足元から上がってくる。
「復讐をなさんがために私の心は鬼になった。時間をかけて実言を傷つけるために様々なことを考え、実言が大切にしている者を奪うのがいい手だと思って、お前にあんなことをした。こうして、呪いが解けたようにすべてがわかってからは、本当に酷いことをしたと思っている。お前にも、実言にも」
「実言はあなた様の苦しい心内をわかろうとしていました。実言はどこまでもあなた様を信じていました」
「私があんなことをしても?」
「はい。あなた様も私をも慮って、苦しんでいました」
哀羅王子は傷を負っていない右手で頭を支えて首を振った。
実言め……ああ、どんなに痛めつけても、あの男には無駄だったのか。妻を傷つけたというのに、こんなところまで連れてきて、私のために使わしている。
「王子様、横になってくださいまし。体が目覚めたばかりで、すぐにお疲れになってしまいます。お体に障ります」
礼は少し離れた体を再び哀羅王子の傍に寄せて、その体を支えた。
その時、簀子縁から足音が近づいてきた。気づくと同時に、庇の間に実言と舎人一人が現れた。
「王子、お目覚めでしたか」
王子の目覚めに喜色を隠さず実言は王子の右側の円座に座った。反対側で、王子の背中を支えている礼を見て頷いた。
「王子様には横になっていただきます。まだ起き上がるのは早いですから」
礼は言って、哀羅王子に横になるように促した。
「もう一度、水をくれ」
哀羅王子は言って、礼は徳利に入った水を椀に注いだ。
「……すでに、妻がきいているかもしれませんが、ご気分はいかがですか?」
実言は哀羅王子に訊いた。
「悪くない。ひ弱な私ではあるが、腕以外はどこも悪くない。少し腹も空いている」
水を入れた椀を哀羅王子に渡し、いつでも飲むのを助けられるように手を添えて見守っている礼は、それを聞いて言った。
「それでは、お粥をお持ちしましょう。用意させますわ」
それを聞いて庇の間にいた侍女が立ちあがって邸の奥に行った。
哀羅王子は水を一口飲んで、椀を持ったまま手を下ろして実言を見た。
「どうなっている。もう動きがあるのか」
「はい。事は急速に動いています。私たち自身が先手を打つ必要があります。王子には、今夜、宮廷へ移動していただきたいのです」
哀羅王子はじっと右手に持った椀を見つめて聞いている。哀羅王子の左側にいた礼は、すぐさま声を上げた。
「だめです。それは、王子様の体には大変な負担です」
続けて礼は夫に訴えた。
「先ほど起きられたばかりよ。今からお食事を上がっていただくのに、体力も戻っていらっしゃらないわ。移動なんて無理です」
「うん。無理は承知だ」
実言は言って、哀羅王子へと視線を向けた。
「王子、我々の医者はそう言っております。私も傷の癒えていないあなた様を移動させるのは無理なことと分かっておりますが、都では春日王子が謀反を企んでいるとの噂が広がっております。一刻も早くあなた様を王宮にお連れして、弁解の機会を作らなければ、あの書状の価値がなくなります」
「そう……」
「今夜はまだ駄目です。せめて一日待ってください。王子様、先ほど体を起こされたばかりです。どうか、今夜、もう一晩安静にしてくださいませ」
礼は哀羅王子に向かって懇願の言葉を言うが、目は夫の顔を見ていた。実言は礼の視線を受け止めているが、その言葉に寄り添うことはなかった。
「王子、首尾よく王宮へ着けましたら、すぐにお休みいただけるよう手配いたします。それは、父の園栄ともよく話し合っておりますから、ご心配には及びません」
「馬で?それとも徒歩?どちらにしても無理です。体には大変な負担です。体力も戻られていないのよ。傷を大きくするかもしれません。そんなこと、医者として認められません」
と礼は応じた。
「夜にはまだ時間がある。王子にはそれまでしっかりと休んでもらって、移動に備えていただきます」
冷静な声で実言が哀羅王子に言う。
「王子様にもう一日ほど安静に過ごせる時間を作ってください。一日猶予を作ることを考えて。今夜でなくていいように計らって!」
礼の言葉がまるで聞こえていないような実言のその素振りに礼は怒りを露わにした声で言い放つ。
「そうできたらいいが。事は風雲急を告げている。一日さえも待つことはできない」
礼の怒りにつき合うことなく、実言は礼に顔を向けて言葉を遮る。
「くっ……ふっ、くくくっ、ふっははは……」
突如、哀羅王子が笑い始めた。
実言も礼もはっとして、真ん中の哀羅王子を見た。
「夫婦が私を挟んで言い合っている。一体私はどうしたらいいもんだろうね」
哀羅王子は面白そうに笑った。しばらく、くつくつと肩を震わせてから、真顔に戻ると。
「……私自身のことだから、私に決めさせておくれ」
と言って、実言と礼を交互に見た。
「私の望みはただ一つ。我が血筋を本来あるべき地位に戻すこと。そのためであれば、少々の体の痛みやら、疲れなどは気にしない。お医師のいうことはありがたいが、私は実言の言うことに従うよ」
哀羅王子は礼に言い聞かせるように、その右目をじっと正視して言い、その後に実言に向かった。
「頼む。機を逃したくない。私が頼れるのは今目の前にいる二人だよ。私を生きて王宮の大王の前まで連れて行ってくれ」
「もちろんでございます」
実言はすぐさま言って、礼を見た。
夫は何でも、自分の思い通りに物事を進める。今も、どんなに言ったところで敵わないことと思っていたが、その通りになった。
礼は心でため息をついた。
こうなれば、哀羅王子の望みを成さんがために、できる限りのことをするしかない。
「哀羅王子様のご意思に従います」
と礼も覚悟を決めて言った。
それを聞いて、哀羅王子は小さな笑みを作って満足そうに頷いた。
「夜まではまだ長いですわ。お粥を召し上がって、その後は横になってお休みになってくださいまし」
と声を張って言った。
実言もそうだというように頷いた。
実言もわかっている。大変な負担を哀羅王子の体にかけてしまうことを。しかし、それでも今夜の王宮行きは哀羅王子がしなければならないことだった。大王の前に進み出て、春日王子の謀反を訴え自分の誤りを認め、許しを請わなければならない。その場を……この上ない機会を用意しなければならない。
それは、春日王子も予想していることだろう。今夜の脱出は、また命を賭けた脱出になる。礼の言うことが正しいのは承知の上だが、やるしかない。やって見せるしかない。
哀羅王子を生まれ変わらせるために。
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