Infinity 

螺良 羅辣羅

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第二部 wildflower

第五十四話

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「鳥が屍体を狙っているから、移動させたのよ」
 礼は耳丸にもう一度水を飲ませて、山から採ってきた生り物の皮をむいてちぎると口の中に入れた。耳丸は口に入ったその果肉を口の中で潰して甘みを吸った。
「耳丸、傷口を診せてもらうわよ」
 そういうと、耳丸は目を見開いて、嫌そうな顔をした。いつも、怯まず立ち向かっていくのに、この時ばかりは逃げたい気持ちの方が勝っているようだ。
 耳丸の方は、実言の足の怪我を診る礼と痛みにのたうち回っていた実言の姿が思い出されて、あの時の実言の苦しみようが、自分の身にも起こるのかと思うと、身が竦む思いだった。今も左肩は痛いと思うが、どこか麻痺してしまったようで、じっとしていれば耐えられている。
 礼は、耳丸の左側に移って、左肩に掛けている上着をとった。塗り薬を塗った上に布を置いていた。その布を取る時、耳丸の肩を少し動かした。耳丸は小さく呻いたが、目の前の空を見上げて、ぐっと我慢している。
 布をめくると、裂けた皮膚とその下の肉が見えた。傷口を覆うように黄色い膿が出てきており、膜を作っている。礼は、流れ出る膿を拭いて、別の布に水で練った薬草を塗りつけて、傷口を覆った。上から布を巻いて固定した。
 耳丸は、実言のように傷口を洗われたりしなかったことに安堵した。
 休んでいてね。眠ってもいいのよ。と礼は言い置いて、馬の世話をしに行ったり、川に水を汲みに行ったりとせわしなく動いた。耳丸は礼を待っているつもりでいたが、いつの間にかウトウトと睡魔に襲われた。
 次に目を覚ました時には、辺りは真っ暗になっていた。
「礼!」
 自分がどれだけ眠っていたのかわからず、暗闇の中で名を呼んだ。
「耳丸」
 すぐにそばで返事があった。
「どれほど寝ていた。……あれからどれほど、時間がたったのだ」
「夜が来ただけよ」
 礼の答えに、耳丸はほっとした。また丸一日が経ったわけではないのだ。
「とてもよく眠っていたわ。体も回復するはずよ」
 耳丸の右側で音がしたので、礼は右側にいるようである。
「水よ。飲んで」
 礼の手が伸びてきて、耳丸の顎を捉えた。月は細い弓のような姿で空高く上っている。心細い光が仄かにあたりのものの輪郭の影を映し出している。礼の指に誘われるままに耳丸は、水筒から水を飲んだ。
「これもゆっくりと食べて」
 礼が匙で口に入れたのは、冷たい粥だった。塩味のきいた粥を二口食べた。
「すまない。また、ひとりきりにしてしまって」
 礼はなにも返事することなく、耳丸のそばに座っている。
「大きな月でも上がれば、また安心するだろうに、こんな月では、心細いばかりかな」
 礼はそう言って、また黙った。
 礼は耳丸の右側に自分の右側を見せて向かい合うようにして、膝を抱えて座っていた。薄暗い中で耳丸は礼の輪郭を黙って見ていた。礼は左手で、左頬をそっと触っている。
「……痛いか」
 耳丸は、昼間見た礼の腫れ上がった頬を思い出し、訊いた。
「……思い出したように痛くなるの。……でも、あなたの傷に比べればなんともないわ」
 礼は、濡らした手ぬぐいを押し当てているようだ。
「酷い目に合わせてしまった。俺は……今までにも、左顔について酷いことを言ってきた」
 耳丸は、殴られた左頬を心配するとともに、今まで礼の左顔を含めた容貌を蔑んできたことをわびた。
「……いいえ。醜いものに変わりはないわ。だから、頬を殴られたくらいでは、どうともないわ。日が経てば治るでしょう」
「だから……それを、俺は酷いことをしてしまったと」
「……私は、左目を失ったからといって、隠れることなくむしろいろいろな人とふれあって生活してこられたのは、実言のおかげよ。実言が私を救ってくれたのだ。……救われたのだ。何を言われても平気よ」
 礼は、気にすることではない、とつぶやいた。
 礼は耳丸にもう一度水を飲むよう言った。言われるままに耳丸は飲んだ。
「星がよく見える。……月明かりばかり求めていたから、星のことを忘れていたわ」
 礼が静かな声で話しかける。別に返答を求めているわけではないことはわかる。耳丸も目の前に広がる夜空を見つめて、黙っていた。
 耳丸は主人である実言と礼のことを思った。礼をより強くしたのは実言なのかもしれない。そして、それを十分に礼はわかっているのだろう。どこまでも信頼し合った仲なのだ。耳丸と礼は実言のために旅に出たのだ。しかし、二人は互いの命を庇い合う出来事が起こって実言を忘れてしまった。それが、自分の弱さの現れなのか、耳丸は今自分のそばにいるこの女だけをしっとりと感じていたかった。
 礼は耳丸の手首に紐をかける。その端は礼の手首につながっている。耳丸が身動きした時にすぐに気づくためだ。
 耳丸は礼のその様子を見ながら、ああ、礼は薬を飲ませたのだと思った。そう思ったら、耳丸はまた眠りの中に落ちていった。
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