Infinity 

螺良 羅辣羅

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第二部 wildflower

第四十五話

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 三方に張った板は適当に建てつけてあるので、隙間だらけであるが、小屋の中は蒸し暑く、頭から顔に汗が滴り落ちてくる。時々、吹く風が壁のない面から吹き抜けていって、一時の清涼をくれた。二人は苦しい時間を無言でやり過ごした。
 扉の横木が外される音がして、礼と耳丸は顔を上げた。小屋に近づいてくる足音に気づかなかったから、意識が朦朧としていたのかもしれない。やがて、扉が開き、女が二人入っていきた。もちろん、その後ろから見張り役の若い男もいる。水を持ってきたのだ。礼と耳丸に顔を上げさせ、水筒の飲み口を唇にあてがった。二人は勢いよく飲み干した。
「もう少し水をくれ。頼む」
 と耳丸は女たちに頼んだ。そして、扉の側に立ち女たちの様子を見ている若い男に話しかけた。
「おい、そこのあんた。どうか、この方の縄を前にしてもらえないか。見ての通りひ弱な方だ。我々は願ってここまで来たんだ。逃げたりしない。この方が怪我人を助けるためにも、腕を怪我させないで欲しいんだ」
 男は話しかけられたことにびっくりしたようで、少しぽかんとしている。
「お願いだ。この方は大切な方だから」
 水を飲み終わって、うなだれている礼の様子はとても苦しそうで、傍で世話をしている女も気の毒そうに見ている。男は心を動かされて、礼の後ろ手の縄を解き、再度手首を前で縛った。女たちは立ち去る時に水筒を置いていった。礼は前で縛られたことで手が使うことができて、水筒を持って耳丸に水を飲ませてやれた。蒸し暑さに耳丸は滝のような汗をかいている。
「瀬矢様も、お飲みください」
 耳丸は言って、礼も口をつけた。
 耳丸の所々の心遣いや、礼を安心させる言葉に、礼は頼もしく思うのだった。耳丸がどれだけ支えてくれているだろうか、と。
 照りつけた日が落ちた。薄暗い小屋の中は真っ暗になった。まだ昼間の熱気はおさまらず、礼と耳丸を苦しめた。水筒の水はなくなり、二人は我慢を強いられた。
 再び、扉の横木が抜かれる音がする。二人とも無駄に力を使いたくなくて、下を向いたままだ。
 松明の灯りが小屋の中を照らした。女たちが食事を持ってきたのだ。礼と耳丸の前に膝をつくと薄い粥を匙ですくって礼と耳丸の口に押し込む。
 板を入れていない面に、子供が姿を現した。姿からして六つくらいともう少し幼い子であった。兄弟なのか、大きな子が幼児を抱いて二人はこちらを見ている。幼児は時折苦しそうに咳をする。それは、礼たちが食事をしている間に、何度も咳の声が聞こえた。
 椀の中の粥を全て口に入れた女たちは水筒の用意をしている。
 礼は体の前で縛られている手で耳丸の袖を引っ張った。耳丸が顔を上げると、板のない壁へと視線を送った。耳丸は礼の視線の意図を考えた。子供二人がこちらを見ている。
 その時、抱かれている幼児が咳をした。
「あの子供は、お前の子か?」
 耳丸は自分を世話していた女に問いかけた。女は驚いて顔を上げた。
 ここから、耳丸は礼が何を言わんとしているのか、想像しながら話し始めた。
「お前の子なのか。体の調子が悪いのではないか?」
 女ははっと顔色を変える。どうやら図星らしい。耳丸は礼の顔を見ながら次の言葉を言った。
「咳が出ているようだが、どうした?」
 女は闖入者たちと関わりを持つことを禁じられているのだろう、目を伏せた。耳丸は礼を見た。礼は薬箱を見つめる。
「咳にいい薬がある。薬箱を取ってくれ」
 耳丸は視線で薬箱を指し示した。女はためらったが、礼についていた女が側にあった薬箱を手にした。
「この方は喉を傷められて、言葉を話せないのだが、医者なのだ。お前の子の咳を治すことができる」
 礼は耳丸の方を向いて、唇を動かす。
「三段目の箱を開けてくれ」
 礼についていた女は紐を解いて、三段目の引き出しを開けた。乾燥した薬草らしきものが入っている。
「それを煮出して飲ませろ」
 耳丸は礼を見て、礼の唇を読む。
「咳も治るだろう」
 女二人は顔を見合わせた。
「心配なら煮出したものを私に飲ませてもいい。毒見してやる。私たちを信じろ」
 扉の側に立った男が、声をかけた。女たちは躊躇していたが、子供の母親は最後に薬箱から一掴みの薬草を握って立ち上がった。
 扉は閉じられ、横木が指された。
 耳丸は礼を窺うと、礼の視線は優しい。礼の言わんとすることには応えられたのだろう。
 あたりはすっかり暮れた。月夜であるが、小屋は高い樹木に囲まれて月の光は届かない。暗闇の中で、礼と耳丸は言葉を交わすことなく、お互い目をつむっていた。そして、気力も極限に達して、意識を失うように眠りに着いた頃、ゆっくりと扉の横木が外された。その音に耳丸が気づく。何が入ってくるのか、身構えた。扉が開いたところで、礼も目を覚ました。明かりを持たない人影が中に入って来た。
 薄暗い中で、小声で話している声は女の声だった。「こっちよ」「気をつけて」と切れ切れに言葉が発せられる。そして。
「お医者様」
 とか細い声が言った。
「ここだ」
 耳丸は代わりに返事した。
 女二人……夕方に粥を食べさせてくれた女たちのようだ。咳をしていた子供の母親とその親族といったところだろうか。
 女は竹筒を持っている。耳丸が言ったように、煮出した薬湯を持ってきたのだ。不安もあるが、この薬湯が効くのであれば、咳に苦しんでいる我が子に飲ませたいと思ったのだろう。
「あの薬よ。飲んでおくれ」
 女は耳丸の声を頼りに、耳丸の前まで歩いて行って、薬湯の入った筒を口の前へと差し出した。
「ここだ。もっと近くに持ってきてくれ。そこでは遠くてまだ飲めない」
 耳丸は暗闇で目が慣れない女の手を誘導した。
「そうだ。そのまま」
 耳丸はそう言うと、喉を鳴らして椀を飲み干した。礼は暗闇の中、その音を聞いて状況を把握していた。
「飲んだぞ。朝にでも様子を見にこい。なんともないから。それより、早く子供に飲ませてやれ。楽になるはずだから」
 耳丸が言うと、女たちは無言で立ち去った。扉が閉じられ、また横木が差される。礼と耳丸は一時の出来事に目が冴えてしまったが会話をすることはなく、やがて眠りに落ちた。
 肉体の疲労は自覚している以上に大きく、翌日、礼も耳丸も起こされるまで起きなかった。陽は高くなり、小屋の中の気温は上がり、縄も体に食い込んでいる中二人はお互いの背中を合わせて支えあって眠っていた。
 扉が開き、数人の男たちが中に入ってきた。昨日、耳丸と対峙した男が持っている棒で耳丸の肩を突いたところで、二人は目を覚ましたのだった。
 男が耳丸を見下ろしている。耳丸は体を起こして、男を見上げた。
「この者たちか?」
 男の後ろから別の男が身を乗り出してきて言った。その男は、村の男とは一線が引かれているし、装束が違う。耳丸はすぐさま新たに登場した男に視線を向けた。
「若田城から来た医者らしい。女たちが、医者だと言っている」
「若田城から?」
 村人ではないと見える男は言って、もっと前に進み出た。
 耳丸は男と目を合わせた。汗と土にまみれた汚れた顔を新しく現れた男もじっくりと見た。
「お前たちか?若田城からこの村を目指してきたというのは。何のために来た?」
 耳丸は喉の渇きでうまく喋れず、しゃがれた声で答えた。
「この村にけが人がいると聞いてきました。若田城におられる高峰様から」
 高峰の名を口にすると、男は視線を泳がせた。
「実言様を助けに参ったのです」
 細々と話しをしていたのでは進まないと思って、耳丸は実言の名を出した。この男はどこかに隠れている実言が率いている一団の一人なのだ。それも実言のすぐ下で動いている人物だろう。
 実言の名を聞いて、男は目を見開き、顔色を変えた。
「この方は医者です。どうか、けが人の元へお連れください」
 耳丸は隣にいる礼を見やって、また正面を向くと懇願した。
「お前は誰なのだ」
「岩城家に仕える、耳丸という者です。この方は瀬矢という医者です」
 男は頷いたが、しばらく沈黙し耳丸を見下ろしていたが、そのまま踵を返して小屋から出て行った。
 残された耳丸は緊張を解いて姿勢を崩した。
 どういう判断をしようとしているのかわからないが、全てを話したのだから、今はこのまま待つしかないのだ。相手も訳のわからないことを言っていると思ってはいない。耳丸の話を真実と思うならすがられずにはいられないはずだ。真偽を決めかねているのだと思った。
 しばらくすると、女たちが食事と水を持って現れた。昨日のようにこちらの喉の通りなどお構いなしにぐいぐいと口の中に入れてくることなく、こちらが次の口を開くまで待って、粥を救って食べさせた。
 食べ終わると、礼の給仕をしていた女が礼の手首を締めている縄を解き始めた。昨夜耳丸の給仕をしていた女で、咳をしていた子供の母親である。程なく、縄は解かれた。
「下の子は咳が治まった。熱もあったけど、下がった。でも、上の子が熱を出してしまった」
 女は自分の心配事を言って、黙った。
 礼は頷くと、薬箱を引き寄せ引き出しを開けた。女は持ってきた布を広げたので、礼は薬草を取り出してその上へ置いた。
「煮出せばいいの?どれくらい?とても濃く?」
 礼は頷く。話ができればもっと細かい事が言えるだろうが、それも今はできず、もどかしい。
 女は礼の頷きを見ると、礼の手首に緩く縄を回して結んだ。女たちが出て行って、礼と耳丸はまた我慢の時間が続いた。
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