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第二部 wildflower
第二十七話
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五日後、礼は都に行く耳丸に、麻奈見宛の手紙を託した。
耳丸は神妙に礼から手紙を受け取った。すがるように見つめる礼が何を求めているのかわからなかったが、大事に懐へ入れると馬にまたがって都へと向かった。
耳丸は都に行けば五日、六日滞在してから束蕗原に戻ってくる。礼は、麻奈見から必ず返事をもらってきてほしいから、いつもより滞在日数がかかってもいいと言った。
待っている間、気を紛らわせてくれるのは我が子である。礼は、我が子がすくすくと育つ様子に目を細めた。子供たちは今では寝返りを打ち、這いまわるので、ますます目を離せなくなった。何を言っているかわからぬが、訴えるような発声に皆が子供たちに注目し、何を言っているのかしらね、と言い合った。
昼間は去や縫、侍女や弟子たちと子供の世話や、薬作りをしているが、礼は夜になると一旦褥に横になっても、皆が寝静まると簀子縁に出て夜空を眺めた。
目を瞑ると眠りに落ちてしまう。それが怖かった。
眠ると実言が現れて、礼に別れを告げに来るのだ。礼は必死に実言を捕まえようと追うが、追いつくことなく実言は消え去ってしまう。その時、恐怖に胸をきゅうと掴まれるような苦しさを感じて目が醒める。
だから礼は、眠るのが怖い。
夢に現れる実言は日に日に肌が土気色になり、それはもう死んだ人のようだ。これは、遠い北の空の下での現実なのだろうか。もしそうなら、実言は死んだということだろうか。実言はあれほど、生きて帰ってくると約束したはずなのに。
礼は皆が須和家の娘の力と言っている自分に起こる不思議な力……少し前のことが予感のようにわかること……を思った。今、夜な夜な夢で見ていることもその力のせいだろうか。そうであれば、礼は実言の身に危機が迫っているのだと確信する。実言は瀕死の状態にいるのだ。
礼が麻奈見に手紙を書いたのは、実言について何か宮廷での噂でも聞いているのではないかと思ったからだ。
義父である園栄が何か知っていれば教えてくれるだろう。そうしないのは、知らないのか……知っていても言わないのか。それは耳丸も然りだろう。
宮廷では様々なうわさが飛び交っている。本当も嘘も。何でもいいから、実言に関すること、北方の戦のことを知りたかった。それを身近で聞けるうってつけは麻奈見だから、礼は麻奈見に手紙を出したのだった。
麻奈見の返事をもらうために、いつもより一日、二日束蕗原への戻りが遅くなってもいいといったものの、行ってしまったら耳丸が一日でも早く帰ってこないかと待ち遠しい。三日目から夕暮れどきになると礼は館の門まで歩いて行って、門の前に続く道の向こうを眺めた。
耳丸が束蕗原を出て、七日目のことだった。
礼はいつものように、子供たちを囲んで乳母や縫たちと一緒に一つ部屋で寝た。しかし、眠るのが怖くて横になっただけだった。すると、外で「礼」と呼ぶ声が聞こえた。最初は空耳かと思ったが、二度三度と呼ばれ、それが耳丸の声だとわかり、礼は静かに、だが素早く起き上がって上着を羽織ると、簀子縁に出ると、階下に立っている人影が見えた。
耳丸は夜も更けた今頃、都から束蕗原に戻ってきたのだ。
「耳丸」
礼は小さいが鋭い声で呼んで、階を下に降りて行った。
「こんな遅くに戻ってきたの?」
「丁度、音原様から返事が届いたので、それを受け取ってすぐにこっちに帰って来た。これを」
耳丸は手に持っている厚い紙を差し出した。礼は胸に押し抱くようにして受け取った。
「私のために、こんな夜更けになるのに馬を駆けてきてくれたのね……」
礼は耳丸の胸の中に飛び込みそうなほど近づいて言った。
「……お前のためではない。実言のためだ。岩城の家でも、実言がどうなっているのかわかっていないようだった。もしかしたら、宮廷内で岩城の者には実言のことを言わないように画策している者がいるのかもしれない。岩城家を失脚させようと思っている奴らはいくらでもいるからな」
と、耳丸は言った。
「暗い夜道を走って、疲れたでしょう……耳丸。休んでちょうだい」
礼は心を込めて言った。耳丸はその声に促されるように自室のある棟へと歩いて行った。礼は耳丸の後ろ姿を見送ると、階を駆け上がり簀子縁に掛かる釣り灯籠の下に立って、胸の中に抱いた手紙を出した。手紙を包んでいる紙を破るように取り除いて、礼は巻かれた紙を右から読んでいった。
麻奈見の手紙は、礼が無事に出産したと聞いたこと。おめでとうとはじまっていた。その後、産後の体を気遣う言葉が並んだ。そして、少しばかり自分のことを。宮廷行事や大王が主催する宴で舞をまったりして忙しいと。胸の調子はよくも悪くもないが、礼が束蕗原にいるうちに、療養を兼ねて行くつもりだと書いてあった。
礼の知りたい実言のことは、戦況は、芳しくないと始まった。大王軍が劣勢であるとのこと。今回も、制圧は難しいのではないかと噂が飛び交い宮中は暗い雰囲気になっている。噂には、一師団がいなくなったと聞いた。だが、それは実言が率いる軍勢かはわからない、と。
礼、悪い想像ばかりしてはいけない。最後まで、希望を持って。と最後に書いてあった。
礼は、だらりと両手を下に下げた。右手に掴んでいる長い手紙は簀子縁の板に着こうとするが、夜風が煽っている。
北方の戦では一師団が犠牲になっているのだ。
礼は、それが実言であると思えて仕方がない。実言だから、こうして夢に現れて礼に別れを告げているのだ。それは今まで実言を矢から救ってきた須和の娘の力というものが教えているとしか思えなかった。
礼は居てもたってもいられず、実言の元へ飛んで行きたい気持ちだ。しかし、飛んでいくなんて叶わぬことだと思った。それならばこの脚で、地を踏みしめて行くしかないのだろうと考えていた。
礼は呆然となった自分をやっとのことで取り戻して、部屋の中で横になった。到底眠ることなどできず、夜が明けるのを待った。
耳丸は神妙に礼から手紙を受け取った。すがるように見つめる礼が何を求めているのかわからなかったが、大事に懐へ入れると馬にまたがって都へと向かった。
耳丸は都に行けば五日、六日滞在してから束蕗原に戻ってくる。礼は、麻奈見から必ず返事をもらってきてほしいから、いつもより滞在日数がかかってもいいと言った。
待っている間、気を紛らわせてくれるのは我が子である。礼は、我が子がすくすくと育つ様子に目を細めた。子供たちは今では寝返りを打ち、這いまわるので、ますます目を離せなくなった。何を言っているかわからぬが、訴えるような発声に皆が子供たちに注目し、何を言っているのかしらね、と言い合った。
昼間は去や縫、侍女や弟子たちと子供の世話や、薬作りをしているが、礼は夜になると一旦褥に横になっても、皆が寝静まると簀子縁に出て夜空を眺めた。
目を瞑ると眠りに落ちてしまう。それが怖かった。
眠ると実言が現れて、礼に別れを告げに来るのだ。礼は必死に実言を捕まえようと追うが、追いつくことなく実言は消え去ってしまう。その時、恐怖に胸をきゅうと掴まれるような苦しさを感じて目が醒める。
だから礼は、眠るのが怖い。
夢に現れる実言は日に日に肌が土気色になり、それはもう死んだ人のようだ。これは、遠い北の空の下での現実なのだろうか。もしそうなら、実言は死んだということだろうか。実言はあれほど、生きて帰ってくると約束したはずなのに。
礼は皆が須和家の娘の力と言っている自分に起こる不思議な力……少し前のことが予感のようにわかること……を思った。今、夜な夜な夢で見ていることもその力のせいだろうか。そうであれば、礼は実言の身に危機が迫っているのだと確信する。実言は瀕死の状態にいるのだ。
礼が麻奈見に手紙を書いたのは、実言について何か宮廷での噂でも聞いているのではないかと思ったからだ。
義父である園栄が何か知っていれば教えてくれるだろう。そうしないのは、知らないのか……知っていても言わないのか。それは耳丸も然りだろう。
宮廷では様々なうわさが飛び交っている。本当も嘘も。何でもいいから、実言に関すること、北方の戦のことを知りたかった。それを身近で聞けるうってつけは麻奈見だから、礼は麻奈見に手紙を出したのだった。
麻奈見の返事をもらうために、いつもより一日、二日束蕗原への戻りが遅くなってもいいといったものの、行ってしまったら耳丸が一日でも早く帰ってこないかと待ち遠しい。三日目から夕暮れどきになると礼は館の門まで歩いて行って、門の前に続く道の向こうを眺めた。
耳丸が束蕗原を出て、七日目のことだった。
礼はいつものように、子供たちを囲んで乳母や縫たちと一緒に一つ部屋で寝た。しかし、眠るのが怖くて横になっただけだった。すると、外で「礼」と呼ぶ声が聞こえた。最初は空耳かと思ったが、二度三度と呼ばれ、それが耳丸の声だとわかり、礼は静かに、だが素早く起き上がって上着を羽織ると、簀子縁に出ると、階下に立っている人影が見えた。
耳丸は夜も更けた今頃、都から束蕗原に戻ってきたのだ。
「耳丸」
礼は小さいが鋭い声で呼んで、階を下に降りて行った。
「こんな遅くに戻ってきたの?」
「丁度、音原様から返事が届いたので、それを受け取ってすぐにこっちに帰って来た。これを」
耳丸は手に持っている厚い紙を差し出した。礼は胸に押し抱くようにして受け取った。
「私のために、こんな夜更けになるのに馬を駆けてきてくれたのね……」
礼は耳丸の胸の中に飛び込みそうなほど近づいて言った。
「……お前のためではない。実言のためだ。岩城の家でも、実言がどうなっているのかわかっていないようだった。もしかしたら、宮廷内で岩城の者には実言のことを言わないように画策している者がいるのかもしれない。岩城家を失脚させようと思っている奴らはいくらでもいるからな」
と、耳丸は言った。
「暗い夜道を走って、疲れたでしょう……耳丸。休んでちょうだい」
礼は心を込めて言った。耳丸はその声に促されるように自室のある棟へと歩いて行った。礼は耳丸の後ろ姿を見送ると、階を駆け上がり簀子縁に掛かる釣り灯籠の下に立って、胸の中に抱いた手紙を出した。手紙を包んでいる紙を破るように取り除いて、礼は巻かれた紙を右から読んでいった。
麻奈見の手紙は、礼が無事に出産したと聞いたこと。おめでとうとはじまっていた。その後、産後の体を気遣う言葉が並んだ。そして、少しばかり自分のことを。宮廷行事や大王が主催する宴で舞をまったりして忙しいと。胸の調子はよくも悪くもないが、礼が束蕗原にいるうちに、療養を兼ねて行くつもりだと書いてあった。
礼の知りたい実言のことは、戦況は、芳しくないと始まった。大王軍が劣勢であるとのこと。今回も、制圧は難しいのではないかと噂が飛び交い宮中は暗い雰囲気になっている。噂には、一師団がいなくなったと聞いた。だが、それは実言が率いる軍勢かはわからない、と。
礼、悪い想像ばかりしてはいけない。最後まで、希望を持って。と最後に書いてあった。
礼は、だらりと両手を下に下げた。右手に掴んでいる長い手紙は簀子縁の板に着こうとするが、夜風が煽っている。
北方の戦では一師団が犠牲になっているのだ。
礼は、それが実言であると思えて仕方がない。実言だから、こうして夢に現れて礼に別れを告げているのだ。それは今まで実言を矢から救ってきた須和の娘の力というものが教えているとしか思えなかった。
礼は居てもたってもいられず、実言の元へ飛んで行きたい気持ちだ。しかし、飛んでいくなんて叶わぬことだと思った。それならばこの脚で、地を踏みしめて行くしかないのだろうと考えていた。
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