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第二部 wildflower
第十八話
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岩城の邸に戻ると、母屋から離れに向かった。母屋と離れをつなぐ渡り廊下の離れ側で澪が待っていた。
時刻は巳刻(午前十時)になる頃である。
「どうかしたのか?」
一目見て、澪の顔色が悪いのがわかる。
「はい」
返事をするだけで具体的なことを言わないが、礼のことだろう。実言は部屋へと駆けつけた。簀子縁には耳丸が座って控えている。御簾を揺らして部屋の中に入ると、几帳に囲まれた寝所の中に体を起こした礼が縫に寄りかかっていた。
「これはどうしたことだ?」
実言が声をかけたら、礼と縫が一斉に振り向いた。その顔を見ると、礼をはじめに縫も澪も耳丸もみながやつれたひどい顔になっている。
「実言!」
礼は叫ぶように言って、縫に抱きついた。
「さ、礼様。実言様は帰っていらっしゃったのですから、体を横にしてくださいまし」
縫はそういうが、礼は言うことを聞かない。実言が礼のそばに行くと、礼は実言の手を取って、それを伝ってその体に寄りかかった。
縫が話すには、礼は実言の手で寝かしつけられた後夕方に目を覚ましたが、実言が外出してからまだ帰っていないと知ると、食事も汁物を一匙口にしただけで下げさせて、実言が帰るまで待つといって、一睡もせずに今までいたというのだ。周りの者も眠ることもできず、縫、澪、耳丸は一晩中火を焚いて一緒に起きていた。
「ああ、すまなかった。待たせたね」
実言は礼の髪を撫でなから言った。
「私と礼の食事を持ってきてくれないか」
澪はすぐに台所に行って、膳を用意させた。礼の膳には粥と煮魚が載っている。実言は粥を掬って礼の口に運ぶ。礼は申し訳なさそうに実言の差し出す匙を口の中に入れた。
医者の見立ても、礼への問診と体調の状況から懐妊と診断された。三月が経過していると思われた。
「ややの分もしっかりと食べおくれ」
実言が匙で掬って食べさせてやると礼は椀の中の粥を全て食べた。魚の身もほぐしてやって、口に運んでやる。
「あなたも食べて」
礼に言われて実言は自分の膳の上を食べ終わると、縫、澪、耳丸に休むように言った。
「私たちは少し寝るから、お前たちも自分の部屋で休んでおくれ。大変な目にあわせてしまったね。すまなかった」
実言は部屋の奥の寝台へと礼を連れて行く。そこだと外の光が届かず眠りにつきやすいと考えたからだ。
「おいで」
手をとって、寝台の中に引き入れてやる。実言は横になって、亡き兄の形見の上着を着た礼をその腕の中に入れた。
「実言」
礼は不安そうな声で実言の名を呼んだ。
「礼。言っただろう。寝て起きたら、いつも通りだ、と。お前が心配するようなことは何もない。お前の懐妊だけが予想外で嬉しい出来事だよ。これからは体が大事だから、碧様に事情をお話しして、後宮に行くのはやめておこう」
「本当?王子様は……王子様は」
「春日王子のことは心配しなくてもよい。時間がかかってしまったけど、私がお話しして、わかっていただいたから。お前は命で償うなんてことを言わないでおくれ。お前がいなくなってしまうなんて私は耐えられない。ましてや、子が生まれるというのに、お前は生きていなくてはいけないよ」
「本当?」
礼はもう一度聞いた。不安な表情は崩れない。
「私は信用がないのかね。心配はいらないとさっきから言っているのに」
実言がクスリと笑うと、礼はやっと安心した顔をした。
「昨夜は私を待って一睡もしてないそうじゃないか。心配してくれるのは嬉しいが、私はお前の身の方が心配だよ。さあ、眠って」
実言は自分の腕を礼に差し出し枕にしてやって礼を見守る。礼は目を閉じると、すぐに眠りに落ちていった。付けたままの眼帯を実言は外してやった。
礼は少し口を開けて、出会った頃のあどけない娘のような顔で眠っている。
実言は愛しさが増して、近づいてその唇を吸った。
時刻は巳刻(午前十時)になる頃である。
「どうかしたのか?」
一目見て、澪の顔色が悪いのがわかる。
「はい」
返事をするだけで具体的なことを言わないが、礼のことだろう。実言は部屋へと駆けつけた。簀子縁には耳丸が座って控えている。御簾を揺らして部屋の中に入ると、几帳に囲まれた寝所の中に体を起こした礼が縫に寄りかかっていた。
「これはどうしたことだ?」
実言が声をかけたら、礼と縫が一斉に振り向いた。その顔を見ると、礼をはじめに縫も澪も耳丸もみながやつれたひどい顔になっている。
「実言!」
礼は叫ぶように言って、縫に抱きついた。
「さ、礼様。実言様は帰っていらっしゃったのですから、体を横にしてくださいまし」
縫はそういうが、礼は言うことを聞かない。実言が礼のそばに行くと、礼は実言の手を取って、それを伝ってその体に寄りかかった。
縫が話すには、礼は実言の手で寝かしつけられた後夕方に目を覚ましたが、実言が外出してからまだ帰っていないと知ると、食事も汁物を一匙口にしただけで下げさせて、実言が帰るまで待つといって、一睡もせずに今までいたというのだ。周りの者も眠ることもできず、縫、澪、耳丸は一晩中火を焚いて一緒に起きていた。
「ああ、すまなかった。待たせたね」
実言は礼の髪を撫でなから言った。
「私と礼の食事を持ってきてくれないか」
澪はすぐに台所に行って、膳を用意させた。礼の膳には粥と煮魚が載っている。実言は粥を掬って礼の口に運ぶ。礼は申し訳なさそうに実言の差し出す匙を口の中に入れた。
医者の見立ても、礼への問診と体調の状況から懐妊と診断された。三月が経過していると思われた。
「ややの分もしっかりと食べおくれ」
実言が匙で掬って食べさせてやると礼は椀の中の粥を全て食べた。魚の身もほぐしてやって、口に運んでやる。
「あなたも食べて」
礼に言われて実言は自分の膳の上を食べ終わると、縫、澪、耳丸に休むように言った。
「私たちは少し寝るから、お前たちも自分の部屋で休んでおくれ。大変な目にあわせてしまったね。すまなかった」
実言は部屋の奥の寝台へと礼を連れて行く。そこだと外の光が届かず眠りにつきやすいと考えたからだ。
「おいで」
手をとって、寝台の中に引き入れてやる。実言は横になって、亡き兄の形見の上着を着た礼をその腕の中に入れた。
「実言」
礼は不安そうな声で実言の名を呼んだ。
「礼。言っただろう。寝て起きたら、いつも通りだ、と。お前が心配するようなことは何もない。お前の懐妊だけが予想外で嬉しい出来事だよ。これからは体が大事だから、碧様に事情をお話しして、後宮に行くのはやめておこう」
「本当?王子様は……王子様は」
「春日王子のことは心配しなくてもよい。時間がかかってしまったけど、私がお話しして、わかっていただいたから。お前は命で償うなんてことを言わないでおくれ。お前がいなくなってしまうなんて私は耐えられない。ましてや、子が生まれるというのに、お前は生きていなくてはいけないよ」
「本当?」
礼はもう一度聞いた。不安な表情は崩れない。
「私は信用がないのかね。心配はいらないとさっきから言っているのに」
実言がクスリと笑うと、礼はやっと安心した顔をした。
「昨夜は私を待って一睡もしてないそうじゃないか。心配してくれるのは嬉しいが、私はお前の身の方が心配だよ。さあ、眠って」
実言は自分の腕を礼に差し出し枕にしてやって礼を見守る。礼は目を閉じると、すぐに眠りに落ちていった。付けたままの眼帯を実言は外してやった。
礼は少し口を開けて、出会った頃のあどけない娘のような顔で眠っている。
実言は愛しさが増して、近づいてその唇を吸った。
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