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第二部 wildflower
第三話
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十二月に入り寒い日が続いた。雪が降り、礼も久しぶりの都の冬が身にしみたが、実言は仕事による遠出もなく、多くの時間を二人一緒に過ごした。
そして、新年を迎えた。
岩城家の男たちは宮中行事に出席するのに慌ただしく過ごしていた。礼も、夫婦になって初めて新年を迎えて元旦から実言が宮中に出仕するにあたり、十二月から召し物の用意をしたり、当日美しく着付けるのを手伝ったりと忙しく過ごした。
また、岩城家の中でも、当主の園栄の正妻を始めとして、女たちだけの新年の挨拶があり、それに顔を出さなくてはならない。礼は日々を離れの邸で気ままに過ごしている分、母屋の広間での女たちの挨拶は緊張するものであった。
岩城の母、妻、娘たちと多くの女人が集まった。岩城家の女の社交の場を恙無く乗り切り、梅の咲く季節になった。
一月は実言も宮廷での行事や仕事で忙しくしていたので、夫婦としては、二月に入って落ち着いたという感じである。いつもの日常が戻ってきたと思っていたときに、実言は礼に思いもよらない話を持ってきた。
その日、実言が帰ってきたとの連絡が入ったが、当主園栄のいる母屋で話し込んでいるのか、なかなか二人の離れに戻ってくる気配がない。
「どうされたのでしょうね?」
縫も澪も実言がすぐにこの離れに帰ってこないので、食事の用意などどうしたものかと気を揉んだが、礼は食事のことは実言がこの離れに戻ってきてからでいいと言って、礼は気長に待つことにして、薬草の本を開いた。しばらくして、遠く渡り廊下が騒がしくなり、実言が従者の忠道や耳丸をつれて離れにやってきた。女たちが一同に迎えて、礼は実言の着替えを手伝った。
「お帰りになったとききましたのに、随分とお父様の御殿でお話しされていたのね」
礼がいうと、実言は着替えも終わって、楽な格好になると、礼にもそばに座るように促した。
「先ほど父上と長く話しこんでいたのは、礼、お前に頼み事があってね」
礼は首を傾げて、実言の話を聞く。
「大王の第五妃は、我が岩城家の娘なのだ。碧と言ってね、父園栄の弟である河奈麿(かわなまろ)叔父の娘で、子供の頃から評判の美貌で、十の時に父の養女にして、十四の時に大王の元へ輿入れさせた。その碧妃が最近気分もすぐれず鬱々と過ごされているとの話があった。そこで、お前の束蕗原での経験がものを言うのだ。碧妃の体調管理をお願いしたい。大王からご寵愛いただいているのに、今まで御子を授かることなく、本人も少し気に病んでいるのだ。だから、話し相手になってやってほしい。頭が痛いと言えば良い薬湯を処方してあげたりしてほしいのだ。妃も礼が一族の者だから心安くて入られるだろうと思う。我が一族の総意としてお願いしたいのだ」
礼は実言に右顔を見せて、黙っていた。
大王の妃の体調管理や話し相手など、思ってもみないことだった。礼は自分のこの容姿や田舎育ちで宮廷のしきたりや作法に疎いことに気後れしてしまって、おいそれと承諾する気にはなれなかった。それに大王の妃の相手となると、多かれすくなかれ宮中政治の中に身を置くことになるのではないか。岩城家のためにも、何かしらの役割を期待されていることだろう。それが嫌というわけではないが、自分が岩城家や実言のために十分に働けるとは思えなかった。
「確かに宮廷の中となると、いろいろとしきたりがあるので、礼が二の足を踏んでしまうのもわかるが、そんなに難しいものでもない。碧(あお)の歳はお前の一つ下で近いし、性格はさっぱりとしているから、案外気が合って楽しくお話しできるよ。ぜひ受けて欲しいのだ」
「しかし、私は実言が思うような働きが出来るかしら。本当に、その碧様のお相手だけでよいのかしら」
宮中では静かに政争が繰り広げられている。臣下の最高権力者になった岩城家の意のままにさせまいと椎葉家を筆頭に対抗勢力が圧力をかけている。王族の中に組み入ろうと、いち早く椎葉家は娘を大王の第四妃に送り込んだ。遅れをとった岩城家が十四の碧を続いて後宮に入れたのであった。礼は碧と関わることが、政争の中で何かの役割を果たさなければならないように思えた。
「礼は、いつものままでいいのだ。碧の話し相手になり、体のすぐれないと言えば薬湯を作って飲ませ、何かあれば後宮の医師に申し上げればいいのだ。宮廷の権力争いなど気にすることはない。お前は自分が束蕗原で身につけた知識を活かして、我が家の姫を助けてやってくれればいいのだ」
実言はそう言って礼を励ますが、礼の気持ちは動かない。
岩城家のために、自分にもできることがあるなら、それも束蕗原で身につけた薬の知識を活かせるのなら、こんな嬉しいことはない。しかし、最後にはこの容姿、左目がないことに気後れしてしまう。たとえ碧妃のところだけに行くとしても、異な姿を宮廷の人々にさらしてしまうことが碧に対して心苦しい。
「大丈夫さ。碧はお前を好きだよ。それに、私は礼ができないことを言ったりしないから。お前はりっぱに勤めてくれるはずだよ」
実言は礼の心をわかってくれないようだ。
礼はやはり身に余る役目のように感じたが、実言に言いくるめられるように頷いてしまって、碧様の元へお伺いするという話は進められることになった。
季節は、梅から桜にその盛りを譲ろうとしているころ、後宮に上がる準備が整ったとのことで、礼は実言と碧妃の実の父親で、実言の叔父の河奈麿と共に碧妃が住まう後宮の館へと参ったのだった。
後宮内の警備は厳重で、たとえ岩城家のような権力のあるものでも好き勝手にはできず、手順を踏んで、今日、妃である碧様をお訪ねすることと、その許可が下りていることを示す許可証を一つ一つ関所の女官、侍女に見せるのだった。
長い石畳の回廊を三人と後宮の女官とで歩き進み、次の館に入る時にはその館の女官に引き継がれて、やっと碧妃の館にたどり着いた。少し待たされて、礼たちは部屋の中には行った。一段上がった座敷の上に、美しい装いの女性が座っていた。
三人が入ってきたのに気づくと、その人は表情を緩め華やかに笑った。
「お待ちしておりました」
柔らかい声が部屋の中を和ませる。
河奈麿と実言が碧妃の前に座り、礼は実言の後ろに控えた。
「碧様。ご機嫌麗しく、嬉しい限りでございます」
河奈麿の挨拶に、「ありがとう」と答えて、碧妃が持っている扇を閉じた。それは人払いの合図で、侍女一人を残して、皆が下がっていった。
「お久しぶりです。お父様」
親しみを込めた声で碧は話しかけた。
「お父様に会うのは一年ぶりくらいでしょうか。お兄様も、お久しぶりですね」
嬉しそうに碧は面前に座る二人を見ているが、視線は少し遠くを泳いで、礼を捉えた。
「その方が?」
「はい、私の妻の礼でございます。これから、碧様のお話し相手として参ります。どうかよろしくお願い致します」
実言が礼の方を見やりながら言った。礼は、深々と頭を下げて挨拶をする。
「礼でございます。どうぞよろしくお願い致します」
「よろしく」
碧妃はそう言って礼に向かってほほ笑んだ。
その日は礼にとって本当に顔見せだけのようで、碧妃は久しぶりの実の父親や従兄弟である実言との会話を楽しんでその日は退出した。
礼は碧妃のその華やかな美貌をそっと盗み見て時間を過ごした。
そして、新年を迎えた。
岩城家の男たちは宮中行事に出席するのに慌ただしく過ごしていた。礼も、夫婦になって初めて新年を迎えて元旦から実言が宮中に出仕するにあたり、十二月から召し物の用意をしたり、当日美しく着付けるのを手伝ったりと忙しく過ごした。
また、岩城家の中でも、当主の園栄の正妻を始めとして、女たちだけの新年の挨拶があり、それに顔を出さなくてはならない。礼は日々を離れの邸で気ままに過ごしている分、母屋の広間での女たちの挨拶は緊張するものであった。
岩城の母、妻、娘たちと多くの女人が集まった。岩城家の女の社交の場を恙無く乗り切り、梅の咲く季節になった。
一月は実言も宮廷での行事や仕事で忙しくしていたので、夫婦としては、二月に入って落ち着いたという感じである。いつもの日常が戻ってきたと思っていたときに、実言は礼に思いもよらない話を持ってきた。
その日、実言が帰ってきたとの連絡が入ったが、当主園栄のいる母屋で話し込んでいるのか、なかなか二人の離れに戻ってくる気配がない。
「どうされたのでしょうね?」
縫も澪も実言がすぐにこの離れに帰ってこないので、食事の用意などどうしたものかと気を揉んだが、礼は食事のことは実言がこの離れに戻ってきてからでいいと言って、礼は気長に待つことにして、薬草の本を開いた。しばらくして、遠く渡り廊下が騒がしくなり、実言が従者の忠道や耳丸をつれて離れにやってきた。女たちが一同に迎えて、礼は実言の着替えを手伝った。
「お帰りになったとききましたのに、随分とお父様の御殿でお話しされていたのね」
礼がいうと、実言は着替えも終わって、楽な格好になると、礼にもそばに座るように促した。
「先ほど父上と長く話しこんでいたのは、礼、お前に頼み事があってね」
礼は首を傾げて、実言の話を聞く。
「大王の第五妃は、我が岩城家の娘なのだ。碧と言ってね、父園栄の弟である河奈麿(かわなまろ)叔父の娘で、子供の頃から評判の美貌で、十の時に父の養女にして、十四の時に大王の元へ輿入れさせた。その碧妃が最近気分もすぐれず鬱々と過ごされているとの話があった。そこで、お前の束蕗原での経験がものを言うのだ。碧妃の体調管理をお願いしたい。大王からご寵愛いただいているのに、今まで御子を授かることなく、本人も少し気に病んでいるのだ。だから、話し相手になってやってほしい。頭が痛いと言えば良い薬湯を処方してあげたりしてほしいのだ。妃も礼が一族の者だから心安くて入られるだろうと思う。我が一族の総意としてお願いしたいのだ」
礼は実言に右顔を見せて、黙っていた。
大王の妃の体調管理や話し相手など、思ってもみないことだった。礼は自分のこの容姿や田舎育ちで宮廷のしきたりや作法に疎いことに気後れしてしまって、おいそれと承諾する気にはなれなかった。それに大王の妃の相手となると、多かれすくなかれ宮中政治の中に身を置くことになるのではないか。岩城家のためにも、何かしらの役割を期待されていることだろう。それが嫌というわけではないが、自分が岩城家や実言のために十分に働けるとは思えなかった。
「確かに宮廷の中となると、いろいろとしきたりがあるので、礼が二の足を踏んでしまうのもわかるが、そんなに難しいものでもない。碧(あお)の歳はお前の一つ下で近いし、性格はさっぱりとしているから、案外気が合って楽しくお話しできるよ。ぜひ受けて欲しいのだ」
「しかし、私は実言が思うような働きが出来るかしら。本当に、その碧様のお相手だけでよいのかしら」
宮中では静かに政争が繰り広げられている。臣下の最高権力者になった岩城家の意のままにさせまいと椎葉家を筆頭に対抗勢力が圧力をかけている。王族の中に組み入ろうと、いち早く椎葉家は娘を大王の第四妃に送り込んだ。遅れをとった岩城家が十四の碧を続いて後宮に入れたのであった。礼は碧と関わることが、政争の中で何かの役割を果たさなければならないように思えた。
「礼は、いつものままでいいのだ。碧の話し相手になり、体のすぐれないと言えば薬湯を作って飲ませ、何かあれば後宮の医師に申し上げればいいのだ。宮廷の権力争いなど気にすることはない。お前は自分が束蕗原で身につけた知識を活かして、我が家の姫を助けてやってくれればいいのだ」
実言はそう言って礼を励ますが、礼の気持ちは動かない。
岩城家のために、自分にもできることがあるなら、それも束蕗原で身につけた薬の知識を活かせるのなら、こんな嬉しいことはない。しかし、最後にはこの容姿、左目がないことに気後れしてしまう。たとえ碧妃のところだけに行くとしても、異な姿を宮廷の人々にさらしてしまうことが碧に対して心苦しい。
「大丈夫さ。碧はお前を好きだよ。それに、私は礼ができないことを言ったりしないから。お前はりっぱに勤めてくれるはずだよ」
実言は礼の心をわかってくれないようだ。
礼はやはり身に余る役目のように感じたが、実言に言いくるめられるように頷いてしまって、碧様の元へお伺いするという話は進められることになった。
季節は、梅から桜にその盛りを譲ろうとしているころ、後宮に上がる準備が整ったとのことで、礼は実言と碧妃の実の父親で、実言の叔父の河奈麿と共に碧妃が住まう後宮の館へと参ったのだった。
後宮内の警備は厳重で、たとえ岩城家のような権力のあるものでも好き勝手にはできず、手順を踏んで、今日、妃である碧様をお訪ねすることと、その許可が下りていることを示す許可証を一つ一つ関所の女官、侍女に見せるのだった。
長い石畳の回廊を三人と後宮の女官とで歩き進み、次の館に入る時にはその館の女官に引き継がれて、やっと碧妃の館にたどり着いた。少し待たされて、礼たちは部屋の中には行った。一段上がった座敷の上に、美しい装いの女性が座っていた。
三人が入ってきたのに気づくと、その人は表情を緩め華やかに笑った。
「お待ちしておりました」
柔らかい声が部屋の中を和ませる。
河奈麿と実言が碧妃の前に座り、礼は実言の後ろに控えた。
「碧様。ご機嫌麗しく、嬉しい限りでございます」
河奈麿の挨拶に、「ありがとう」と答えて、碧妃が持っている扇を閉じた。それは人払いの合図で、侍女一人を残して、皆が下がっていった。
「お久しぶりです。お父様」
親しみを込めた声で碧は話しかけた。
「お父様に会うのは一年ぶりくらいでしょうか。お兄様も、お久しぶりですね」
嬉しそうに碧は面前に座る二人を見ているが、視線は少し遠くを泳いで、礼を捉えた。
「その方が?」
「はい、私の妻の礼でございます。これから、碧様のお話し相手として参ります。どうかよろしくお願い致します」
実言が礼の方を見やりながら言った。礼は、深々と頭を下げて挨拶をする。
「礼でございます。どうぞよろしくお願い致します」
「よろしく」
碧妃はそう言って礼に向かってほほ笑んだ。
その日は礼にとって本当に顔見せだけのようで、碧妃は久しぶりの実の父親や従兄弟である実言との会話を楽しんでその日は退出した。
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