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第二部 wildflower
第二話
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秋も深まった十一月のはじめから、実言は半月ほど都の外へ遠征に行ってしまった。こんなに離れるのは久しぶりなので、実言が出発の朝に名残惜しそうに礼にまとわりついていた。
「本当に仲のよろしいことですわね」
嫌味ではなく、本当に感心して、縫は言った。この離れ付きの侍女になった澪も、縫の隣で見ていたが、簀子縁に出てこの離れから遠ざかっていく実言の背中を見送っている礼の後ろ姿を眺めながら相槌を打った。
「本当に仲睦まじいお二人ですわ」
仲睦まじいことはいいことだが、ここまで相性のよい二人とは、縫は思いもよらなかった。喧嘩といっても痴話喧嘩のようなもので、最後には実言が礼の機嫌をとって仲直りしている。最初はこの離れの主人である二人が険悪になっていくのを侍女たちもハラハラしてみていたが、最後には主人たちはにこにことしているのだから、ハラハラし損なのだ。
縫は感慨深く思う。礼に付き添ったのは、礼が母親を亡くした直後だった。少し年齢の近いものをということで、礼より四つ年上の自分が侍女になった。それから、少女の礼をそばで見続けた。少女は左目を亡くし、思いもよらず岩城家の三男の許婚となり、自分の生きがいを見つけて女性へと変貌し、無事に実言の妻になることができた。許婚となった頃は、実言を拒み続ける礼を心配しつつ、これ程の男の思いを素直に受け入れられない礼を悲しんだ。それが、時間をかけてこの仲むつまじい姿に結実したかと思うと、言葉にできないほどの嬉しさがこみ上げてくる。
簀子縁から戻ってきた礼は、澪に声をかけた。
「澪、お前、体の調子はどう?最近は寒くなってきて、体がだるいと言っていたけど」
「ええ、まだ少し体のだるさがありますが、寝込むほどのことではありません」
「そう。でも、心配だから、ちょっと私が煎じた薬湯を飲んでみて」
そう言って、礼は自分が作った薬湯を碗に入れて手渡した。
それから、毎日礼は澪に薬湯を飲ませた。ついでに、縫も付き合わせて、三人で飲んだ。四日目あたりで澪は体の調子の良さを感じて、岩城家に仕える他の侍女たちに礼の薬湯のことを話すと、私も飲みたいというものが次々と現れた。澪が礼に事情を話すと、礼は快く他の侍女たちにも薬湯を作って飲ませた。
「うちの女主人をなんと思っているのでしょうか?」
縫は礼と二人きりになったときにそう言って憤慨したが、礼は気にならない。
「まるで、束蕗原にいるときのようだ」
束蕗原で、村の者たちが体の不調を訴えて、症状に沿って薬を処方していたのと同じようなことをやっている。礼の薬湯で侍女たちの体の重いのが取れたやら、頭が痛かったのが治ったなどの話が岩城の母屋まで広がり、縫や澪を通して礼に診てほしいと頼んでくる。礼は、束蕗原と同じ感覚で分け隔てなく自分のできることをしようと、承諾してしまう。また、屋敷の者たちの名前とどのような症状を訴えてきたのかを書きつけ、それぞれにどのような薬草を処方したのかを書いた帳面を作り、二度目三度目とくることがあれば、それに追加していく診療録が出来上がった。
そんなことで、実言の離れでは、岩城家に仕えるものたちが代わる代わる潜んで薬湯や、丸薬を頼みにくるのだった。
「礼様。今使いの者が参りまして、実言様はお帰りが一日遅くなるそうです」
礼が、今日離れにきた者たちに与えた薬草などを書き付けているときに、澪がそう報告してきた。実言は明日都に戻ってくる予定だった。
予定が急に変更になることが全くないわけではないので、礼は、実言の帰りに合わせて用意するはずだった明日のご馳走を次の日にまわせるかを確認させた。実言の帰りが、一日遅くなるからといって、礼は実言の不在に打ちひしがれたりしない。束蕗原で去に教えてもらった薬草作りをして、時間が過ぎるのも忘れている。はじめは、実言の体調管理から薬湯を作って飲ませたりしていたことが、縫や澪におよびその輪がどんどん広がってこの岩城家の大きな屋敷全てに広がっていく。こんなふうに自分の身に着けたことが人に受け入れられ、頼りにされることが嬉しくて仕方なかった。岩城家の妻はもっと静かにしているべきとの声もあるかもしれないが、礼はやめる気はなかった。
そんなことで、実言が帰ってくる日になった。いつものように、薬草作りをしていたら、渡り廊下の母屋側が騒がしくなったので、その様子から実言が帰ってきたのだとわかった。
礼が簀子縁に出ると、実言がわが離れにたどり着く最後の渡り廊下を渡って、礼たちの部屋に向かう長い簀子縁に差し掛かったところだった。
「お帰りなさいませ」
礼が出迎えると、実言は頷いて、礼と一緒に部屋の中に入った。
「帰ってくるなり、母屋に来ていた絢姉さまにつかまって、一度礼に自分の体調について相談したいから、私から口をきいてくれと言われたが、どういうことだい?」
絢とは、実言のすぐ上の兄の妻である。礼は、実言から腰につけている刀を受け取りながら、実言が留守の間、思わぬことから侍女や家人の体調管理をしていたと言ったら、実言に怒られそうだと思い、にっこり笑うだけにした。が、そこは礼から実言の刀を受け取りながら縫は口を開くのだった。
「礼様が、私たち侍女に薬湯や丸薬を処方されて、それが口伝てにこのお屋敷全体に広まって、後から後から侍女、家人に至るまでが薬が欲しいと求めるのを、礼様はお断りすることなく全てお受けになるので、きっと絢奥方さまのお耳にもお聞きおよびになってしまったのですわ」
縫は侍女、家人が気安く自分の女主人に薬湯を頼むのを快く思っていないという気持ちを自ずとその口吻から醸し出す。礼はいつものように左を向いて実言に右顔を見せて、黙っている。
「ああ、そういうことか。礼、私は構わないよ。お前さえ良ければ、絢姉さまと話をしてくれないか」
礼は、澪から実言の着替えを受け取り、几帳の中で実言の着替えを手伝った。
「ごめんなさい。私、お姉さまにまでお聞き及びとは思わず、束蕗原にいるような気持ちで、皆に薬湯などをあげてしまったの」
「いいさ。それで、岩城家に仕えるものが健康になるなら。私は、礼が姉様たちのように家の中でじっとしているとは思えないからね。束蕗原で学んだことを活かすのを私は妨げる気はないよ」
部屋着になると、実言は一息ついて部屋の真ん中に座った。
「耳丸を呼んでくれ」
実言は廊下に控えていた舎人の忠道にいうと、忠道はすぐにきた簀子縁を戻っていった。
「礼に会わせたい者がいてね。耳丸というのだが」
そうは話していると、庭から大きな男が現れ階の下に来て跪いた。実言も大きな男ではあるが、それよりもまだ大きな男だった。実言は庇の間をから階まで礼を伴って出ていき、耳丸に顔を上げるように言った。耳丸は表情を作らず顔を上げた。
「私の母方の遠縁の者で、私の乳兄弟でもあるのだ。九鬼谷の戦では、一緒に戦地に連れて行って、私の下で働いた。母上の体調がよろしくなくて、田舎に戻って看病しながら、田畑を耕して生活していたのだ。その後、母上も亡くなり、この度見回りの帰りにこの男のところに寄って口説き落として、また私の下で働いてくれることになったのだ。私が信頼している者だから、私やお前の身の警護につけようと思う」
礼は、実言がこの男を連れて帰るために一日帰りが遅くなったのかと合点がいった。粗末な姿をしているが、実言の乳兄弟であり、この岩城家に仕えている者だっただけに、田舎に引っ込んでいたからいって、単なる田舎者ではない。礼などよりよほど都のしきたりに精通しているように思えた。
「耳丸。私の妻の礼だ。よろしく頼む」
耳丸は目を伏せて、言った。
「どうぞ、よろしくお願い致します」
とても低く深みのある声だった。
実言はすぐに耳丸を下がらせて、久しぶりの礼との時間を楽しんだ。礼は実言が仕事で家を空けているその間は一人の時間をまるで束蕗原にいるように過ごし充実しているが、久しぶりの実言との再会に寂しさを思い出し、夜は素直に実言の腕の中で眠るのだった。
「本当に仲のよろしいことですわね」
嫌味ではなく、本当に感心して、縫は言った。この離れ付きの侍女になった澪も、縫の隣で見ていたが、簀子縁に出てこの離れから遠ざかっていく実言の背中を見送っている礼の後ろ姿を眺めながら相槌を打った。
「本当に仲睦まじいお二人ですわ」
仲睦まじいことはいいことだが、ここまで相性のよい二人とは、縫は思いもよらなかった。喧嘩といっても痴話喧嘩のようなもので、最後には実言が礼の機嫌をとって仲直りしている。最初はこの離れの主人である二人が険悪になっていくのを侍女たちもハラハラしてみていたが、最後には主人たちはにこにことしているのだから、ハラハラし損なのだ。
縫は感慨深く思う。礼に付き添ったのは、礼が母親を亡くした直後だった。少し年齢の近いものをということで、礼より四つ年上の自分が侍女になった。それから、少女の礼をそばで見続けた。少女は左目を亡くし、思いもよらず岩城家の三男の許婚となり、自分の生きがいを見つけて女性へと変貌し、無事に実言の妻になることができた。許婚となった頃は、実言を拒み続ける礼を心配しつつ、これ程の男の思いを素直に受け入れられない礼を悲しんだ。それが、時間をかけてこの仲むつまじい姿に結実したかと思うと、言葉にできないほどの嬉しさがこみ上げてくる。
簀子縁から戻ってきた礼は、澪に声をかけた。
「澪、お前、体の調子はどう?最近は寒くなってきて、体がだるいと言っていたけど」
「ええ、まだ少し体のだるさがありますが、寝込むほどのことではありません」
「そう。でも、心配だから、ちょっと私が煎じた薬湯を飲んでみて」
そう言って、礼は自分が作った薬湯を碗に入れて手渡した。
それから、毎日礼は澪に薬湯を飲ませた。ついでに、縫も付き合わせて、三人で飲んだ。四日目あたりで澪は体の調子の良さを感じて、岩城家に仕える他の侍女たちに礼の薬湯のことを話すと、私も飲みたいというものが次々と現れた。澪が礼に事情を話すと、礼は快く他の侍女たちにも薬湯を作って飲ませた。
「うちの女主人をなんと思っているのでしょうか?」
縫は礼と二人きりになったときにそう言って憤慨したが、礼は気にならない。
「まるで、束蕗原にいるときのようだ」
束蕗原で、村の者たちが体の不調を訴えて、症状に沿って薬を処方していたのと同じようなことをやっている。礼の薬湯で侍女たちの体の重いのが取れたやら、頭が痛かったのが治ったなどの話が岩城の母屋まで広がり、縫や澪を通して礼に診てほしいと頼んでくる。礼は、束蕗原と同じ感覚で分け隔てなく自分のできることをしようと、承諾してしまう。また、屋敷の者たちの名前とどのような症状を訴えてきたのかを書きつけ、それぞれにどのような薬草を処方したのかを書いた帳面を作り、二度目三度目とくることがあれば、それに追加していく診療録が出来上がった。
そんなことで、実言の離れでは、岩城家に仕えるものたちが代わる代わる潜んで薬湯や、丸薬を頼みにくるのだった。
「礼様。今使いの者が参りまして、実言様はお帰りが一日遅くなるそうです」
礼が、今日離れにきた者たちに与えた薬草などを書き付けているときに、澪がそう報告してきた。実言は明日都に戻ってくる予定だった。
予定が急に変更になることが全くないわけではないので、礼は、実言の帰りに合わせて用意するはずだった明日のご馳走を次の日にまわせるかを確認させた。実言の帰りが、一日遅くなるからといって、礼は実言の不在に打ちひしがれたりしない。束蕗原で去に教えてもらった薬草作りをして、時間が過ぎるのも忘れている。はじめは、実言の体調管理から薬湯を作って飲ませたりしていたことが、縫や澪におよびその輪がどんどん広がってこの岩城家の大きな屋敷全てに広がっていく。こんなふうに自分の身に着けたことが人に受け入れられ、頼りにされることが嬉しくて仕方なかった。岩城家の妻はもっと静かにしているべきとの声もあるかもしれないが、礼はやめる気はなかった。
そんなことで、実言が帰ってくる日になった。いつものように、薬草作りをしていたら、渡り廊下の母屋側が騒がしくなったので、その様子から実言が帰ってきたのだとわかった。
礼が簀子縁に出ると、実言がわが離れにたどり着く最後の渡り廊下を渡って、礼たちの部屋に向かう長い簀子縁に差し掛かったところだった。
「お帰りなさいませ」
礼が出迎えると、実言は頷いて、礼と一緒に部屋の中に入った。
「帰ってくるなり、母屋に来ていた絢姉さまにつかまって、一度礼に自分の体調について相談したいから、私から口をきいてくれと言われたが、どういうことだい?」
絢とは、実言のすぐ上の兄の妻である。礼は、実言から腰につけている刀を受け取りながら、実言が留守の間、思わぬことから侍女や家人の体調管理をしていたと言ったら、実言に怒られそうだと思い、にっこり笑うだけにした。が、そこは礼から実言の刀を受け取りながら縫は口を開くのだった。
「礼様が、私たち侍女に薬湯や丸薬を処方されて、それが口伝てにこのお屋敷全体に広まって、後から後から侍女、家人に至るまでが薬が欲しいと求めるのを、礼様はお断りすることなく全てお受けになるので、きっと絢奥方さまのお耳にもお聞きおよびになってしまったのですわ」
縫は侍女、家人が気安く自分の女主人に薬湯を頼むのを快く思っていないという気持ちを自ずとその口吻から醸し出す。礼はいつものように左を向いて実言に右顔を見せて、黙っている。
「ああ、そういうことか。礼、私は構わないよ。お前さえ良ければ、絢姉さまと話をしてくれないか」
礼は、澪から実言の着替えを受け取り、几帳の中で実言の着替えを手伝った。
「ごめんなさい。私、お姉さまにまでお聞き及びとは思わず、束蕗原にいるような気持ちで、皆に薬湯などをあげてしまったの」
「いいさ。それで、岩城家に仕えるものが健康になるなら。私は、礼が姉様たちのように家の中でじっとしているとは思えないからね。束蕗原で学んだことを活かすのを私は妨げる気はないよ」
部屋着になると、実言は一息ついて部屋の真ん中に座った。
「耳丸を呼んでくれ」
実言は廊下に控えていた舎人の忠道にいうと、忠道はすぐにきた簀子縁を戻っていった。
「礼に会わせたい者がいてね。耳丸というのだが」
そうは話していると、庭から大きな男が現れ階の下に来て跪いた。実言も大きな男ではあるが、それよりもまだ大きな男だった。実言は庇の間をから階まで礼を伴って出ていき、耳丸に顔を上げるように言った。耳丸は表情を作らず顔を上げた。
「私の母方の遠縁の者で、私の乳兄弟でもあるのだ。九鬼谷の戦では、一緒に戦地に連れて行って、私の下で働いた。母上の体調がよろしくなくて、田舎に戻って看病しながら、田畑を耕して生活していたのだ。その後、母上も亡くなり、この度見回りの帰りにこの男のところに寄って口説き落として、また私の下で働いてくれることになったのだ。私が信頼している者だから、私やお前の身の警護につけようと思う」
礼は、実言がこの男を連れて帰るために一日帰りが遅くなったのかと合点がいった。粗末な姿をしているが、実言の乳兄弟であり、この岩城家に仕えている者だっただけに、田舎に引っ込んでいたからいって、単なる田舎者ではない。礼などよりよほど都のしきたりに精通しているように思えた。
「耳丸。私の妻の礼だ。よろしく頼む」
耳丸は目を伏せて、言った。
「どうぞ、よろしくお願い致します」
とても低く深みのある声だった。
実言はすぐに耳丸を下がらせて、久しぶりの礼との時間を楽しんだ。礼は実言が仕事で家を空けているその間は一人の時間をまるで束蕗原にいるように過ごし充実しているが、久しぶりの実言との再会に寂しさを思い出し、夜は素直に実言の腕の中で眠るのだった。
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