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螺良 羅辣羅

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第四章

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  五条の離れの部屋にこの邸の家政を一手に預かる忠道が来た。
「お帰りなさいませ、実津瀬様」
 昼間、実津瀬が邸に帰って来たのを待っていたかのように現れたのだ。
「うん。今帰って来たところ」
「どこか寄り道でもされていたのですか?」
 芹は奥の部屋で遊び疲れた淳奈を寝かしつけている。実津瀬は庇の間に座って忠道と話した。
「そうだよ。本家に行っていた。宮廷で鷹野と出会って、寄れとうるさくてね」
 その言葉に、そうか、と忠道は頷いたあと、神妙な顔をして言った。
「昼に佐保藁の宮から遣いが来ました」
「佐保藁の宮……」
 その宮は王族が住まう邸であるが、実津瀬は誰のまですぐに思い至らなかった。
「……桂姫の住まわれる宮です」
「桂様!」
 そこで、佐保藁の宮は今、桂が住んでいることを知った。
 その昔、佐保藁は先代大王の弟である春日王子が住んでいた宮だったが、今は桂がすんでいるのだ。
「それで、どのような用件でいらっしゃったの」
「佐保藁の宮に来てほしいとのお話でした」
「私はいないと言ったの」
「はい。外出しているとお話しましたら、明日でもいいとおっしゃいました。明日は宮廷へ出仕するとお話しましたら、その後でいいから宮に寄ってほしいとのことでした」
「どういったお話かな……。何かおっしゃっていた?」
「舞楽のお話のようです。遣いも詳しいことは聞いていないようでした」
「そう……。では、明日、佐保藁の宮に伺おうか。父上にも、このことは話をしておいて。何か、このことで一族に不利な話になっては困るから」
 忠道は頷いて、部屋を出て行った。
 桂姫……
 実津瀬はなぜ、自分が桂に呼ばれたのかを考えた。
 実津瀬の舞をひどく気に入っていて、お気に入りの貴族の一人になっている。
 桂姫は、先々代の大王の一番歳の離れた弟宮の娘である。先々代の大王の弟と言っても、先代大王と年は変わらず、先代大王にとって桂は従妹と言っても年からすると娘のようなもので、早くに亡くなってしまった叔父に代わって、親代わりに後見していた。
 元来の性格なのか、または、父親代わりの先代大王が父も母も早くに亡くなり不憫に思って甘やかしたからなのか、自由奔放に生きている姫である。
 音楽や舞が好きで、自分でも教えを受けて琵琶や舞をやっていたが、それ以上に鑑賞することが好きであった。
 年頃になり、王族の中から年の近い王子と結婚したが、いつの間にか、他の王族の姫にその王子を譲り、今は自分の身分にとらわれず自由に恋愛を楽しんでいるとのことだ。
 先代大王から佐保藁の宮を与えられてから、そこに舞楽の好きな者を年齢問わず招き入れ、舞の談議に明け暮れて、大人数で宴をすることもあれば、少ない人数で好きな舞楽について深く話すことがあるらしい。
 しかし、奔放な性格なゆえに、何か気に障ることがあると、手にしたもので相手を打擲し、罵りの言葉を浴びせることもあれば、たいそう気が合えば手を引いて奥の部屋へと誘うこともあるらしい。
 実津瀬の周りで、実際に佐保藁の宮に行ったものはおらず、聞いた話は全て誰かからの伝聞で面白おかしく話しているだけかもしれない。
 実際に宮をお訪ねした時、噂のような話に遭遇するとは思わないが。
 わからないな……
 昨年の月の宴の二日前、淳奈が攫われそうになり、芹は池に入って淳奈を助けたが、そのせいか流産した。芹の苦しむ姿にそばにいてやりたくて、体調が優れず、立つことも難しいと嘘を言って、月の宴で舞うことを断った。邸に籠り、芹の横で手を握っていた。
 急遽選ばれた代役がたいそう素晴らしい舞を舞って、桂を感心させたという。翌日には、宮廷内の稽古場まで出向いて、その男に言葉をかけたと聞いた。
 それから実津瀬が桂と会うのは秋の新嘗祭に付随した宴の時で、その時は、実津瀬は列席者の一人だったので、宮廷楽団の舞楽を大人しく座って見ていたのだった。桂と直接言葉を交わすことはなかったが、春以降、実津瀬の舞が見られていないことに不満だと、人伝てに聞いた。
 新年を祝う宴は宮廷が行うもの、大王が主催するものといくつか行われるが、実津瀬は一回も舞わなかった。丁度、新嘗祭の頃に水面下で依頼はあったが、実津瀬はやってやるという気持ちが強く湧いてこなかったため断った。
 束蕗原に芹と淳奈を迎えに行った後に三人で踊ったころから、舞の型をもう一度やり直す気が出て来たくらいだった。
 稽古場の隅で、淡路に付き合ってもらって型の練習をしているのを知った者から、桂に話が伝わったのか、二月の梅見の宴では舞え、と話があった。
 しかし、実津瀬は父を通して丁重に断った。
 型は体に叩き込んであるが、それは何となく形になるだけで、淡路が本気で舞ったら、それについて行く自信はない。人前で見せられるほどのものにはなっていないのだ。
 梅見の宴で舞を舞わないことを責めるために呼んだのだろうか。
「……実津瀬……」 
 顔を上げると、奥の部屋から几帳の前に出て来た芹が見えた。何度か声を掛けたのか、怪訝そうな顔で見ている。
「ん?ごめんよ。考え事をしていた。なあに?」
 芹は実津瀬の左側に座って、その腿に置いている手に手を重ねて言った。
「桂、という人のことを考えていたの?」
 いつも控えめで優しい妻ではあるが、今は毒を持って言ってやるといった言葉だった。
「あ、いや……そうだけど、桂様というのは、王女だよ。舞の好きな方で、私の舞を気に入ってくださっているのさ」
「その人のことをなぜ、考えていたの?」
 淳奈を寝かしつけて、後は子守に頼んで、実津瀬を迎えに来たのだ。
「考えていたというか、その方に呼ばれてね。明日、お住まいの宮に行くのだが、私が舞をしていないことを咎めるために呼ばれたのか、と思うと気が重くてね」
「そうなのね……」
 芹は小首を傾げて、実津瀬の言った言葉を考えている。実津瀬は芹の左手を掴んで立ち上がった。勢いで芹も一緒に立ち上がらなくてはならなくなった。
「実津瀬?」
「芹は何か悪い方に考えている。私の本心は本当に行きたくないのだ。だから、私の心を少しでも慰めておくれよ。淳奈も寝たのだろう?」
 実津瀬は芹の手を離すと、体をすくい上げて、横抱きにして自分達の寝所に連れて行く。
「実津瀬、まだ陽は高いわ!」
「何かすることでもあるの?」
「それは……ないけど……」
「じゃあ、いいじゃないか。これから私たちの自由な時間だ。庭にいようと、部屋にいようとさ。部屋は広間だろうと、寝所だろうと私たちの自由だ。私は芹と寝所で過ごしたい」
「でも」
「でももだってもないよ。芹は私を疑っている。それを晴らしたいのさ。私に二心がないことをわからせてあげるよ」
 実津瀬は、整えられた褥の上に、芹を下ろすと、自ら巻き上げた御簾を下ろして部屋に陰を作った。
 芹の前に座って、下を向いている芹の顔を覗き込んだ。
 芹は軽い気持ちで実津瀬の二心を疑った振りをしただけだが、それが実津瀬は許せない。
 頤に指を入れて、顔を上に向けた。
「あなただけだよ……」
 言って、実津瀬は芹の体を抱いて、そのまま褥に横になった。
「しゃべらずともこうして抱き合っているだけでいい」
 実津瀬の言葉に、応えるように芹は左手を実津瀬の頬に当てて撫でて、その瞳の中を覗いた。
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