上 下
31 / 88
第三章

3

しおりを挟む
 陰湿ないじめによって食事を食べられなくなってから、朱鷺世は頻繁に露のところに行くようになった。
 二人はもっと子供の頃、同じ時期に都の近くの土地から、都の宮廷の下働きをしに来たのだった。
 その土地の豪族の斡旋によって、集まった都で働きたい者たちの中にいたのだ。同じ村の出身というわけではない。夜明け前に都に向かって出発したが、子供の足ではついて行くのがやっとの歩きの速さで、体の小さな露は徐々に遅れ始めた。その露を思いやって、一緒に並んで歩いて羅城門をくぐったのが朱鷺世である。
 都に来た時は朱鷺世も露も宮廷の台所の手伝いをしていたが、露は女官の下について王族の世話の仕事に移って行った。朱鷺世はそのまま、薪を割ったり、水汲みをしたりという台所の下働きをしていたが、楽舞の稽古場の近くを通った時に、楽器や舞をやっているのを見て、暇があればそこに居つくようになった。ただの見学が、稽古場の外で舞を見よう見まねで踊るようになって、楽団の一員のようなふりをして、稽古場の中に入って手伝いをし始めたのだ。
 朱鷺世は舞にあこがれて、それを自分のものにしようと押しかけて、いつの間にか楽団員として過ごすようになったのだった。
 朱鷺世と露の二人はそれぞれ違う場所に自分の居場所ができて疎遠になったが、この広い宮廷の庭で偶然会うことがあれば言葉を交わしていた。
 しかし、ここ最近は朱鷺世から露に会いに行くようになった。夜、寝る前に部屋を抜け出して二人でこっそり会っては、仕事のことや職場の人のことを話した。いつも話すのは露で、朱鷺世は黙っているが露の話を面倒に思っていることはなく、黙って聞いていた。
 露が渡した搗き米の握ったものを全部食べてしまった朱鷺世は、ぼんやりと庭の奥を見ていた。
「朱鷺世、まだお腹が空いている?」
 露が訊くと、朱鷺世は少し間を開けてこくりと頷いた。
 都に来たのはお互い、十かそこらの小さな子供だった。お姉さんやお兄さんの言うことにただただ従って一日が終わっていったという感じだった。そんな幼い頃のような顔で朱鷺世が頷いたのがかわいらしい。
 露は袖から先に渡したものよりは小さな搗き米の握ったものを取りだした。包んだ柿の葉を取って、搗き米だけを朱鷺世の前に差し出すと、朱鷺世は露の手首を掴んで引き寄せ、露の手から搗き米に齧りついた。無言で搗き米を口に入れ、咀嚼する。
 露も自分の持っている搗き米がどんどん減って行く様子と朱鷺世が黙って口を動かしている様子を見つめた。
あと一口しかないという時、露は自分の指を齧られるのではないかと、心配になった。
朱鷺世が大きな口を開けて、露の指めがけて近づいて来たので、露は指先に持った巻き米を朱鷺世の口の中に押し込んだ。
 朱鷺世は最後の搗き米を咀嚼して飲み込むと、露の指を口に入れて、舌で舐めまわした。露の指について米をも残らず食べてやろうということだ。
「もう、朱鷺世ったら」
 指をしゃぶられるのがくすぐったくて露は、笑いながら言った。
「もう放して」 
 露が言うと、朱鷺世は露の指から口を放した。しかし、その代わりに朱鷺世は露の腰に手を回して抱き寄せた。胡坐をかいた上に座らせて、背中から抱き締めた。
「朱鷺世……」
 小さな声で露は言った。
「どうしたの?……何かあったの?」
 露は朱鷺世の胸の上で、訊ねた。
 会いに来るのは朱鷺世だが、会ってもしゃべっているのはいつも自分だ。こんな仕事の失敗をしたとか、誰に意地悪されたとか、逆に誰に助けられたとか、心の中にあることを何でも話していた。それを朱鷺世は聞いているだけだが、聞いてもらうと気持ちがすっきりするので朱鷺世と会うのは好きだ。会いに来るのに、朱鷺世は何も言わない。でも、会いに来ることは朱鷺世も何か露にわかってほしいことがあるのだと思っていた。
 最近の朱鷺世が自らのことを話したのは、二月前に月の宴で舞を舞って、たいそう褒められたことだ。その時は、朱鷺世も嬉しそうに露に話をした。
 最近は腹が空いたから何か食べさせてほしいというくらいだ。
 朱鷺世も露も都に来る前は、家に食べる物が無くて、大人はもちろん自分達子供もいつもお腹を空かしていた。だから口減らしのために都に働きに来た。朱鷺世も露もがりがりに痩せていたが、露は台所や、王族の食事の準備など、食べ物が近くにある場所で働いているので、何かしら食べることができた。朱鷺世も最初は台所の雑用をしていたので食べ物にありつけたが、いつの間にか楽団に入って舞いをするようになったため食事は配られる決められたものを食べるだけになり、いつまでたっても痩せている。
 露は少しだけ朱鷺世の背中に手を回した。
出会った時は同じ背格好だったが、都に来て朱鷺世の背は伸びて行ったが、背中にも腹には身はついていない。
 朱鷺世は顔を上げた。自分の肩にあった朱鷺世の頭の重さが無くなって、露も同じように顔を上げた。
 朱鷺世はじいっと露の顔を見つめた。露の質問に答えようかどうしようか迷っているのだろうか。露も朱鷺世が何と言うだろうかと、その顔を見つめて待っている。
 朱鷺世の顔が近づいて来た。何を囁かれるのだろう、と思ったら、朱鷺世は無言のまま、露の顔にぶつかって来た。露はびっくりした。朱鷺世の顔がぶつかると思って、顔を背けた。朱鷺世の唇が自分の口の端にあたって、吸われた。
 どういうことかしら?
 朱鷺世の動きがどういう意味合いなのか、露はすぐにはわからなかった。
 朱鷺世はすぐに唇を離して、露の頬に手を添えて露の顔が横を向かないようにすると、今度はしっかりと唇を重ねた。
 目を開けていた露はゆっくりと閉じた。閉じる間際に自分の顔にぶつかっている朱鷺世の顔を見た。朱鷺世は目を閉じている。長い睫毛が見えた。
 朱鷺世から唇を離すと、もう一度露を抱き締めた。
 同じ部屋で寝起きしている年上のお姉さんたちが、時々声をひそめて話しているっけ。好きな男の人とのこと。
お姉さんたち、さっき朱鷺世がしたことを話しているのかしら。それとも、今の私の気持ちのことを話しているのかしら。
 露は両手を朱鷺世の背中に回して、朱鷺世を同じだけの力で抱き返した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

Infinity 

螺良 羅辣羅
歴史・時代
大王が治める世。少女礼は姉と慕う従姉妹の朔の許婚である実言と結婚することになる。 それは許されることではないと、葛藤しそれを乗り越えるていく物語です。 この話は三部作で、第二部以降は結婚した礼と実言を中心に宮廷の権力に巻き込まれながら幸せを確立していく物語です。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...