あなた New Romantics1

螺良 羅辣羅

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第1部あなた

第二章27

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 翌日の朝餉を持って来てくれたのは、予想を反していつも身の回りの世話してくれる古参の侍女だった。実津瀬はてっきり、今日も蓮が来るものと思っていた。
 実津瀬は粥のおかわりをして、今日雪の指を埋めに行く体力をつけようとした。
 雪の指は昨日よりも黒くなっていて、雪ではなくなっていくような気がした。
 実津瀬は一人で身支度をし終わる頃、軽快な足音とともに、庇の間に蓮が飛び込んできた。
「あら、着替えてその姿でいるということは、もう動けるということね」
 実津瀬は机の前の円座に座ると、蓮は実津瀬の前に腰を下ろした。
「準備はできた?」
「気持ちは整った」
「そう、では、邸を出る前に少しやることが」
 蓮は手に持っていた包みを開いて、小さな箱を出した。塗られた漆で黒光りし、螺鈿の装飾が美しい箱だ。
「私、実津瀬の髪を梳きたいの」
 と胸から櫛を出して、下ろしている実津瀬の髪を何度も梳いた。梳きながら。
「実津瀬……雪という人のこと、忘れない?」
「ああ、忘れないよ」
「一緒にいたかった」
「うん。……守りたかった。生きて、一緒にいたかったよ」
「……じっとしていて」
 蓮は包みの中から小刀を出して、実津瀬に向けた。
「何をす……」
 実津瀬の言葉に答えず、蓮は先ほどまで梳いていた実津瀬の胸に垂らした髪の先に刃を当てて髪を削いだ。
「これを雪という人の指と一緒にその箱に入れて埋めましょう」
 と、実津瀬の髪を一房、紙の上に置いて、紐で縛った。
「この世ではもう会うこともできない二人でも、体の一部は一緒に。実津瀬の一部が雪という人を守るの。雪という人も、黄泉への道すがら実津瀬の元に残してきた指のことを思っているわ。実津瀬は指をどうしてくれたかと。ね」
 蓮は箱の中に実津瀬の髪を入れると再び包んだ。
「私の準備も整ったわ。行きましょう」
 実津瀬と蓮は階を下りて庭を抜けた。
 簀子縁の上から蓮たちを見咎めた侍女の曜が声を掛けた。
「蓮様!実津瀬様!どちらに」
「久しぶりに二人きりで出かけるわ。大丈夫だから追ってこないでね」
 蓮はにこにこと笑顔を向けて曜にくぎを刺した。そして、実津瀬の左腕を取って、腕を絡めて裏門へと行った。
「そうは言っても、お父さまは誰かを追わせるでしょうね。数日前に私たちは二人そろって勝手をして命を落としそうになったのだから」
 蓮は続けて。
「誰かに見られているのは仕方ないわね。でも、無粋な人じゃないといいな。ね」
 実津瀬は頷いて、小さく笑った。
 二人でゆっくりと小さな道を小さな道を選んで宮廷裏の丘へと向かう道を歩く。
 前にその丘に向かった時は、実津瀬が操る馬に乗って、ひとっ飛びだったが、今は実津瀬の体力に合わせて一歩一歩とゆっくりとだ。
 蓮は、実津瀬の背中を追ってたどり着いた夫沢施の館で、景之亮に出会ったことがどれほど幸運であったか、今ならよくわかる。景之亮が次々に出くわす敵を倒していく姿を思い出すと震えがくる。そんな話を道すがら少しばかり実津瀬に聞かせた。
「そうか……そんなことが……。しかし、鷹取様にそれほど助けられて、その強さを見たら蓮の気持ちはどんなことになったのだろう」
 実津瀬は優しい眼差しで蓮の横顔を見た。
「父上は、夫沢施の館での私を守れるのは鷹取殿しかいないと、引き入れたようだ。それがこうして片が付いたのだから、次は蓮との仲について、結論を出そうと思うだろうな」
 実津瀬は呟くように言った。連もそのことは頭の中にある。傷ついた景之亮の体はどうなっただろう。体調が回復し、傷も癒えたらその時はやって来るのではないか。
 実津瀬は景之亮の武術の巧さや知識の深さについて話して聞かせた。
 蓮は大人しく聞いていた。
 そんなできた人でも矢を入れる筒の肩紐の点検を怠って、大事な時に紐が切れて筒を落として、弓が使えなくなって途方に暮れていたことを知っている。それを蓮が身の危険を冒して筒を取りに走って、助けたのだ。でも、このことは話さないでおこう。これは秘密だ。……二人の。べらべらと話すものではない。
 丘に上がる前に、二人は木の陰に座って腰に下げた水筒から水を飲んだ。
「実津瀬、しんどくない?傷は痛まない?」
「ああ、大丈夫だよ」
「暑くなってきたわね」
 蓮はじんわりと滲んだ額の汗を手の甲で拭った。
「行こうか」
 実津瀬は自ら立ち上がり、座っている蓮の手を取った。
 丘の上まで上がる道は、頭上を樹々が覆って薄暗く、そして日が高くなって熱がこもり、二人は額から汗を流して、一歩一歩と上がって行った。
 一度、実津瀬の足が止まった。並んで歩いていた蓮は一歩進んで、立ち止まり実津瀬を振り返った。
 実津瀬は近くの大木に手を置いて、少し休む。蓮は傍に立ってその姿を見守った。
「悪いね、早くこの蒸し暑い中を抜けたいのに」
「ううん。無理しないで」
 実津瀬は水筒から水を飲んで一息つくと。
「あと少しだ、行こうか」
 と言って歩き出した。
 実津瀬は、はあ、はあ、と口を開けて呼吸をする。蓮はその音、様子を窺いながら、実津瀬の腕を取って、体を支えて丘の上まで上がっていく。
「もうすぐね。丘の上に着くわ」
「ああ」
 二人で顔を見合わせたが、大粒の汗が額から流れ落ちる顔がおかしくてくすりと笑い合った。
 丘の上へと着いたとたんに、二人の体を風が通っていった。それまで両側を囲っていた樹々がなくなったためだった。
「涼しい」
 蓮は言って、額の汗を拭った。
 二人は改めて手を握り合って、丘の上に進み、眼下に広がる宮廷を見下ろした。この景色を前に見たのは、伊緒理が異国へ旅立つために、大王に挨拶をして港に行くために行列を作って、都を出て行く様子を見に来た時だ。あの時と変わらない迫力だ。
 実津瀬は蓮の手を離して、あたりを見回した。そして、立ち並ぶ樹々が終わって、何もない丘に出る境目に跪いて、近くにある石を手に取り、穴を掘り始めた。
 蓮もその隣に同じく跪いて、手で土を掘った。十分な深さまで掘れたと思えたところで、実津瀬が手を止めた。土を一生懸命どけていた蓮も実津瀬の動きが止まったので、体を起こした。土に汚れた右手を実津瀬は左胸に置いた。
 蓮は持って来た包みを開けて、土で汚れた手を裳にこすりつけて土を落とし、その中の箱を取り出した。
「実津瀬、これに」
 蓮は箱の蓋を開けて、中に入れていた実津瀬の髪を取り出した。実津瀬は左胸から白布を取り出して開いた。
 あの日から三日しか経ってないというのに、随分と日にちが経ったような気持ちだ。
 実津瀬は、黒い四つの小さな塊を見つめた。
「あなたの一部を実津瀬はここに埋めます。でも、ひとりぼっちにはしないわ。実津瀬の髪があなたと一緒にいます。同じ箱の中で、繋がっているわ」
 蓮はそう言うと、実津瀬の髪の束を白布の上に置いて立ち上がった。
 実津瀬は手の上に載った雪の指を白布の上に置き、自分の髪とともに白布の四方を順に折りたたんで包み、箱の中に入れた。蓋をして、しばらく両手に載せて動かない。
 蓮は、二歩ほど下がった位置で実津瀬の背中を見つめている。
 雪……一緒にいたいと言っても、私はあなたの傍には行けない。妹が言うように、私の一部を切り取ってこうして一つの箱に入れるようなことしかできない。これで、あなたは許してくれるだろうか……。ううん、許してくれなくていいのだ……。私は、あなたとの全てを愛おしむ……鮮烈な苦しみと後悔を含めて、私の心の中にあり続ける。あなたとの全てはこの心に、あなたが守ってくれた左胸に……。
 肩が震えている……。蓮は後ろから実津瀬を見つめていて気づいた。肩はしばらく震えて、止まると実津瀬は掘った穴の中に箱を入れて、周りに盛った土を被せた。穴を掘るのに使った石を半分埋めて、それを埋めた墓所の目印にした。
 実津瀬は石の両側に両手をついて、再び肩を震わせた。
 蓮は二歩進んで実津瀬の左後ろにしゃがんで実津瀬の肩を抱いた。
「……雪という方……実津瀬を守ってくれてありがとう。お礼を言います。もしも、実津瀬がいなくなっていたら、私はどうなっていたでしょうか。実津瀬は母のお腹の中にいた頃から一緒にいる大切な人。私の体の半分と言ってもおかしくないの。だから、いなくなってしまったら、私は半身を無くしたと同じ気持ち。悲しくて悲しくて起き上がることもできないでしょう。あなたが、実津瀬を守ってくれたから、私は今、こうしていられます」
 蓮は道すがら見つけて手折ってきた真っ白な百合を石の下に置いた。
 実津瀬は、横に座る蓮を振り返った。蓮も顔を百合の花から実津瀬の方に向けた。
 二人は幾筋もの涙の跡を残した頬に、赤い目を見合わせた。
「蓮……ありがとう」
 実津瀬は言うと、蓮の左手を取り、抱き寄せた。二人は一つの塊になったかのようにひっついて、むせび泣いた。
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