あなた New Romantics1

螺良 羅辣羅

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第1部あなた

第二章25

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 蓮は部屋に戻って机の前に座った。実津瀬が次に起きるまで写しかけの本の続きを書こうと思うけれど、なかなか筆を取る気が起きない。
 じっとしていると、頭の中に出て来るのは怪我をした景之亮の姿である。それほど酷くはないと言っても、腕の傷は大事にしなければならない。何をするにでも、一人では不便である。お邸には誰か手助けする人がいらっしゃるのかしら……あの方がお気に召す時にお気の召すように手を貸してあげる方が……。
 そんなことを考えたが、それは景之亮の邸のことである。長年勤めている侍女や舎人がやっているだろう。蓮が心配することではない……。
 その時、蓮の顔に影が差した。庇の間から部屋の中に人が入って来たのに気づかなかった。
「……お父さま……」
 蓮は顔を上げてその影の主を呼んだ。
「昨夜は……?いや、今朝といった方がいいのかな?……景之亮を助けたらしいね」
 蓮は立ち上がって几帳の中に円座を二つ置いた。父が座ると同時に蓮も隣に座った。
「お前は昨夜、どんな活躍をしたのだい?」
 面白そうに目を細めた笑い顔で言う父を見て、蓮は言わなくても全てを知っているのだろうと思った。なのに、蓮の口から話をさせようなんて酷い人。でも、もしかしたら父の口から父が見ていた昨夜のことが聞けるかもしれない。
「活躍なんて、そんなたいそうなことはしていないわ。鷹取様を助けようとしただけ」
「そうなのかい……お前は随分と景之亮の怪我をわかっていたようじゃないか。まるで景之亮と一緒にいたように。私は景之亮に内緒のお願いをしていた身でね。その景之亮が怪我をして邸近くの道に倒れていたなんて、聞き捨てならないよ。知っていることを話してごらんよ」
「……私が話をしたら、お父さまも知っていることを話してくれるの?」
 蓮が言うと、実言はくすりと含み笑いを返した。
 

 岩城に近寄って来る者はその胸に、その腹に必ず何かを持っている。それを注意深く観察して、相手が何を望んでいるのか、何を見ているのかを見極める。そして、相手の本心を理解し、時には相手の欲しいものを与え、その心理を利用し、時には相手に何も与えないこともある。
 何人もの間者を使い、そんな探索をしている中で、一族に近づいてくる男たちの中から一人怪しい男を見つけ、その男を辿ると雪という女官に繋がった。
 宮廷の中の情勢を把握するため、中と外の連絡を取るため、女官を取り込む、または女官として送り込むのは貴族豪族にとって常套手段だ。
 岩城の間者が雪という女官の動きを監視していると、一人の若い男と逢引きしていることが分かった。単なる恋愛なのか、岩城の近づいた男の指示で女官が監視している男なのかを確認するためにも、その若い男が誰なのかを確かめる必要があった。
 ある日の逢引き。木の葉の裏に付いている虫のようになって、辺りを警戒する二人に気づかれないように後を付けた。宮廷の庭深くに入っていき、抜けたところにある使用人たちの宿舎の前に来た。あたりを見回して、誰も見ている者はいないことを確認して、部屋の中に入って行った。
 間者はあたりを見回した時に自分の方に向いた男の顔を見て、驚いた。それは、主の邸の中でよく見て知っている顔だからだ。
 女官と実津瀬様が……なぜ?
 間者は驚きを持って邸に帰り、主に報告した。
 主の実言はその報告を、顔色を変えることなく口を挟むこともなく聞いて、しばらく顎に手をやり、考えていた。そして、発した言葉は。
「そのまま様子を探って。若い二人の恋愛を邪魔はしないように。実津瀬と会ったあと、その女官があの男と会う時はよく探索しておくれ。実津瀬から聞いたことを伝えているかもしれないからね」
「引き裂かないでよろしいので……?」
 主はにこりと笑って頷いた。
 息子が敵対する者に繋がる女と深い仲になっているのに、泳がせるということか……。
 その辺のことを間者の自分があれこれと考えることではないと思い、主の前から退出した。
 定期的な連絡を間者は入れる。その中には、二人は別れたようだということ、しばらくして二人は復縁したようだということも入っている。
 その時も、主は。
「え、別れたの?どうしてだろう?」
「あれ、元に戻った?どういう気持ちの変化かね?」
 とつぶやくだけで、息子と女官の仲に介入することはなかった。
 間者の探索の中で、夏の宴が終わった夜に女官が実津瀬を夫沢施の館に誘き出すという話が漏れ伝わった。女の誘いに、きっと男は警戒もなく現れるだろう。その時を狙って岩城一族の一人を殺すというのが、持ち上がった計画だ。相手は誰でもいい。岩城一族の中枢にいる者であればたとえ官位のない子供だろうと。
 だから、実津瀬はこんな自分に何の利用価値があるだろうかと思っていたが、岩城一族の男であるだけで、それはもう利用価値があったのだ。
 暗殺が企てられていると知ると、岩城実言はその夜を使って逆に相手を襲ってしまおうと考えた。
 岩城にはお前たちが考えていることは全て見えていると教えるために。
 息子が囮になることに、躊躇はなかった。一族の存続と繁栄が一番の目的だからだ。だからと言って、息子がむざむざと殺される必要はない。息子を生かすために、最高の護衛をつけようと考えた。選んだのが鷹取景之亮だった。
 すでに蓮の相手として見込んでいた男だ。景之亮は邸に呼ばれて一連の説明を受け、依頼された内容に驚き、黙った。
 その夜に襲い掛かる敵から何も知らない息子を守ってくれというのだ。それも景之亮一人で、だ。
 左近衛府に勤める人物を見渡して、これを頼める男はお前しかいない。秘密を守れる信頼の置ける、武術に長けた者はお前以外に見当たらないと、実言は景之亮を褒め殺した。
 景之亮は自分には荷が重いや、期待に沿える自信がない、などの断りの文句を口にしようとしたが、先ほどまでの柔和な表情はどこへ行ったのか、実言は唇を引き結んでこちらを見つめている目は鋭く、「はい」という言葉以外は受け入れない雰囲気を出している。
「わたくしのような、何の取り柄もない者が実言様のお頼みをやり遂げられるか、自信はありませんが、そのお役目お引き受けして精一杯努めます」
「謙遜しないでくれよ」
「実言様は私を買いかぶらないでください」
「言うね。私はこの目で見て景之亮しかないと判断したのだから、私の目は事実を見ていると思っているよ」
 そう言われると、景之亮は何も言えなくなった。
「命を捨てなくていけない時がある。だが、軽々しい命は一つもない。我が息子もそして景之亮も。景之亮であれば、息子を守り、そして己をも守り抜くと信じている」
 と実言は言った。


 蓮は、一昨夜のことだというのに、遠い昔のことを思い出すような気持ちで、記憶を呼び起こしていた。
 あれは、舞が終わって帰って来たというのに、実津瀬が庭を突っ切って裏の垣から外に行こうとしているのを見かけたのだ。
 蓮は父に正直に話した。
 実津瀬の後をつけて、秘密を覗き見てやろうと思ったことを。近くかと思えば、どんどん実津瀬は歩いて行く。もう引き返すといっても遠いと思って、実津瀬を見失わないように歩いて行って、着いたところは宴が終わっても、その賑わいは収まっていない夫沢施の館だった。
 館の裏門の前で佇んでいる実津瀬が意を決したように、門の中へと入っていたのを、遅れて蓮も入ったが、実津瀬を見失ってしまった。仕方なく庭のほとりを彷徨っていた時に景之亮に出会ったのだ。
 父はそれまで黙っていたが、そのくだりの話を聞くと一息ついて。
「なんと、幸運な。出会うのが景之亮でよかった」
 と心の底からの声で言った。
 その後、景之亮と一緒に行動し、出会った敵から身を挺して守ってくれたことを…景之亮が自分の左腕を捨てるように相手の剣を受けて、蓮を守ってくれたことを話した。そういった戦いの中の傷や疲労の蓄積が体力のある景之亮でも、蓮を邸に送り届けた安心からその場に倒れ込んでしまったのだ。
 蓮は自分に起こったことを偽ることなく話したが、話さなかった出来事もある。
 景之亮が背負っていた弓の入った筒の紐が切れて、景之亮の手に矢がない時に、蓮が木の陰から飛び出してその筒を拾って景之亮に渡したことは、秘密だ。そんなことまで話さなくてもいいはずだ。
「夜中に邸を抜け出すなんて、監視を付けておかないといけないかね」
 父の実言はそんなことを言って、娘の行いをけん制した。

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