あなた New Romantics1

螺良 羅辣羅

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第1部あなた

第二章20

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 景之亮は樹の陰から倉の扉の前を盗み見た。
 もし扉が突破されたら実津瀬が見つかるのは時間の問題だが、こうして倉の前で足止めになっているのは景之亮としてはありがたかった。先ほど弓矢が敵に命中した手ごたえがあった。傷を負わせて戦力を削ぐことができたはずだ。
 扉を開けることに躍起になっている男たちを一人でも倒せたらと再び矢を放つため、景之亮は背中に背負った筒から矢を取ろうとして、上げた右手を肩口に持って行ったところで、紐が切れて筒を背負っていないことを思い出した。
 その時、指先に羽が当たる感触がして後ろを振り向くと、そこには、筒を胸に抱いた蓮が筒から取り出した矢を景之亮の指に握らせようとしていた。
「蓮殿……」
「さあ、矢を。私が役に立つ時が来ましたわ」
 そう囁く蓮の言葉を聞いて、景之亮は指に当たる矢を受け取り、弓を構えた。
 扉は内側に大きくへこんでいる。扉が破られるのも時間の問題である。
 景之亮は扉を押している一団の最後尾につけた弓を持った男に狙いを定めて、矢を射た。それは空を裂き鋭い音をさせて、男の肩に当たった。呻き声を上げて男はその場に蹲った。それを見届けつつ、景之亮は次の矢を射る準備をする。いつものように、右肩に手を上げると指先に羽があたった。その矢を掴んで前に持って来て再び構えた。
 うずくまった男の肩の矢に気づいた別の男が、慌てて落ちた弓を取り構えたのだが、それよりも先に景之亮の矢がその男の太腿に命中した。男は矢の勢いに押されて後ろに尻もちをついて倒れた。
 景之亮は後ろを振り向くと、蓮が景之亮の後ろから矢が敵に命中したのが見えて、驚いた顔を見せた。
「……ここから先は相手とより接近した戦いになる。だから、あなたはここに隠れていて」
 景之亮が言うと、蓮は即座に言い返した。
「嫌です。まだ、距離はあるわ。この先も弓を使われるでしょう?この矢を入れた筒がついて行かなければ、矢は射られないもの。どうか、もう少し私を連れて行ってください」
 と訴えた。
 この筒の中の矢を使うのであれば、この筒を持って景之亮の後をついて行くという。
「蓮殿!」
「鷹取様の後ろに隠れて、矢を差し出すだけ。危険に身を晒すことはしません」
 景之亮は次の蓮を押しとどめる言葉を発しようとしたが、言っても無駄、と思い直した。
この女人が大人しく隠れていてくれるか……だが。
 景之亮はやはり自分で守れるところまで蓮を連れて行った方がいいと決めた。
「全く勇ましい女人だ。必ず自分が言ったことを守ること。お願いしますよ」
 景之亮の言葉に、蓮は大きく二度頷いた。
 景之亮が幹の陰から前を向くと、扉を押し開けるのに躍起になっていた男たち三人は、後ろにいた二人が矢に射られて倒れているのを見て、慌てて倒れた男が指さす方を注視している。
 景之亮は先ほどと同じように、無言のまま右手を肩口に上げると、筒を背負っているとき同じように矢の羽に触ることができた。それを受け取ると、景之亮は樹の幹から身を出して構え、矢を放った。蓮は筒を胸に抱きしめて、景之亮の大きな体の後ろにくっついて進んだ。
 景之亮の矢は、的確に扉の前の男たちを狙った。敵の男たちも黙って見ているわけはなく、倒れている男から弓を引っ掴むと応戦してきた。
 相手も動いている景之亮を見て、予測しながら矢を射てくる。真っすぐに飛んで来る矢は景之亮の体をかすめて後ろに飛んで行った。蓮は景之亮の背中で全く前が見えていないが、景之亮の様子から攻撃が近づいてくることが分かった、と思ったら景之亮の腕をかすめて矢が通過していった。矢が通る時に景之亮は自分から蓮に体を押し付けて、その広い背中で庇った。蓮は悲鳴を上げそうになったが、筒を抱いて恐ろしい気持ちを声に出すのを我慢した。蓮は怯えてはいるが、景之亮の息遣いを、背中の様子を感じて、今も景之亮の手が右肩口に上がるのを予感できた。蓮は筒から矢を取り出し、景之亮の指が羽を捉えてつかめるように差し出した。
 受け取った景之亮はこちらに矢を構える男に向かって、先に放った。それを見た男も合わせて射てきた。
 景之亮の矢は男の腕を捉え、男の矢は景之亮の肩口めがけて直進した。
 蓮は頭の上を矢が飛んで行った。それは景之亮の肩すれすれに飛んで行ったのだ。いや、当たったのではないか。心配のあまり蓮は足がすくみ景之亮の帯を掴んで、前に進む景之亮に引きずられた。
「肩をかすっただけだ」
 景之亮はかすった肩に目をやり、背中の蓮に聞こえるように言った。
 蓮はしっかりと立って歩かなければと、我に返って景之亮の肩口に矢を差し出した。
 肩からは血のようなものは見えない。
 ああ、本当にかすっただけならよいけど、こんなことが続いてはこの人の体はどうなってしまうのだろうか……
 腕を射られた男は、矢を掴んで抜き腰から剣を引き抜き、景之亮めがけて走り出した。
 前へ前へと樹から樹へと進んできて、倉の前とは目と鼻の先の距離になった。
 景之亮は背中から受け取った矢を構えて、扉前にいる別の男を狙って放った。矢の行方を見届けて、景之亮はこちらに向かって来る男に弓を投げつけた。
 それと同時に前を向いたまま背中に手を回し、蓮の腕を掴んだ。目だけをちらりと左側に向けて、木と木の間に低木が繁っているのを確認すると、蓮をそこへと突き飛ばした。そして、腰から剣を抜きこちらに向かって走って来る男の剣と鍔を合わせた。
 蓮は目の前に景之亮の手がにょきっと現れた、と思ったら筒を持った手を掴まれて、左側に放り投げられた。予期しなかったことなので無防備なまま、強い力で引っ張られ、木と木の間を埋めるように植わっている低木の上にぶつかって止まった。
 蓮の後ろでは、唸り声や鋭い息づかいとともに、剣がぶつかる音が聞こえる。
 景之亮はもう自分の背中で蓮を守れないと思って、蓮を隠すためにこの茂みに飛び込ませたのだと分かった。
 蓮は耳だけはそばだてて、後ろで起こっていることを感じ取ろうとした。ひょっこりと倉前で起こっていることを覗こうという気持ちは起こらなかった。景之亮をこれ以上自分のために傷を負わせられない。
 蓮は身を低くして、この背の低い木と同化するようにしゃがみこんだ。
 

 実津瀬は扉から離れた場所、追手に見つからない場所はどこかと雪を抱いて歩いていた。二階に上がる細い梯子の前に立って見上げると、雪を床に置いた。
「実……」
 雪が話そうとするのを、実津瀬は制した。
「傷が痛むのに、すまない。ここを上がりたいんだ。背負って上がるから、背中に乗っておくれ」
 実津瀬は雪の前に背中を向けてしゃがんだ。
 雪は無言で力なく実津瀬の背中に倒れた。実津瀬は謝りの言葉を唱えながら雪を背負い直し、梯子を一歩一歩と雪を落とさないように上がって行った。二階に上がりきると雪をゆっくりと床に置き、腕に横抱きにして持ち上げ、身を隠す場所を探した。
「実……」
 実津瀬の胸に顔を伏せていた雪が力なく声を出した。
 実津瀬は階段から遠く離れるために奥へと向かい、積み重なった大きな箱の陰にしゃがみこんだ。立てた膝と腹の間に雪の体を挟んで抱き直した。
「なんだい?雪……」
「……私……実津瀬様のことを……好きだった…。でも、私の本当の姿を話していなかったのは……真実の心がなかったの……」
「雪の私への気持ちは真実ではなかったの?」
「……嫌……私の気持ちは……」
「わかっている。私を庇ってこんな傷を負ったのだ。何も思っていないのであればこんなことを引き受けてはくれない。……私たちが背負っているものがお互いに真実を語らせなかった……。話せていればよかったのだが……。でも過去のことを今更言ってもいけない。夜明けを待って、敵を振り切ればあなたの手当てができる。そうなれば、あなたは私の邸で静養して一緒に暮らして傷を治そう」
 実津瀬は真っ白な顔色の雪の頬を指の腹で何度も撫でた。
「……話したかった……あなた様に…話したかった……私のこと」
「うん、あなたから話せるものではないね。私から話を切り出し、問い詰めなくてはいけなかった。……ああ、苦しいね、もう少し辛抱しておくれ……」
 胸を反らせて苦しそうに息をする雪を見て、実津瀬は言った。
「……近づいたのは……一味の仕掛けでした…………私は従った……あなた様の舞は好きで……近くでその舞が見られたら……なんて思っていましたわ……。でも、舞だけではなくあなた様のことも好きに……深い仲になることは命じられていたことではありましたが、でも、そうなることは喜びでもあった。深くなればなるほど怖かった……。私が隠していることをあなたが知れば……あなたは……私をどうされるかしら……。だから、あなたからもう会わないと言われて……私の本当の姿を知られたと思うと共に、私を遠ざけるだけで済ませたのだと思った……これだけで許していただけたのだ……と」
「……ああ、あの時は……。頭の中ではあなたは私を嵌めようとしているとわかっているのに、心の底では私たちは真に通じ合っていて、あなたは私を裏切らないと思いたかった。頭と心とどちらを信じたらいいか迷って、頭の理解を取ったんだ。でも……すぐに心が我慢できなくて、あなたを見たら抑えられなくて嫌がるあなたを捕まえて元に戻ってしまった」
 こんな時ではあるが、会わないと言った後に雪を見つけて追い、捕まえて雪を抱いた、節操のない自分を思い出し笑った。
「再びあなた様との繋がりができて……私は、今度こそ私の真の姿を言わなければならないと……言わなければならないと……あなた様と一緒に朝を迎えるよりも、私の……本当の姿を……」
「いいんだ。あなたは私を庇ってくれた……それが、あなたの私への思いだ。もう、話さないで、傷に障る」
 雪の呼吸は荒くなっていく一方で、話す言葉もはっきりと発語できない。これでは、夜明けまで雪の命はもたないかもしれない。
 実津瀬は雪の真っ白な顔を見つめる。雪の目から涙が浮き上がり、溢れて零れ落ちた。閉じた目尻から幾筋もの涙が落ちて行く。
「泣かないで……こんなことになってしまったけど……あなたの傷が癒えたら私たちは好きなだけ一緒にいられる、ね」
 実津瀬は雪の頬を伝う涙を指先で何度も拭う。
「……あなた様のこと……私……唯一の……」
 雪が言いかけると、下の階で大きな音がした。外からぶつかるような大きな音が何度も聞こえてきた。きっと扉の前に数人集まり、塊になって体をぶつけているのだろう。
 実津瀬は顔を上げて、階下の様子に耳を澄ました。
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