あなた New Romantics1

螺良 羅辣羅

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第1部あなた

第二章12

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 久しぶりに本家から当主の蔦高が実言のところに来た。父について稲生と鷹野も一緒にやってきた。追って鷹取景之亮が実言の邸を訪れたので、何かしらの密談があるのかもしれない。しかし、実津瀬はその内情を知らされていない。
 実津瀬の部屋で実津瀬、稲生と鷹野は寝転がってだらしのない格好で話をしている。
「実津瀬、稲生に何とか言ってくれよ。絢との仲を認められてから、一人でこそこそと出かけては、遅くに帰って来るんだよ。その間、俺は一人で弟や妹の相手をしたり、お爺様の話し相手になったりしているんだよ」
「ええ、いいじゃないか。稲生の好きにさせてやれば」
「え、実津瀬、稲生の肩を持つの?……さては、実津瀬も稲生と同じように好きな人がいるんだな。だから、稲生を擁護するんだ。誰だよ!誰を好きなんだよ!」
 鋭い勘を働かせた鷹野は、実津瀬の痛いところを突いてきた。
「いや、私だって早々に好きな人に出会いたいと思っているところなんだ。稲生がうらやましいのだ。だからケチをつける気はないよ。次は私がその経験を追ってしたいと思っているのだから」
 と返した。
「ちぇ、俺も早く男女の集まりに行きたい。たったの一つ違いなのに、稲生と実津瀬にえらい差をつけられているよ」
 鷹野は悔しさをにじませて一人ぶつぶつと恨み言を言っている。
 そこへ薬草の入った籠を胸に抱えた蓮が庭を通りかかった。
「賑やかな声がすると思ったら、稲生と鷹野が来ていたの」
「やあ、蓮」
 二人は蓮を見ると挨拶をした。
「今、蔦高伯父がいらっしゃっているよ」
 と実津瀬が言う。
「そう、珍しいことね」
「あ、それと、鷹取様もいらっしゃっているよ」
 実津瀬が付け足すように言うと、蓮は立ち止まった。
「鷹取様もいらっしゃっているの……」
「何やら話があるらしい」
 蓮は頷くと、薬草を納めている倉の方へと歩いて行った。
「何?鷹取様と蓮は何かあるの?」
 鷹野が訊ねた。
「お父さまが蓮の結婚相手として推しているのだ。今はお互いを見定める期間のようだ」
「へえ、そうかぁ。いいなぁ」
 鷹野は恋への憧れが膨らんで、どんなことでも顔をにやつかせて羨ましがっている。
 終始静かな稲生に実津瀬は話し掛けた。
「稲生は、そんな顔をしているということは、もう決めているのだろうな」
 話を茶化さない稲生は実津瀬に顔を向けて言った。
「うん。父上にも話をして結婚させてもらおうと思う。私の気持ちはもう決まっているし、絢も同じ気持ちだと言ってくれた。だから、もう結婚した方がいいと思っている」
 その話を初めて聞いた鷹野は。
「ええ!稲生、結婚するの?」
 と驚いた声を張り上げた。
 照れもせず、神妙な顔で稲生は鷹野に向かって頷いている。実津瀬は稲生の横顔を盗み見みして思った。
 心を決めた者は強い。誰になんといわれようとも、と決心した顔は精悍で頼もしい。
 鷹野は庭に向かって、自分一人が出遅れていると恨み言を叫んでいる。
 むくれた鷹野はいつものことなので、なだめても口ごたえしてくるのが関の山だから実津瀬と稲生は相手にしない。
「実津瀬、笛を吹いてくれよ。気持ちのすっきりする調べがいいな」
 稲生の依頼に実津瀬は頷いて懐から笛を取り出した。そして、ゆったりとした調べを奏で始めた。
 隠れていた侍女たちは几帳の陰から顔をのぞかせ、庭で作業していた使用人たちは一旦手を止めてその調べに聴き入った。ぶつぶつ恨み言を言っていた鷹野も静かになった。
 実津瀬は皆の耳が我が奏でる笛の音に集まっていることを感じ取り、多くの人の琴線に触れるような調べを奏でた。
 実津瀬が曲を吹き終えて口を離して顔を上げると、庭には再び蓮が立っていた。そして、舎人の忠道がちょうど簀子縁の角を曲がって現れた。その後ろには鷹取景之亮が続いていた。
「本当に実津瀬殿の笛は素晴らしい。何をしていても、その調べを耳に入れたら、手を休めて聴き入ってしまう」
 景之亮がそう言って実津瀬の前まできた。
「鷹取様、父との話は終わられたのですか?」
 実津瀬は立ち上がって、庭にいた蓮を手招きした。
「蓮!」
 実津瀬と景之亮は階の下に立った蓮を見た。
「ああ、蓮殿」
 景之亮は階を下りると蓮の前に立った。
 蓮は急に景之亮が現れたので、驚いてその姿を眺めた。
 今日は、この邸に来ることが決まっていたからか、髭も剃って、こざっぱりとした衣装を身にまとっている。
「これから私は宮廷の宿直の役目があるのです。もう行かねばなりません。あなたと少し話ができればよかったのですが、お顔だけでも拝見できればとこちらに案内をしていただいたのです」
 そう言って、大きな口の端を上げて笑い顔を作った。
「まあ」
 蓮はそう声を上げた後、言葉を継げなかった。
「また、こちらにお伺いすることもあるでしょう。またその時に」
 きっと鷹取景之亮はそのまま宮廷へと向かおうとしたのを、父の実言に娘の顔だけでも見て行ってくれと言われたのだろう。それで、忠道が案内してきたということだ。
 後ろをついて来ていた従者が沓を出した。そこで、景之亮は沓を履いて従者の案内で庭から門へと向かった。
 蓮をはじめ、実津瀬、稲生、鷹野たちは去っていく景之亮の大きな背中を見送った。
 蓮はこれまた景之亮を見上げていただけで、気の利いたことが言えなかったと内心、頭を抱えたくなった。
 ああ、私ったらぽかんとした顔で簀子縁の上を見上げていたわ。鷹取様に何の言葉もお返しできなかった。なんて、ぼんやりした女だろうか。
 蓮はそんなことを思うと、向きを変えて実津瀬たちに背中を見せて自分の部屋へと帰って行った。
「ん?なんだ、蓮のやつ」
 稲生が言った。
「落ち込んだのかもしれない。まあ、ほおっておいてやって」
 実津瀬は言うと立ち上がり、部屋の中に入ったので稲生と鷹野もついて行った。
 それから三人で部屋の中に入り、再び男同士の会話を楽しんだ。


 それから雨が降り続く日々が続いた。
 雪は忙しいと言うので、会う日を随分と先に約束した。次に雪と会う時にはこの雨雲は去って、真っ青な青空が一面に広がっていたらいいのに、と実津瀬は庇の間から簀子縁に足を出して、屋根を伝って滝のように流れ落ちる雨を見ながら、雪が男と二人でいるところを二回ほど見たことを思い出していた。いずれも同じ男かはわからない。しかし、二度目に見た時は稲生や鷹野も一緒にいて、男は岩城一族をよく思っていない、言ってしまえば敵対する勢力にいる男と言っていた。その男と雪が一緒にいるということは、雪もその一味であると考えるのが自然なのだろう。
 そして、女がこうして言い寄ってくるのには、裏があるのだ。若い実津瀬を篭絡して、その心に付け込んでくるのが定石だろう。その狙いが、今なのか数年後なのかはわからないが。
 実津瀬は本当に雪が岩城と敵対する一派に属しているのなら、実津瀬の舞が好きだから、実津瀬のことが好きだからという理由だけで近づいたのではないことはわかっている。
 でも、雪はそんな下心がある素振りなど一度も見せない。会わないと言った時も、取りすがるような様子はないし、自ら会わないと言っておきながら雪を見つけて追いかけた時も雪は全力で実津瀬を拒絶し、言った言葉に責任を持たない実津瀬をなじった。
 その姿は本気だったから、その裏で実津瀬がまんまと戻って来たことに舌を出して喜んでいるとは思えなかった。今思えば、思いたくなかったのかもしれない。
 雪とは真の心で好き合っていると信じたかった。仮に、雪がその一味の一員であっても、雪はその使命以上に実津瀬との愛を優先すると信じたかった。
 実津瀬は立ち上がると、蓮の部屋に向かった。
 蓮は奥の部屋は暗いので、庇の間まで机を引っ張ってきて、書き物をしていた。
 静かな足音にも気づいていた蓮は御簾の陰から現れた実津瀬を笑顔で迎えた。
「あら、実津瀬がこちらに来るなんて珍しいわ」
 いつも何かあれば蓮の方から実津瀬の部屋に押しかけて、あれだこれだと問い詰めるのが常だから、実津瀬がここに来るのは珍しいのだ。
「雨だから、無理して外に出ることもないしね。話し相手が欲しくなった。何をしているの?本を写しているの?」
「うん。束蕗原から本が届いたの。お母さまのために、私の勉強のためにも写しているのよ」
「どれ、見せて」
 実津瀬は机の上の蓮が写している途中の紙を覗き込んだ。
「やっぱり、蓮の筆跡は美しい……誰もが認めるところだ」
 端から端まで眺めて実津瀬は言った。
「そう?嬉しいわ」
「誰もが、蓮の書いたものを欲しがるのがわかるよ。父上も自慢にしている。私もうまい筆跡であれば、もっと重宝がられるだろうに」
「実津瀬には舞や笛があるわ。あれはもう誰も敵わないもの」
「二人とも幼いころから好きなことをやっていたな。蓮はお母さまの膝の上に座って、筆を持ちたがっていた。一人でも、手本を見て文字を書いていたな」
「そうね、そう考えると、私たちは好きなものをやるやると言って、引かなかったわね」
 蓮はくすくすと笑った。 
「私たち、頑固なのかしら?しつこいのかしら?」
 蓮は言って、実津瀬が体を引くと、本の続きを書き始めた。実津瀬は蓮の傍に寝転がって、顔を外に向けて振り続ける雨の様子を眺めた。
 庭に植わった紫陽花の花を、葉を激しく打ちつけている雨音。
「どうしたの、実津瀬?話し相手が欲しくなったと言ったのに、何も話さないじゃない」
「声に出さなくてもいいじゃない。蓮にはわかるだろう」
 蓮は実津瀬の返事を背中で聞いて、にやりと口元をほころばせた。
 自問自答するのに誰か傍にいてほしいのだろう。双子の私たちはいつも一緒にいた仲だから、黙っていても分かり合える。
「そうね、わかるわ」
 蓮は答えて、写本に集中した。
 実津瀬は腕枕をして考えごとの続きをした。
 仮に雪が岩城に敵対する陣営の手先であれば、いつ、実津瀬を使って岩城一族を滅ぼす楔を入れてくるのだろうか。まだ官位を受ける前の実津瀬の利用価値など、それほどにもないだろうに。このまま、愛人の関係を保ち将来に渡って実津瀬に影響を与えては岩城を揺さぶろうと言うことなのだろうか。実津瀬が雪との愛だけを見て、耳を傾け、それ以外のことに構わなければ、この関係は何の障害もなく続くのだろうか。
 実津瀬がうまく立ち回れば、雪の正体などどうだっていいのではないか……。
「蓮……どうなの、鷹取様とは?鷹取様は私たちよりも大人で、優しい言葉を言ってくださるが、表立って気持ちを表面に出すようなことはないね。蓮のことをどのように思われているのだろうね」
 急に背中を向けて庭を見ていた実津瀬がこちらを振り向き言った。蓮は筆を持つ手を止めて、実津瀬に振り向いた。
「なあに、急に」
「蓮の気持ちはどっちかなぁ。お父さまはいつまでにその気持ちを決めろと言うのだろうね」
 実津瀬がそんなことを言うから、蓮は慌てた。
「まあ、実津瀬!」
「でも、わかっているよ。私はね、話さなくてもわかるよ」
 と、実津瀬は返した。
 蓮は少しばかり顔を赤くして何か言い返そうかと思ったが、やめて口をつぐんだ。
 私の気持ちは……
 景之亮と初めて会った日、母や妹に、どう思った?と訊かれて、わからないと答えたまま、一歩も前に進んでいる気はしない。
 父に言われた、景之亮の方から断って来るかもしれない、という言葉が忘れられない。好きになってほしいなんて思わないけど、嫌われるのは嫌なのだ……。だから、景之亮の前で返事のできない無能な娘に映るのは我慢できなくて、落ち込んだりするのだ。
 いつの間にか滝のような雨もしとしと雨に変わっていて、実津瀬は簀子縁に出てその様子を見てから自分の部屋に帰って行った。
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