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失恋
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伯爵家令嬢、レイラ様に誘われて、歌劇を見ることになった。
平民の私が帝都歌劇座に入れる機会などそうそうあるわけもないので、二つ返事で行くことにした。
迎えに来てくれた伯爵家の馬車から降り、目の前に建つ荘厳な建物を見上げ、思わずふーっと息が出る。
ここの前に立つたびに、憧れのため息が出てしまう。
そして、もう一度、歌劇座に入れるという興奮を沈めるために大きく深呼吸をする。
いつかは、私の力で、私自身が歌劇座に招待される位の地位を得よう。ここにくることが出来ると言うことは、権力の象徴でもあるのだ。
劇場は人を選び、お眼鏡にかなった人を呼ぶという。
平民からのし上がる者達の目標でもある。当然、私もその一人だ。
今日はレイラ様に招待されて来たけれど、覚えていて欲しい。あなたに呼ばれることを夢見ている娘がここにいることを。
「メグ、いつまでも睨んでいないで、中に入るわよ」
レイラ様がコロコロと笑いながら声をかけてくる。私が、歌劇座に憧れている事は承知していて、私の興奮を楽しんでいるのだ。
まず、私を迎え入れてくれたのは乙女たちの憧れの大ロビー。年初めの社交界のスタートはここから始まるのだ。そして、その年にデビューするご令嬢達がお披露目のダンスをこのロビーでする。乙女達の夢の象徴でもある。
その時に生まれるロマンスは、小説や歌劇になり、庶民にも人気がある。
大ロビーの眩いきらびやかな光に目がくらむ。1、2階の高低差の付いたシャンデリア。細かい細工が施された装飾類がキラキラと反射し輝いている。
そして両脇に並び立つ9柱のムーア達が私を見下ろしてくる。
『お前は私たちの前に立つだけの物を持っているのか』
彼女たちは、そう、私に問いかけてくる。
いつか、この9柱のお眼鏡にかなうドレスを纏って、ここに立つ。見ていて、必ず、自分の力で来るから。覚えていて、私の事を。
レイラ様に手を引かれながら、9柱に挨拶をする。
さらに、大階段へ続く大扉には2柱が、見下ろしてくる。歌劇場を護る、芸術の神アポロンとアルテミス達に、いつか、2人を認めさせると誓いながら、扉をくぐる。
扉をくぐると、そこは、円形の大広間。ようやく、私の気持ちも落ち着き、人々のざわめきが聞こえてくる。席に着く前の社交の場でもあるのだろう。顔見知りたちが挨拶を交わしている。
私たちに気づいた人達も、こちらにやってくる。上位貴族であるレイラ様が挨拶に向かうことはないので、いつもとは勝手が違う私は、居心地の悪さを感じつつ、レイラ様の隣で顔が引き攣るのを隠しながら笑顔で挨拶をする。
「今日はエスコートなしですの?もしかして4番ボックスですの?」
女性達は、訳知り顔で話しかけてくると、レイラ様が、にっこりと笑みで返事を返している。
「エスコートなしとは珍しいですね。席までご案内しますか?」
男性達が、紳士的にレイラ様に声をかけてくると
「まあ、お願いできますか?今日は、4番ボックスですの」
これまた、にっこりと笑みをたたえながらレイラ様が答えると、男性達は、ハッとして、エスコートを辞退していくのだった。
4番ボックスがどうしたんだろう?
レイラ様は質問をさせるつもりがないらしく、グイグイと私を目的の席へと連れて行こうとしている。今日はどういうわけか、片時も離そうとはせず、いつも以上に強引だ。なんだろう、ちょっと、逃げたい気分になってきた。
白大理石で出来たステップ、赤大理石やオニキス、碧玉などをふんだんに使った大階段を上っていくと、これから始まる歌劇への期待が否応なくふくれあがっていき、チラリとよぎった不安が霧散していく。
レイラ様に連れられて行った場所は、2階の奥の席。鈍い私もようやく事のあらましが見えてきて、レイラ様の手を振りほどこうとしたが、既に遅く、レイラ様に腕をがっしりと捕獲されたままだ。
そして今まさに、先客が私たちに気づき席を立ち上がった。レイラ様の手が離れたが、私は逃げ道を失ったことを察した。二人同時に、深く膝を折る。レイラ様に嵌められた。いや、きっと、今回の事をしくんだのは、あの方だ。
レイラ様たちの挨拶が終わり、男性に紹介され、棒読みだったけど、礼儀正しく挨拶できた私は、スゴいよと、明後日の方を褒めるくらい動揺していたのだと思う。
男性の隣から、クスクスと笑い声が聞こえていた。
「メグ、そんなに固くならなくても」
こいつも共犯者かと、睨んでみても、気に止める風でもない。
「リュウ、知り合いか?」
「ええ、幼なじみみたいなものですかね。ねぇメグ」
「左様でございますね」
あいも変わらず、私は棒読みだ。
「それならメグ嬢はリュウと一緒の方が気も楽でしょう。では、レイラ嬢はこちらに」
レイラ様は、少し戸惑った顔をして私の方を見たが、私は知らぬふりを決め込んだ。
「それじゃ、私達はこちらで」
リュウが私の手を取り、席へと案内をてくれる。
ここは、王家専用ボックスだ。レイラ様を案内して行ったのが、帝国の皇太子カイ様。今日はカイ様の定期的に開かれるお見合いなのだ。
メンバーは、男性側はカイ様とリュウ。女性側はその時々で2人が選ばれ、カイ様が2人のうちのどちらかを、その日のお相手に選び、選ばれなかった女性の相手をリュウがする。
年頃の娘達にとって、この席に招待されることが夢であり、カイ様に選ばれれば、お后候補名簿に名前が載る。今は、候補者の選定中なのだ。
選ばれなかった女性も、リュウに気に入られれば、それはそれで良いと思っているので、選ばれなくても気にしないらしい...と聞いている。
今回、レイラ様が招待されたということは、お后候補選びも大詰めなのだろう。
カイ様がレイラ様を選ぶのは、色んな意味から間違っていない。というか正しい。
そうか、、、私は、やっぱり選ばれない運命なのか。最初から分かっていたことじゃないか。
10年前の約束を果たすため、約束の日に会いに行ったのに、カイ様は私のことなんか、忘れていたわけだし。あの日は、ホント悲しかったよ。あの時点で、私の初恋は終わったというのに、諦めきれなくて、今まで居続けてしまった。馬鹿だね私。
リュウが幼なじみみたいなものと紹介してくれたのに、気にも止められず、そして、選ばれもせず。
終わったね。
もう、完璧に終わった。
スっと目の前にハンカチが差し出される。リュウが心配げに見つめてくる。
ああ、私は泣いていたのか。
「私の胸でも貸そうか?」
「そうね。貸してもらおうかしら」
私らしからぬ応えにリュウが目を見開く。そもそも、人前で涙をこぼすだなんて、私らしくない。でも、今はそばにいて欲しい。
「サロンにでも行く?今なら、あまり人はいないはずだよ」
「そうね」
「ちょっと待ってて」
そう言うと、リュウは私が緊張し過ぎているみたいだから、少し席を外すとカイ様に耳打ちしていた。
それを聞いたレイラ様が席を立ったのをリュウが笑顔で話していた。
「せっかく口説くチャンスなんだ。2人だけにして貰えないかな?レイラ様も楽しんで。メグも、それを望んでるよ」
口説く...。相変わらず軽いヤツ。今日は、その軽さがありがたい。レイラ様が私の方を見るので、笑顔で頷いてみせた。上手に笑えただろうか。レイラ様は、私に遠慮してカイ様と距離を取って来たけれど、これからは、私のことなんか気にせず自分の気持ちを大切にして欲しい。
リュウに案内されて向かったのは月の広間。照明が落された室内はボックス席になっていて、軽飲食ができるようになっている。
今は観劇をしないで、ここで楽しむ人達が何組かいるくらいだ。
リュウは、私を座らせると、飲み物を取りに行ってしまう。軽いヤツだけれど、女性には優しい。きっと、そういう所も人気の理由なのだろう。
紅茶とプチケーキを私の目の前に置くと、リュウは、隣に腰掛ける。
どうして、隣なのよと、睨んでみると
「隣の方が、口説けるだろ」
そんな事を言ってくる。
「もう、アルコールが回っているの?」
「回ってないけど...。」
「けど?」
「緊張してる」
「リュウが、緊張?」
「初恋の相手と二人っきりだと思うと緊張する」
「また、そんな事」
リュウは、よくそんな事を私に言うけど、いつもの軽いノリだと思う。
「冗談なんかじゃない。本当にメグは私の初恋の人なんだ」
薄暗い室内では、リュウの顔色は分からないけれど、いつもの茶化した感じではなくて、本気なんだとわかる。
「ずっと好きだった」
「えっと...。ありがとう?」
いつも言っている初恋の子、今も一番好きな子と茶化したような感じではなく、本気の告白に、なんて応えて良いのかわからず、お礼を言うと、リュウが、少し困ったように笑う。
「少しは落ち着いた?」
そっと、私の頬に触れてくる。涙はとうに止まっている。不思議と過去の話として片付いている。振り切れている。というか、今の状態に戸惑っている。
いつも、憎まれ口を叩いてくるか、ふざけた様に口説いているかしかなかったリュウの甘い視線と言動に。
コクコクと頷くと、ケーキを勧めてくる。
「メグの好きそうなものを選んできたよ」
確かに、どれも、私の好みのものだ。この人ダレ?誰かに乗っ取られたの?
いや、違う。
いつもこうだった。私が気づこうとしなかっただけだ。カイ様にしてもらいたいことを、リュウがしてくれていた。
私の目がカイ様しか写っていなかっただけだ。
「あ、ありがとう。頂くわ」
「どうぞ」
「...。見られていると食べられないんだけど」
「気にしなくていいよ。クリームを顔に付けていても、かわいいから」
え?ウソ。顔にクリーム付いているの?思わず、口元に手を当てると、リュウが、クスクスと笑っている。
あ、からかわれたのかと睨むと
「そんな顔をしてもかわいい」
と言ってくる始末。
ダメだ。
今日のリュウには、反論する言葉が見つからない。
「今日のドレスも似合っているね」
「ありがとう。歌劇座は、久しぶりだったし、会いたい人がいたから気合い入っちゃった」
「会いたい人?それ、カイのこと?」
なんだか、隣の空気が凍った感じがした。ずっと、常夏だったのに、今度はブリザードだ。忙しいヤツだな。
「え?カイ様?違うわよ。私、ホント、ここに来ることを楽しみにしていたのよ。レイラ様は、何も言わなかったし。あの席に案内されるまで気づかなかったのよ。きっと、あの方の指示ね」
「あの方ねぇ。最後の勝負に出たって所か」
「そうかもね」
「それで、会いたい人ってダレ?」
「人って言ったら怒ららるかな~。九人の神様だもの」
「ああ、ムーアですか。今日は何を願ったんですか」
隣は、相変わらず、ブリザードが吹きまくっている。いつも、笑顔を絶やさず、飄々としているのに、こんな一面もあるのか。面白いな。
「願いじゃなくて誓いかな。次にここへ来る時はは、私自身の力で来るから、私の事を覚えていてって」
ブリザードが止まった。空気が少し凪いだような気がする。顔は笑顔なのに、リュウって、いつも、嘘くさい笑顔を貼り付けているから、気が付かなかったけど、本当は、こんなにも感情をストレートに出すヤツだったのか。
知らなかった。
「...。どんな力でムーアたちの前に立ちたかったの?」
「芸術の神々に願っているんだもの、決まっているじゃない」
リュウは、私の事をどこまで知ってるのだろうか。きっと、仕事のことは把握しているだろう。だから、自分の胸に手を当てる。それだけで言いたいことは伝わるはず。
「とってもお似合いですよ。きっとムーア達も気に入ったと思いますよ」
「そうだと嬉しい。メグで来るのは今日で最後だと思うけど」
「え?何?」
「ううん。なんでもない」
カイ様がレイラ様を選んだ時、止まっていた砂時計が、サラサラと落ちる音が聞こえた。
魔法の時間は終わったのだ。
「そう言えば、今日のドレスもって、私のドレス姿を見たことあるの?」
「ああ、薄紫のドレス姿を見かけてね。あのドレスも似合ってたよ」
「...。よく私だと気づいたわね。髪の色も変えてたのに」
「メグがどんな姿をしようとも私には分かるよ」
「...。そうね。いつも気づくのはリュウだけ」
気づいて欲しい人は、私の事など目にも入らないのに。
平民の私が帝都歌劇座に入れる機会などそうそうあるわけもないので、二つ返事で行くことにした。
迎えに来てくれた伯爵家の馬車から降り、目の前に建つ荘厳な建物を見上げ、思わずふーっと息が出る。
ここの前に立つたびに、憧れのため息が出てしまう。
そして、もう一度、歌劇座に入れるという興奮を沈めるために大きく深呼吸をする。
いつかは、私の力で、私自身が歌劇座に招待される位の地位を得よう。ここにくることが出来ると言うことは、権力の象徴でもあるのだ。
劇場は人を選び、お眼鏡にかなった人を呼ぶという。
平民からのし上がる者達の目標でもある。当然、私もその一人だ。
今日はレイラ様に招待されて来たけれど、覚えていて欲しい。あなたに呼ばれることを夢見ている娘がここにいることを。
「メグ、いつまでも睨んでいないで、中に入るわよ」
レイラ様がコロコロと笑いながら声をかけてくる。私が、歌劇座に憧れている事は承知していて、私の興奮を楽しんでいるのだ。
まず、私を迎え入れてくれたのは乙女たちの憧れの大ロビー。年初めの社交界のスタートはここから始まるのだ。そして、その年にデビューするご令嬢達がお披露目のダンスをこのロビーでする。乙女達の夢の象徴でもある。
その時に生まれるロマンスは、小説や歌劇になり、庶民にも人気がある。
大ロビーの眩いきらびやかな光に目がくらむ。1、2階の高低差の付いたシャンデリア。細かい細工が施された装飾類がキラキラと反射し輝いている。
そして両脇に並び立つ9柱のムーア達が私を見下ろしてくる。
『お前は私たちの前に立つだけの物を持っているのか』
彼女たちは、そう、私に問いかけてくる。
いつか、この9柱のお眼鏡にかなうドレスを纏って、ここに立つ。見ていて、必ず、自分の力で来るから。覚えていて、私の事を。
レイラ様に手を引かれながら、9柱に挨拶をする。
さらに、大階段へ続く大扉には2柱が、見下ろしてくる。歌劇場を護る、芸術の神アポロンとアルテミス達に、いつか、2人を認めさせると誓いながら、扉をくぐる。
扉をくぐると、そこは、円形の大広間。ようやく、私の気持ちも落ち着き、人々のざわめきが聞こえてくる。席に着く前の社交の場でもあるのだろう。顔見知りたちが挨拶を交わしている。
私たちに気づいた人達も、こちらにやってくる。上位貴族であるレイラ様が挨拶に向かうことはないので、いつもとは勝手が違う私は、居心地の悪さを感じつつ、レイラ様の隣で顔が引き攣るのを隠しながら笑顔で挨拶をする。
「今日はエスコートなしですの?もしかして4番ボックスですの?」
女性達は、訳知り顔で話しかけてくると、レイラ様が、にっこりと笑みで返事を返している。
「エスコートなしとは珍しいですね。席までご案内しますか?」
男性達が、紳士的にレイラ様に声をかけてくると
「まあ、お願いできますか?今日は、4番ボックスですの」
これまた、にっこりと笑みをたたえながらレイラ様が答えると、男性達は、ハッとして、エスコートを辞退していくのだった。
4番ボックスがどうしたんだろう?
レイラ様は質問をさせるつもりがないらしく、グイグイと私を目的の席へと連れて行こうとしている。今日はどういうわけか、片時も離そうとはせず、いつも以上に強引だ。なんだろう、ちょっと、逃げたい気分になってきた。
白大理石で出来たステップ、赤大理石やオニキス、碧玉などをふんだんに使った大階段を上っていくと、これから始まる歌劇への期待が否応なくふくれあがっていき、チラリとよぎった不安が霧散していく。
レイラ様に連れられて行った場所は、2階の奥の席。鈍い私もようやく事のあらましが見えてきて、レイラ様の手を振りほどこうとしたが、既に遅く、レイラ様に腕をがっしりと捕獲されたままだ。
そして今まさに、先客が私たちに気づき席を立ち上がった。レイラ様の手が離れたが、私は逃げ道を失ったことを察した。二人同時に、深く膝を折る。レイラ様に嵌められた。いや、きっと、今回の事をしくんだのは、あの方だ。
レイラ様たちの挨拶が終わり、男性に紹介され、棒読みだったけど、礼儀正しく挨拶できた私は、スゴいよと、明後日の方を褒めるくらい動揺していたのだと思う。
男性の隣から、クスクスと笑い声が聞こえていた。
「メグ、そんなに固くならなくても」
こいつも共犯者かと、睨んでみても、気に止める風でもない。
「リュウ、知り合いか?」
「ええ、幼なじみみたいなものですかね。ねぇメグ」
「左様でございますね」
あいも変わらず、私は棒読みだ。
「それならメグ嬢はリュウと一緒の方が気も楽でしょう。では、レイラ嬢はこちらに」
レイラ様は、少し戸惑った顔をして私の方を見たが、私は知らぬふりを決め込んだ。
「それじゃ、私達はこちらで」
リュウが私の手を取り、席へと案内をてくれる。
ここは、王家専用ボックスだ。レイラ様を案内して行ったのが、帝国の皇太子カイ様。今日はカイ様の定期的に開かれるお見合いなのだ。
メンバーは、男性側はカイ様とリュウ。女性側はその時々で2人が選ばれ、カイ様が2人のうちのどちらかを、その日のお相手に選び、選ばれなかった女性の相手をリュウがする。
年頃の娘達にとって、この席に招待されることが夢であり、カイ様に選ばれれば、お后候補名簿に名前が載る。今は、候補者の選定中なのだ。
選ばれなかった女性も、リュウに気に入られれば、それはそれで良いと思っているので、選ばれなくても気にしないらしい...と聞いている。
今回、レイラ様が招待されたということは、お后候補選びも大詰めなのだろう。
カイ様がレイラ様を選ぶのは、色んな意味から間違っていない。というか正しい。
そうか、、、私は、やっぱり選ばれない運命なのか。最初から分かっていたことじゃないか。
10年前の約束を果たすため、約束の日に会いに行ったのに、カイ様は私のことなんか、忘れていたわけだし。あの日は、ホント悲しかったよ。あの時点で、私の初恋は終わったというのに、諦めきれなくて、今まで居続けてしまった。馬鹿だね私。
リュウが幼なじみみたいなものと紹介してくれたのに、気にも止められず、そして、選ばれもせず。
終わったね。
もう、完璧に終わった。
スっと目の前にハンカチが差し出される。リュウが心配げに見つめてくる。
ああ、私は泣いていたのか。
「私の胸でも貸そうか?」
「そうね。貸してもらおうかしら」
私らしからぬ応えにリュウが目を見開く。そもそも、人前で涙をこぼすだなんて、私らしくない。でも、今はそばにいて欲しい。
「サロンにでも行く?今なら、あまり人はいないはずだよ」
「そうね」
「ちょっと待ってて」
そう言うと、リュウは私が緊張し過ぎているみたいだから、少し席を外すとカイ様に耳打ちしていた。
それを聞いたレイラ様が席を立ったのをリュウが笑顔で話していた。
「せっかく口説くチャンスなんだ。2人だけにして貰えないかな?レイラ様も楽しんで。メグも、それを望んでるよ」
口説く...。相変わらず軽いヤツ。今日は、その軽さがありがたい。レイラ様が私の方を見るので、笑顔で頷いてみせた。上手に笑えただろうか。レイラ様は、私に遠慮してカイ様と距離を取って来たけれど、これからは、私のことなんか気にせず自分の気持ちを大切にして欲しい。
リュウに案内されて向かったのは月の広間。照明が落された室内はボックス席になっていて、軽飲食ができるようになっている。
今は観劇をしないで、ここで楽しむ人達が何組かいるくらいだ。
リュウは、私を座らせると、飲み物を取りに行ってしまう。軽いヤツだけれど、女性には優しい。きっと、そういう所も人気の理由なのだろう。
紅茶とプチケーキを私の目の前に置くと、リュウは、隣に腰掛ける。
どうして、隣なのよと、睨んでみると
「隣の方が、口説けるだろ」
そんな事を言ってくる。
「もう、アルコールが回っているの?」
「回ってないけど...。」
「けど?」
「緊張してる」
「リュウが、緊張?」
「初恋の相手と二人っきりだと思うと緊張する」
「また、そんな事」
リュウは、よくそんな事を私に言うけど、いつもの軽いノリだと思う。
「冗談なんかじゃない。本当にメグは私の初恋の人なんだ」
薄暗い室内では、リュウの顔色は分からないけれど、いつもの茶化した感じではなくて、本気なんだとわかる。
「ずっと好きだった」
「えっと...。ありがとう?」
いつも言っている初恋の子、今も一番好きな子と茶化したような感じではなく、本気の告白に、なんて応えて良いのかわからず、お礼を言うと、リュウが、少し困ったように笑う。
「少しは落ち着いた?」
そっと、私の頬に触れてくる。涙はとうに止まっている。不思議と過去の話として片付いている。振り切れている。というか、今の状態に戸惑っている。
いつも、憎まれ口を叩いてくるか、ふざけた様に口説いているかしかなかったリュウの甘い視線と言動に。
コクコクと頷くと、ケーキを勧めてくる。
「メグの好きそうなものを選んできたよ」
確かに、どれも、私の好みのものだ。この人ダレ?誰かに乗っ取られたの?
いや、違う。
いつもこうだった。私が気づこうとしなかっただけだ。カイ様にしてもらいたいことを、リュウがしてくれていた。
私の目がカイ様しか写っていなかっただけだ。
「あ、ありがとう。頂くわ」
「どうぞ」
「...。見られていると食べられないんだけど」
「気にしなくていいよ。クリームを顔に付けていても、かわいいから」
え?ウソ。顔にクリーム付いているの?思わず、口元に手を当てると、リュウが、クスクスと笑っている。
あ、からかわれたのかと睨むと
「そんな顔をしてもかわいい」
と言ってくる始末。
ダメだ。
今日のリュウには、反論する言葉が見つからない。
「今日のドレスも似合っているね」
「ありがとう。歌劇座は、久しぶりだったし、会いたい人がいたから気合い入っちゃった」
「会いたい人?それ、カイのこと?」
なんだか、隣の空気が凍った感じがした。ずっと、常夏だったのに、今度はブリザードだ。忙しいヤツだな。
「え?カイ様?違うわよ。私、ホント、ここに来ることを楽しみにしていたのよ。レイラ様は、何も言わなかったし。あの席に案内されるまで気づかなかったのよ。きっと、あの方の指示ね」
「あの方ねぇ。最後の勝負に出たって所か」
「そうかもね」
「それで、会いたい人ってダレ?」
「人って言ったら怒ららるかな~。九人の神様だもの」
「ああ、ムーアですか。今日は何を願ったんですか」
隣は、相変わらず、ブリザードが吹きまくっている。いつも、笑顔を絶やさず、飄々としているのに、こんな一面もあるのか。面白いな。
「願いじゃなくて誓いかな。次にここへ来る時はは、私自身の力で来るから、私の事を覚えていてって」
ブリザードが止まった。空気が少し凪いだような気がする。顔は笑顔なのに、リュウって、いつも、嘘くさい笑顔を貼り付けているから、気が付かなかったけど、本当は、こんなにも感情をストレートに出すヤツだったのか。
知らなかった。
「...。どんな力でムーアたちの前に立ちたかったの?」
「芸術の神々に願っているんだもの、決まっているじゃない」
リュウは、私の事をどこまで知ってるのだろうか。きっと、仕事のことは把握しているだろう。だから、自分の胸に手を当てる。それだけで言いたいことは伝わるはず。
「とってもお似合いですよ。きっとムーア達も気に入ったと思いますよ」
「そうだと嬉しい。メグで来るのは今日で最後だと思うけど」
「え?何?」
「ううん。なんでもない」
カイ様がレイラ様を選んだ時、止まっていた砂時計が、サラサラと落ちる音が聞こえた。
魔法の時間は終わったのだ。
「そう言えば、今日のドレスもって、私のドレス姿を見たことあるの?」
「ああ、薄紫のドレス姿を見かけてね。あのドレスも似合ってたよ」
「...。よく私だと気づいたわね。髪の色も変えてたのに」
「メグがどんな姿をしようとも私には分かるよ」
「...。そうね。いつも気づくのはリュウだけ」
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