ゲーマー女、化け猫を拾う

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エピローグ 魔術師になった猫と再契約した主人

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「……くっそ…抱いて…」

「いいよ」

秋の二つ返事に現実へ引き戻された果穂はゲーム機から目を離し、即座に否定した。

「違う!こっちの話だから!」

画面の中では繊細な顔したシックスパックの美丈夫がこちらに向かって微笑んでいる。ルシウス様の蕩ける表情が相も変わらず堪らなかった。
秋の方といえば最近は専らサスペンスホラーの小説にハマったようで、今も文庫本を片手にソファの肘掛けに背を凭れている。幾分か活字に慣れたようで、読書ペースは早まる一方だ。先週純ホラーを読んでいた時は「果穂、お化けって本当にいるの?」なんて唐突に尋ね「いやお前がそれを聞くのか」と果穂を困らせたりもした。

秋が人に化け始めてから、この二人の平穏な空間は続いていたが、最近変わったことが一つある。小説から目を離し、秋はスンと鼻を鳴らして眉を顰めた。

「…臭い。マニュキアなら自分の部屋でやってよ」

「懐の狭い男ね。私はカホちゃんに見てもらいたくて来てるのよ」

ダイニングテーブルでせっせと一人自分のネイルを手入れしているのは二軒隣のお姉さん、朱音あかねさんだ。世を忍ぶ借りの姿の朱音さんはあの日から何かと果穂の部屋にやって来ては楽しそうに二人に絡むのだった。

「ほら見て果穂ちゃん、次のネイルは冬仕様にしたの~」

「えーかわいいー」

美意識の高い美女なお友だちができたことは果穂としても悪い気はしなかった。

「それより冬服欲しいのよね。カホちゃん今週末二人でショッピングしない?」

「楽しそう!行きたい!」

おばあちゃんというよりは、見た目通り本当にちょっと年上のお姉さんて感じだ。

「駄目だよ、果穂は俺とデートするんだから」

「あんたたち四六時中一緒にいるくせにいいでしょ。百貨店でカホちゃんにピッタリなリップの色選んであげるわ」

「イェーイ」

「果穂も果穂だよ。俺がいるのにそれ以上めかし込んでどうする気なの」

秋は小説をバサっと後ろに投げて果穂にぎゅっと抱きついた。その様子を見て朱音さんはニヤリと笑う。

「私がカホちゃんの周りに仲間妖怪はべらせたりしないか不安がってるのよこの子猫ちゃん」

「子猫じゃない!ちゃんと成猫だ!」

秋と朱音さんは言い争いが絶えないものの、関係性は随分と落ち着いたように見える。秋は朱音さんの見た目を若返らせる魔術を定期的に掛けてあげる代わりに、朱音さんから人間として生きるための『戸籍』の生成する手筈を教わったのだ。お互いの利害が一致した瞬間だった。
朱音さんがそのように、妖怪たちが戸籍を持って人間の姿で暮らしているとすれば私たち人間は気付きようもない。果穂はこの世界の真理に一歩近づいたような気分になった。


後日見事、しれっと日本国民になった秋は果穂に一刻も早い入籍をと迫ったが、ごにょごにょと果穂に渋られることとなる。将来の妻を安心させなくてはと思い至った秋の次の行動は、彼女の仕事中にチコチコとラップトップ一つで稼いだ貯蓄額を全て開示することだったが、それを見た果穂は卒倒しそうになった。

「…え、ちょ、…一、十、百、千…」

桁をひい、ふう、みい、と数える果穂の隣で秋は言い忘れたことを付け加える。

「あ、因みにこれはUSドルだね」

「…」

「こっちはユーロと、あとあれが円の分で、一応スイスフランと豪ドルの分もそれぞれ少しあって…」

「…魔術ってお金増やしたりできるの?」

「できるけどやってないよ。だって果穂と人間として暮らしていくって決めたんだから郷に入っては郷に従えって言うでしょ?」

「…犯罪ではないよね?」

「勿論、平和なお金」

そして秋はにっこり笑った。

「これくらいあれば当分は安心して暮らせる?」

その言葉に果穂は勘付いたのだ。この猫、さては人間の世界の貨幣価値を分かってないままトレード取引してたな?この数えるのも恐ろしい額なら当分どころか末裔まで遊んで暮らせそうだが。

「…ていうか秋、これってもしかして確定申告って…」

「カクテイシンコクってなに?」

で、出たーー。
果穂の悩み事はまた一つ増えた。そんなこと知る由もない秋は果穂の両手を握ると忠犬ごとくキラキラした瞳で綻ぶ。

「果穂、これで結婚してくれる?」

「そ、そうね。…その前に税理士を雇おっか」

早めに入籍しとかないと次は離島とか買って来そうだと果穂は折れた。秋は嬉しそうに果穂にキスを落として抱きしめる。その大きな背中に腕を回しながらこの男に教えなきゃならないことはまだまだ沢山あるなと、果穂は遠い目になった。

「…そういえば果穂、ヤリモクホストってなに?」

思い出したように秋が問いかける。なんて脈絡の無い話題なんだ。

「…歌舞伎町に生息する、女子の若さと金を吸い取って生きながらえる生き物のことだよ」

「へー、妖怪の一種ってこと?」

「…まあ、多分そんな感じ。ところでその語彙はどこで覚えて来たの?」

「友だちが言ってた」

「ふぅん…」

果穂は頭の中でそのお友だちの顔を思い浮かべた。
余計なことばっかり教えないでよ石田!




* * * * * * * * * *



樹海の奥深くに小さな石造の家屋があった。住人がいなくなってもう随分と経つそれには今や苔や蔦が生い茂り、自然に還ろうとしていた。

初めて父と鹿狩りに樹海へ踏み入れた息子はその帰り道、古びた家を見て足を止めた。

「父さん、あれ、魔女の家って本当?」

「そうだよ。父さんが子供の頃はこの国も魔女が沢山いたんだけどなあ」

「どうして魔女はいなくなっちゃったの?」

「王様が魔女を怖がっていたからじゃないかなあ」

「王様?この国にも王様がいたの?」

「昔は政治家じゃなくて王様が国を仕切っていたんだよ。だけど王様の子供も、そのまた子供も皆んな病で亡くなってしまったから、魔女を虐めた呪いかもしれないな」

「へぇー」

息子は家から目を離さずに続ける。

「魔女はもう戻って来ないの?何処かへ行ってしまったのかな」

父親は息子の肩に手を置き、歩みを促した。

「どうだろうなぁ、もう帰って来ないかもしれないな」

「じゃあ、今は王様に虐められないところで幸せに暮らしてるのかな」

なかなか歩き出さない息子に、父親は視線を合わせてそっと言い聞かせた。

「そういえばこの家にはずっと魔女の猫が住んでいたんだよ。魔女の帰りをずっと一人で待ってたんだ」

「その猫は何処に行ってしまったの?」

「魔女を探しに旅に出たんじゃないかって言われているんだ。その話を聞きたいか?」

「うん!」

「じゃあ家に帰ったら猫の冒険の話をしよう。少し冷えて来たな」

家屋を後にする親子を見送るのはシンと物言わぬ翳った家屋だけだった。




魔女を探して時空を超えた猫は今、
生まれ変わった主人の元で幸せに暮らしている。


それはこの父子には想像もつかない結末だろう。



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