ゲーマー女、化け猫を拾う

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猫と寿命

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「やだ、他人の家に勝手に入って来ないでよ」

お姉さんの声で果穂はハッと我に返った。そうだ、この場に私は色んな意味で居てはいけないんだ。そう思い踵を返そうとしようとしたが、腕を強く掴まれて引き戻される。

「果穂!」

秋は焦ったように果穂と視線を合わせようとしたが、果穂はそれに応えられなかった。だって今更なんの言い訳をしてもこの状況は打開できないでしょ。

「秋は…結局誰でもいいんだね」

「違う!絶対誤解してる!!」

「ちょっとぉ、修羅場なら自分たちの部屋戻ってやってくれる?」

お姉さんがのんびりベッドから身体を起こしながら言うと、秋は露骨にお姉さんを睨みつけて暴言を吐いた。

「ババアは黙ってろって!」

「はぁ~?その言い方はなくない?」

「果穂!果穂が思ってるようなことはないから、絶対!このババアは二百歳超えてるし、そもそも人間じゃないし、俺は果穂しか勃たない!」

「………は?」

「果穂しか勃たない!」

「違うそこじゃない」

果穂はベッドの上のお姉さんを凝視した。キャミソールのストラップが滑り落ちている片方の肩も。サテンの生地が滑る滑らかな腰も、どう見てもどエロい人間のお姉さんだが。

「……つ、つまりこの人は妖怪だって言いたいの?」

「正解」

緊張したような面持ちの秋が即答する。その背後でお姉さんは不満を漏らした。

「もぉー!実年齢言わないでよ!見た目は三十代にしてんだからわざわざ言わなくて良いの!」

果穂は混乱した。まさか秋の他にもこの世に妖怪がいるとは。いや、秋は違うのか。しかも自分の部屋の二つ隣に住んでるなんて。…いや、待て。ていうかこんな突飛な話簡単に信じていいの?秋の口から出まかせなんてことだって…。

「早く元の体に戻ってよ。果穂に疑われたままじゃ俺生きていけない」

想像以上にお姉さんに強くあたる秋は、私が取り乱して逃げ出してしまわないようしっかり背中を手で支えている。

「嫌よぉ!折角美しいままいるのに!」

ゴネるお姉さんに苛々し始めた秋は人差し指を向けた。その長い指を空で左から右へスライドさせると、途端お姉さんのお尻から二股の尻尾が姿を現す。枝分かれした灰色の尻尾がそれぞれ反対方向に畝るのを見て果穂は目を剥いた。

「猫又っていうのは二百歳越えた猫が妖怪に姿を変えた、タチの悪い生き物なんだよ」

秋は静かに説明する。確かにその二股の尻尾は黒猫版秋の尻尾とは違って少し毛がパサついているというか、ご高齢猫の毛並みなんだろうなということは果穂にも伺えた。

「…でもなんで秋がこの妖怪のお姉さんの部屋に?」

まだ訝し気な果穂に、秋は果穂の手を握って真っ直ぐその目を射抜く。

「果穂も含めて人間が気づくことはないかもしれないけど、この世界には沢山妖怪が住んでいるんだよ。皆このババアみたく人間や動物に化けて普通に人間たちの生活に紛れ込んでる。けどその妖怪たちからしたら俺は別の世界から来た異端の存在で、排除される対象みたい。
だからこの辺り一帯の妖怪たちを取りまとめているこのババアの身の回りの世話をする代わりに、存在を見逃してもらっていたんだよ」

果穂にも影響することだからなるべく争い事なく穏便に解決したいしね。と付け加えられた秋の言葉に、果穂は他人事のような感想を抱いた。

「なんか町内会みたいだね」

「…信じてくれた?」

長い腕の中に包まれてぎゅっと力強く抱きしめられる。その体温に次第に果穂の気持ちは少し落ち着きを取り戻していった。

「俺が一緒にいる所為で万が一果穂の身に何かあったら耐えられない。だから親玉ババアの家事もするし、魔術で肌艶を良くさせてやるし、腰のマッサージだってする」

「…そ、そうなの…?」

「ちょっとやめてよ、余計なことまで人間にバラさないで。話が違うわ」

ベッドから降ってくる通る声はやっぱり二百歳には思えなくて、凛とした態度のお姉さんは腕を組んで表情に怒りを滲ませていた。

「恋人に浮気を疑われるならお前らの存在なんて隠してても意味ないだろ。果穂、こいつの本性はヨボヨボの癖に気位だけは高い妖怪だから。さっきは全身を揉んでやってただけだけど、お婆ちゃんの肩を叩いてやるのと同義なんだよ、これだけは信じて」

必死な秋の言葉に果穂は頷くしかなかった。最早気になっているのはそこじゃない。……今恋人って言った?恋人?私と秋のこと?
フワフワと思考が飛ぶ果穂を他所目にお姉さんは秋を睨む。

「私に喧嘩売って良いと思ってんの?この辺の同族妖怪たちは手荒いの多いんだから、あんたどころかそこにいるカホちゃんに何かあっても知らないわよ」

「果穂に手を出したら殺すよ」

空を撫ぜるように秋の手が円を描いた。その瞬間お姉さんが首元を抑えて苦しそうに踠き出す。しゃがれた老婆のような呻き声が漏れて、見た目との差に果穂は驚いた。

「…秋やめて!死んじゃう!簡単に他人から水分抜くのはやめよう!」

慌てて秋の腕を掴んで制すと、その場の張り詰めた空気が一気に緩んだ。お姉さんは大きく息を吸って咳き込む。

「水分は抜いてないよ。こいつの周りの空気から酸素を抜いただけ」

「お、おん」

「果穂に危害加えようなんて、一ミリでも考えを過らせたこいつが悪い。安心してね果穂、妖怪を取りまとめてるこいつより俺の方が強いし、果穂は俺が護るから」

呼吸を整えながらお姉さんは嘲笑する。

「…ほんといつも口開けばカホ、カホってそればっかり。最初にこの子の部屋転がり込むのだって私の助けあってだっていうのに」

「…それは感謝してる。でも果穂の害になる奴は誰であっても許さない」

「そんなにベッタベタ執着していつかその子に嫌われるわよ」

「煩い。果穂は俺のだからいいんだよ、俺のこと愛してるもん、…ね?」

急に同意を求められて果穂はつい『珈琲淹れる?』と聞かれたときくらい軽く「あ、うん」と返事をした。あれ、私もしかして意識ない間に秋に告白してた?そんなことある?

「もうお前の若返りには手を貸さないから」

秋は冷たい表情でお姉さんを見下ろす。そういえば秋がこんなに他人と関わっている姿を初めて見たなと果穂はぼんやりと思った。普段果穂への接し方が如何に優しくて柔和なのか、他人との差を知った瞬間でもあった。

「…さ、部屋に戻ろ。今日は果穂の好物の海老グラタン作ってみたんだ」

「あ、ありがとう…」

秋に肩を抱かれ、促すようにベッドルームを後にした。振り向くと背後でお姉さんは二股の尻尾を揺らしながら「またね、カホちゃん」と面白そうに手を振っていた。







部屋に戻ると美味しそうなホワイトクリームの匂いが果穂の鼻をくすぐる。…そういえば仕事終わりでお腹はペコペコだ。けれど秋はキッチンを素通りすると、そのまま果穂の手を引いてソファに座らせ、自分はその前に跪いた。

「ほんとはもっとちゃんと空気作ってからって思ってたけど、変な誤解もさせちゃったから…今直ぐに改めさせて」

秋の瞳孔に散りばめられた細かな金の星屑が美しくて引き込まれそうだった。真剣な眼差し。シン…と二人だけの静かな空間で、果穂の心臓がまた鼓動を早める。

「果穂には何一つきちんと伝わってないだろうって言われたんだ。俺はこの間果穂に気持ちの全てを伝えたつもりなんだけどなんというか上手く…いや、そんなことはどうでもよくて」

「言われたって誰に?」

「…友だちにね。その、」

秋は小さく咳払いをした。息を吸って再び視線を交わす。

「果穂は俺にとって酸素に近い、一番大切でいて当たり前の存在だったんだ。だけどそれは友だちとかっていう枠じゃなくてもっと超越する…」

辿々しく言葉を紡ぐ秋は次第に目が泳ぎだして、一生懸命暗記した文章を空で言っているようにしか見えなかった。

「…秋、石田に何吹き込まれたの?」

「えっ、なんで分かるの!?」

「それ石田の鉄板プロポーズ文でしょ。毎日お店で男性客に伝授してるの散々聞いてるんですが」

秋は力無く果穂の膝上に崩れて、ガックリという擬音がピッタリなくらい落ち込んでしまった。石田と秋が何故繋がっていて、何故こんなことになっているのか果穂には分からなかったが、秋が石田を『友だち』と即答したときの表情に少し嬉しさも感じた。
その艶やかな黒髪をそっと撫でてやる。秋との関係がギクシャクしてから秋は果穂が朝起きるより先に自分の髪を自身でまとめるようになっていた。少し雑な結び方は意図せずとも男性らしさを増して、寧ろ果穂が丁寧に結ってあげるよりも色香を纏う気さえする。

秋はそっと顔を上げると困ったみたいに自身の頸を掻いた。

「やっぱり石田さんの受け売りはいいや、自分の言葉でもう一回伝えることにする。

俺、果穂のことが好きだよ。飼い主としても友だちとしても前世の主人としても好きだし大切な人だけど、この世界に来てから一人の女性としても好きになってて、今はその感情が一番大きい。だから果穂は誰にも取られたくないし、この暮らしは人間の男にも妖怪にも邪魔されたくないんだ。前世の記憶がない果穂からしたら、勝手に追いかけて来て傍迷惑な存在かもしれないけど…もう理屈じゃないんだよ。
果穂のことはこれからずっと護るし、そこら辺の男より絶対幸せにする自信がある。
……だから、俺の残りの寿命の分だけ、果穂を独り占めさせてよ」

欲しかった言葉をあっさり貰えて嬉しいのに、なんて悲しい告白なんだろう。この猫は私の人生に寄り添うためだけに生きようとしているのだ。そのひたむきさを直視できず果穂は俯いた。その拍子に目から涙が溢れてしまって、返すべき言葉もすぐに見つからなかった。

「果穂なんで泣くの?…ごめんね。果穂も同じ気持ちでいてくれてると思ってたけど、違った?」

秋が少し困ったように果穂の涙を手の甲で拭う。果穂は首を横に振って誤解を与えまいとした。

「嬉しいよ秋。私も秋が好きだよ。だから…だからそんな悲しいこと言わないで」

「…なにが悲しいの?」

秋にはいまいち伝わっていない。きっと私のために寿命を削ったことや、私を追いかけて異世界まで飛んできたことを一ミリも悔いていないんだ。彼に取っては悲しいことなんかじゃないのかもしれない。そう思うと堪えようとした涙がより溢れた。

「だって…秋はあと数年しか生きられないんでしょう?それだけじゃ私には足りないよ」

いよいよ秋の顔を一切見られなくなって、自分の泣き顔を隠すように秋の首に抱きついた。線が細いように見える秋は、勢いをつけた果穂を抱き止めてもびくともしない。耳元で少し動揺したような声が聞こえた。

「……数年ってなんで」

「…だって秋はもう充分猫にしては長生きだし、アメリーから貰った寿命の大半を魔術師に渡したって…!普通に考えれば私でも分かるよ!」

「…」

秋は暫く黙り込んでしまった。まさか果穂がそこまで残りの寿命を察しているとは思っていなかったみたいに。暫くして秋は果穂の肩を支えると体を離す。果穂の目を覗き込むように視線を合わせて、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「俺は自分に残りの寿命があとどれくらい残ってるのか、具体的な年数は知らないし、知りたくても知る術はない」

果穂は鼻を啜りながら静かに頷いた。その続きを聞く覚悟はできていたはずだったのに、どうしても胸がざわつく。

「だから断言できることは何一つない。……けど、妥当な計算だと少なくともあと半世紀は生きられそうだよ」

時が止まったような瞬間があって、秋はふっと優しく微笑んだ。

「…………はんせ…?」

「前言わなかったかな?人間の一年は俺たち動物二、三倍に値するって。
人間の平均寿命が八十歳だとして、アメリーは修行を終えてまだ間もない二十代だったから、少なくとも五十年以上の人間の寿命を当時瀕死状態だった俺に渡したことになる。それを猫の寿命に換算すると百二十年くらいにはなってるんじゃないかな。
そして俺は修行の代価としてその寿命の半分を爺に渡したから、」

涙で睫毛が張り付くのを感じながら果穂は目を瞬かせる。

「残り…半世紀以上てこと?」

「まあ大雑把な計算だから確実ではないけどね。元々アメリーが平均的な魔女に比べて短命の予定だったとしても半世紀分くらいは残ってるんじゃないかと思う」

「えっと、ということは…」

「一般的な人間くらいの生涯は味わえるよ。だから果穂と一緒に歳を取って、おじいちゃん、おばあちゃんになれる。…ソレって本当の家族みたいじゃない?」

平然とした表情で、秋は嬉しそうに言う。果穂は大きく荒い息を肺から吐き尽くした。

「…な、なんだ…てっきり…」

「少なくとも寿命を分け与えた後の師匠が『おかげであの暴君王の曾孫の顔を拝めるわい』って悪い顔でホクホクしてたから、寿命の計算に大きな狂いはないと思う」

「…そうなんだ…」

「ごめん、俺また果穂を不安にさせてたのかな。説明が足らなかったね」

「ううん…まあ、そもそもお互い前提の常識が乖離しすぎてるからね…」

「でも俺は果穂が別の世界の住人でも、魔法使えなくても、常識が違っても、ずっと好きだよ。だから俺のでいて」

秋はそう言うとポケットからキラキラ光るチェーンを取り出すと果穂の首元へそっと巻きつける。先端にぶら下がる宝石を見てその大きさに驚愕すると共に、『石田の本気』という単語が果穂の脳を過った。

「昔と違って今は俺が魔術師になったから、果穂は俺の使い魔だね」

「…使い魔ってなにするんだっけ。私コントローラー捌きくらいしか誇れる技ないわ」

「いいんだよ、使い魔は何もしなくても。でも首輪はしておくね、俺のって証」

「…」

鎖骨に掛かるネックレスのチェーンを人差し指で軽く持ち上げながら秋は囁いた。

「…マーキングだね」

そう言ってまたふわりと綻ぶ表情に果穂は心臓を撃たれた気がした。なんだ、石田の考案台詞の何倍もキュンとさせるのが上手いじゃない。こちらがつい苦笑してしまうほどに。

左手をそっと取られて痣の上にキスをされる。新しく契約を塗り替えるような恭しい振る舞いに果穂はドキドキしながらも、初めて自分の痣が誇らしく感じた。

「…ご飯にしようか。果穂お腹空いてるでしょ」

「うん、ずっといい匂いがしてて余計ペコペコ」

そのまま引き上げられるように立ち上がり、果穂は自分のデコルテで揺れる鉱石の感覚と、満ち足りた幸せを噛み締めた。
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