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乙女の吊橋

僕の嫁~絶滅ラブコメ発動せず!フラグも立たない僕に天使は舞い降りるか!?~

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「この姉に隙あらば、何時でも打ち込むがいい」

「今のところありません姉様」

「で、あろうな。お前の間合も剣筋も共に鍛錬した私ならば熟知している。迂濶に踏み込めぬのは日頃の修練と精進の成果と知るが良い」

「お誉め頂き羽女恭悦にございます」

この二人の間で交わされる会話と妙な空気感と独特の間は一体なんなのだ。まるで時代劇でも見せられているようだ。それにも少し慣れた。しかし突然沸点がMAXになるので油断ならない。二人とも目が全然笑っていない。

「ですが姉様」

「ですが何だ羽女」

「昨年の高砂祭の白鷺武踏に強引に乱入した姉様は、参加者全て一人で薙ぎ倒した挙げ句、公衆の面前で私に挑戦状を叩きつけ、一太刀も浴びせる事も叶わぬまま逃走したはず」

なんて姉妹だ。それ以外言葉が見つからない。

「1Rはくれてやる事にした」

「1Rはくれてやる?」

「闘いってのを長いスパンで見るのさ私は…つまり羽女、あんたさあ格ゲーとかやる人?」

「やりません」

「相生君は?」

「まあ…たしなむ程度には」

「1Rは適当にやって、相手の癖とか頭に入ったら2R目に『勝てる!』て鼻息荒くしてる相手に触れさせもせず、なめプでボコボコにしてやるのが醍醐味なのよ!」 

ゲーマ-としても人間としても最低だ。

「羽女、お前の神速にはさらに磨きがかかっていた。だが、それでは私には勝てない、何度も言うが」

僕には先ほどから思うことがあってつい二人の会話に口を挟んだ。

「何度も言うのは実は、あんたが円乗さんの神速を恐れてるからじゃないのか?」

僕の言葉に散華は方眉をつり上げて言った。

「ほう、面白い事を言うな少年。根拠がなければこの場で刀の錆びにするぞ」

まったく冗談に聞こえない。だからこそ逆に僕は確信したんだ。

「あんたが重力を操作して相手の動きに制限をかけ圧死させるトンデモ能力の持ち主だって事は分かった。催眠術でもなければ俄に信じ難いが」

「相生君、姉様の改編は本物だ。催眠術などではない。この私が保証する」

保証されたくはなかった。むしろ催眠術ならよかったのに本物なのか。聡明な円乗さんがそう言うなら間違いないのだろう。認めたくはないが。

円乗さんを後継者として育てる上で、散華は円乗さんに高重力の負荷をかけて修行させたらしい。結果として円乗さんは神速という特殊な力を手に入れた。

「私には姉様のような重力改編や己の肉体の組成を変化させる能力はない」

「一方で私の改編は局所的で範囲が限られている。羽女はそれに対し極値的…大局と言った方が分かりやすいか…つまりより戦闘に向いているのが私だ」

「相手の体に触れる事もなく労せずして敵を行動不能に出来る…そんなあんたは、これまで相手の動きを上回る速度など獲得する必要はなかった。つまりは..」

「つまりは?」

僕を見据える切れ長の瞳が目蓋の遮でさらに細くなる。

「つまり円乗さんの神速は通常の戦闘に於いて今も確実にあんたにとっては脅威であるはすだ」

「なるほどな、つまり羽女の神速に脅威を感じた私があの手この手でその芽を先に摘んでしまおうと…勝つために羽女の一歩までも封じてしまおうと謀ったというわけか」

そう散華は円乗さんの武術の師匠でもある。その立場を上手く利用したのだ。

「本来戦う相手には最後まで手の内は隠しておきたいものだ。にも関わらず、あんたは執拗なまでに自ら切札を鼓舞するようにひけらかした。結果、円乗さんに戦う前から『自分は絶対勝てない』という恐怖心を植え付けたんだ」

「戦う相手には常に全力を尽くすものだ。何故ならこれは武術の試合ではなく戦だからな」

はぐらかされた。

「円乗流は…本来対戦に於いて改編は使用しません。改編は闘いに用いるものではなく神託によって世のため民のために使われるべきものです。むしろそれに頼る事なく、自らの精神と肉体を鍛練し、神の高みを目指すものなのです」

「さっすが祭主様にして円乗流後継者。模範回答をどうも!」

散華はふざけて円乗さんをなむなむと拝む真似をする。円乗さんは冷静な口調で言った。

「姉様は改編を戦闘に使ってはならないという禁を破ってまで本来戦闘に向かない私を鍛え上げた」

「私は神様の決めた事ってのがいちいち気にいらないだけさ!」

「僕にはいまひとつ改編という能力の意味も使い道も不明瞭なんだけど」

「局所的改編能力の持ち主であった円乗壱師というかつての祭主は..自らの力を白鷺武踏会で誇示し世の民に『神威ここにあり』と知らしめる事に成功した。それは治世に於いて大いに有益だった。一方その後を継いで祭主となった円乗羽女の改編の力は私よりさらに普遍的なものだった」

散華は空を見上げ見えない何かに呟く。

『まるで本来祭主に備わる改編能力が、何者かによってさらに都合良く改編されたかのようにね」

「私は神託により姉様より次の祭主の座を引き継いだのです」

「神託と改編、それこそが現在最も祭主を祭主たらしめる重要な要素だ…つまりは」

「つまりは…」

神託を受けた祭主はこの世界そのものを改編出来るって事なのか?

ふいに散華が指を弾く、音がした。

「そして私たちは今吊り橋の上にいる」

気がつけば僕たち三人は囂々と風吹き荒れる渓谷で心もとなく揺れる朽ちかけた吊り橋の中央に立っていた。

「これが改編!?」

「こんなのは単なる目眩ましだ」

たとえ落ちても死にはしないと髪を靡かせ散華は笑う。本当にこれは幻なのか?時折顔にあたる水の飛沫も本物ならば話し声も風に浚われ途切れがちになる。

「逆に私は君に問いたい。君はなぜこの世界の中で一人だけ、分かりやすい迄に、それほど孤独なのだ。その理由を自分で考えた事はあるか?」

「考えたさ」

しかし答えなんて見つからなかった。
編み縄で拵えた橋の手摺りに散華はひらりと跳び乗る。手摺りをたわませ、両腕を広げたヤジロベエのようにバランスを取りながら楽し気に歩いてみせた。

「君が孤独であるように祭主という存在もまた孤独なものだ。神に身を捧げた身とはいえ、寄り添う連れ合いもなく、その生涯を終える…私も同じ立場にいた人間だからこそ、尚更妹や君の心情は理解出来る」

散華の言葉になぜか僕はそれだけは真実
を感じた。ここは一人で立つにはあまりに孤独で恐ろしい場所だった。

「しかし姉様はその後良き縁の人に巡り合いました」

散華は片足で身を翻し手摺りから中に飛び降りた。

「私の夫は稀人であった」

「稀人?」

「海で遭難し浜辺に打ち上げられていた。助けられ神社に運ばれたのだ」

「古来より海より流れつく異郷の神を稀人と言うのです」

「もっとも彼は単たる遭難者で神などではなかった。手厚い治療を受けたが三日三晩彼は目を覚まさなかった」

彼女は眠る彼の横顔を見て恋に落ち。

「目覚めて初めて彼の声を聞いた時にはもう愛していた」

「ほどなく私に神託が降り、姉様は祭主の座を辞し、その方と共に神社を去りました」

「私は彼が目を覚まさぬ間思ったものだ『目を覚ましても私だけを見てはくれないか。そうでないなら逸そ何時までも目を覚まさないでほしい』」

「それと、この吊り橋が何か関係があるのか?」

「さても鈍い男だ!」

散華はやれやれと首を振る。

「この世界で唯一無二の孤独な心を抱えた男女が吊り橋の上で出逢った。お前たちから見れば私は宛ら橋の上を吹き荒れる暴風。風に吹かれ揺れに揺れる吊り橋の上ではお互いに思いを寄せるお前達二人の絆も深まった事だろう…別に礼など要らぬ」

お互いに思いを寄せるなんて..無遠慮にほどがある。恥ずかしくて円乗さんの顔が見れないじゃないか。そんなことを言うためにわざわざこんな大仰な仕掛けをこの人はしたのか?呆れて僕は言った。

「誰があんたに礼なんてするか!」

さっさとこの馬鹿馬鹿しい手品から僕と円乗さんを開放してほしい。

「だがな少年。私は吊り橋なんて揺らしてはいない」

「何が言いたい」

「本当に吊り橋を掴んで揺らしているのはそこにいる女だ!吊り橋を拵えて、君をそこに立たせたのは、君の横で清ました顔をしているその女なのだよ」

「そんな馬鹿な」

「出来るのだよ。羽女の改編ならば…君を世界で唯一連れ合いを持たぬ孤独な境遇の男に仕立てることも。それが羽女の持つ改編能力だ。そんな事が出来るのは高砂神社の祭主である円乗羽女ただ1人…理由は述べたるまでもなかろう」

「なぜ円乗さんが僕にそんな事を…あり得ないだろ!?そんな事!!」

「実によく揺れる」

「嘘です…そんな話。姉様の妄言です!私が相生君の幸せを願いこそすれ、そんな不幸を思うはずがありません。相生君、惑わされないで私を信じて欲しい!!」

勿論僕は円乗さんを信じる。

「果たして夢の中までと誓えるか羽女?夢の中や無意識にも『自分だけを見て欲しい』と一度も思わぬ乙女の恋心が果たしてこの世にあるものか!」

似合わない台詞をこん身の真顔で..ひょっとして中身はすごい乙女なのか?

「自分と自分が大好きな人以外みんな殺してしまえ!そうは思わぬのか?」

やっぱり怖い人だった。

「私が相生君と出逢う前からこの世界は今と変わらぬ世界でした。それは姉様もご存知のはず」

「君の名は裕太君だったな..もしかすると君は名しか持たなかった私の夫と同じ稀人なのかも知れぬな」

「僕が希人」

僕の場合は【嫁】がいない希な人と世間ではよく言われていた。

「しかしその彼もやがて私という伴侶を得た。希人ではなくなった。この世界ではそれが必然。しかし、そこにいる羽女が君の妻を消したとしたら?君には妻のいた記憶があるのではないか?私には凡そ見当がついているのだが…羽女、お前も知っているのではないか?」

円乗さんはなにも答えなかった。

「どうした羽女?彼の幸せを第一に考えているお前がなぜ沈黙を守る?教えてやれば良いではないか、お前がこの世界から消し去った彼の嫁の事を」

円乗さんが僕の嫁の存在を知っている?

「根拠はある」

吊り橋は軋み激しく揺れた。

「羽女は無論君の嫁となるべき女ではない。これは身も心も神に捧げた神嫁。君が運命を共にするはずだった女は別に存在する」

「か、仮にそんな人がいたとしても、羽女さんがその人を僕の目の前から消してしまうなんて考えられない…あんたならやりかねないが」

「おそらくあれは君に嫁いでいたら間違いなく三國一の花嫁と呼ばれていたであろうな。君も羽女の事などすぐに忘れたはずだ」

「間違いありません」

間違いありません..確かに円乗さんはそう呟いた。それは散華の言葉を認めたことになるのだろうか。僕は彼女の呟きが空耳であって欲しいと願った。

「だから私は羽女が相生結太の嫁の存在を消すか隠したと考える。理由も察しがつく」

嫉妬という文字がちらりと脳裏を掠めた。しかし僕はその考えを頭から振り払う。

「円乗さんがそんな事する訳がない!」

さっきから僕は駄々っ子みたいに同じ言葉を繰り返している気がする。どれだけ恐ろしい現実を突き付けられても彼女を信じていたい自分がそこにいた。

「根拠はあるのだ」

揺れる吊り橋の上で散華は目を閉じた。まるでこの歪んだ世界で唯一正しい方角を指し示すコンパスのように。揺るぎなく静かな佇まいが今の僕を堪らなく不安にさせる。

「君の伴侶となる女が私の知る者ならば君を間違いなく白鷺武踏会にまで誘うだろう。たとえそうでなくても君の資質や才能を目敏く見つけ世の華舞台に君を立たせるだろう。そこに彼女の悪意は微塵もない。愛だけだ。君は三國一の当たり籤を引いた果報者という事になれた」

「それの一体どこが悪いんだ」

人も羨む夢のような人生だと言いながらその中には花嫁の悪意という言葉が潜んでいるのを僕は見逃さなかった。

「そしたら君は死ぬんだよ」

「僕が死ぬって!?」

「羽女が先程言ったではないか。『完全なる魂はこの世に留まる必要はない』と。この世界で神に選ばれた魂は神の生け贄になるのさ」

「姉様は真実を歪めています」

「ではお前に聞こう羽女。お前が祭主となって最初の年、私は夫と共に白鷺舞闘会に出場し見事に優勝した。事実であるか?」

「事実です」

「優勝の報奨として与えられたのはお前達の言うところの魂が神の御元に召される事であった。事実であるか?」

「事実です…しかし姉様!!」

「私の夫は神社と、ここにいる女の手引きで神の生け贄となった。巡り会い幸福の絶頂でお互いに高め合い、辿り着いた誉れ高き日に、さぞやその完全なる魂とやらは美味であった事だろう。この世界には贄を捉える目に見えぬ穴が其処俐に存在しているのだ」

散華の指し示す指の先には円乗羽女がいた。まるで判決を待つ囚人のように俯いて立ち竦んでいた。

「私の夫も、寡婦として島に送られた女達もお前たちは救ってはくれなかった。そんなお前が思いを寄せた男ただ一人救うために改編を自ら行うとは!些か笑えぬ冗談だ、円乗羽女!!!」

「円乗さんが僕を助けるために!?」

「ふん!祭までの一月の期限だと!?考えてみれば可笑しな話だ。神は期限の札など切らぬものだ。期限に猶予、私から言わせればそれは【情】だ。私の知る限り神は情など持たぬものだ」

「神託はありました。【相生結太なる人物はこの世界の異物ゆえに留め置く事は叶わず。即刻賽の河原送りにせよ】と」

期限なんてなかった。神託とやらが降りてすぐ円乗さんは僕を流刑にしなくてはならなかったのだ。

「では無視したのか。その神託を」

「神罰は覚悟の上です」

「円乗さん」

「気にしないで相生君。アイスのお礼だから」

だってアイスおごったのは…ずっと後の話だろ、円乗さん。

「姉様」

「何だ?羽女」

「長々御講釈賜りましたが他に言い遺した言葉はございませんか?」

目の前から吊り橋が消えた。

「辞世の句など」

先程まで足の腱を切断され路上に伏していた巫女達が今は得物を手に立ちつくしている。散華はそれを見て舌打ちした。

「もう再生したか…化け物共が!」

河川敷の僕達がいる土手の路上。周囲を埋め尽くす夥しい数の巫女。まるで蟻の巣にでも迷い込んだのかと錯覚する。

つがえた弓矢の矢尻は全て散華に向けられ放たれようとしていた。

「姉様を生きて島に帰すわけにはまいりません」

「その目で見たか少年。これが円乗羽女の真の顔だ」

僕の顔を覗き込んだ顔がすぐに溜め息と諦め顔に変わる。

「それでも揺らがぬか」

「僕の嫁は円乗羽女さん1人だけだ!」

「あ相生君!?」

「ほう…よく言ったな、小僧が」

「世界や神様や円乗さん本人が『違う』と言っても円乗さんは僕の中では嫁なんだ。他の嫁なんていらない!!」

結婚する前に離婚だ。

「相生君」

「馬鹿であろう、お前。そんな女の尻を追えば地獄を見ると言うのに…信用すると言うのか?その女を」

「円乗さんに自分で聞いてから自分で判断するさ」

「君ならば…カフカ島の寡婦達も仲間として歓迎したろうに…残念だ!」

「カフカ島の女達」

「寡婦が帰る島。寡婦帰島だ。そのカルト女の祀る神に夫の魂を喰われ、葡萄の皮のように棄てられた妻達の島。羽女の改編により声さえ奪われ嘆きの言葉すら呟けぬ。四方を注連縄の結界で封印された寡婦の島さ」

「私は私利私欲や私怨のために改編を使った事は一度もありません」

「ぬかせ!この少年に一度でいいからあの島の惨状を見て欲しいものだ」

「寡婦となった者が禁忌を口走る事を恐れたのではなく」

「恐れたのだよ。少なくともお前の主である神とやらは!」

「私はせめて寡婦達の心が安らかなればと」

「誰もお前の建てた屋敷には住まぬ。空の神社は、私が自ら火を放ち、焼け落ちた。寡婦どもは雨が降り風が吹こうとも、ひび割れた肌と何も映さぬ瞳で、夫が召された天を仰ぐばかり。誰も神とは思わない。お前の事もお前の飼主もな」

「私は何れ寡婦帰島に赴き寡婦達に会うつもりでおりました」

「言うに及ばず。こちらからお伺い奉る!祭主様よ。寡婦達もさぞや喜ぶ事であろうな。今も島で貴様の腕が欲しい目玉が欲しいと犇めきうめいておるわ!!」

その時夕暮れも待たず世界は突然闇幕に包まれた。星も見えない天から舞い降りた縄梯子を散華は掴む。

そのまま空へと吸い込まれるように消えて行く。僕達のいる世界を覆う巨体な鳥の影。暗闇の中宙に向けて何百という矢が放たれる音がする。

「無駄だと言うのに」

「私の後ろに隠れて!今直ぐ隠れて!」

訳も分からずにいる僕を背に円乗さんが立ちはだかる。こんな時でさえ円乗さんの黒髪からは仄かに花の香りがした。 

空に向け放たれた矢が時雨のように降り注ぐ。次々と地に倒れる巫女達。

「わかっています姉様」

天を仰ぐ円乗さんと僕に矢は1条も当たらなかった。アスファルトに突き刺さる無数の鏃。彼女の顔に徐々に明けていく空から光が射すのを僕は見ていた。

ゆっくり空に翳していた右手を下へと下ろした。

「神様が守ってくれた」

「円乗さんが、だろ」

へたりこんでその場に尻もちをつきそうな僕に彼女は微笑んで首を振る。

「だって私カルトだから」

【第六章  誰彼に続く】
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