【円環奇譚 鳥籠姫】

六葉翼

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【従者たち】

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犬島がエントランスの扉を開けると目の前を何かが過った。犬島は苦もなく素手でそれを掴んだ。

掌の中には蝉の頭を持った裸の人。背中に透明な羽がある。犬島は呟いた。

「妖精」

腹のあたりが大きく膨らんでいる。膨らんだ半透明の膜の中に膝を抱える同じ生き物が蠢いている。
犬島は掌の中の生き物を握り潰した。指を開くと掌の中には何も居ない。

「アストラル帯か」

天井を見上げると同じ有翼の生き物が無数に飛びかっている。

「一階からのんびり探索してる時間はなさそうだ」

アストラル帯…妖精を構成すると言われているエレメンツが出ているのは2階からだ。

「さっきから犬島君独り言」

春海が心配そうに声をかけた。

「すまない少し考え事してた」

「そりゃそうだろ。こんなヘンメル屋敷…本当に妹さんすまわせるのかってな。俺がお前でも考えちまうよ」

「うちの妹は結構そっち系だったが」

「なあ伊波ヘンメルってなんだ?」

「俺の守備範囲じゃねえが…後で教えてやるよ」

ニ階に続く軋む音をたてる階段を登る。犬島の足どりに迷いは無い。

後に続く伊波と藤島も同じだが春海は不安げに周囲を見回している。階段を登りきりニつ目の部屋。部屋にかけた女の子の名前の文字は掠れて見えない。

大人の書いた文字。多分母親だろう。

「わざわざ探すまでも無かったな」

ここが1番濃いアストラル帯が…犬島は躊躇わずドアの取っ手に手をかけた。

「げ!いきなり開けちゃうわけ」

「誰か…誰か大勢で階段を登ってくるよ」

「春海背中押すなって」

犬島がドアを開けるのと同時に軽い将棋倒しになった。四人は部屋の中になだれ込んだ。

「押すなって!ばか」

先に部屋に入った犬島は突っ立つたまま呆然と部屋の奥を見つめていた。

ミサゴの鳴く声が聞こえる。川のせせらぎに似た木々のざわめきが心地よい。

そこは森の中だった。

犬島の視線の先を皆が息をのみ見つめた。日当たりの良い森の真央に白い夜着を来た少女の姿があった。

少女は膝元に小さな白い子馬の首を抱いて眠っていた。森は折り重なる透明なフィルムのように見えた。  神話に登場する幻獣たちや悪魔や天使が重なり合いひしめき合い霞のように見え隠れしている。

「一角獣」

小さな子馬には額から生え出た螺旋状の角がある。

「いやあれは似ているが違うぞ」

犬島が左手を上げ全員に後ろに下がるように促す。

「あれは一角獣に似ているが…モノケロスだ」

気配に気づき目を覚ました子馬は少女の膝から飛び降りた。物憂げに首を振り前足で地面を掻く。

こちらを向いて見据える。瞳は蒼く虹采も瞳孔も無い。足元から焔が立ち。躯全てに火の手が上がる。

火は忽ち周囲の木々に飛び移り周囲は火の海となる。目も開けていられぬ程の熱波が4人の元に押し寄せる。

炎の中から巨大な火炎の馬が姿を現す。

「一角獣に似ているが遥かに巨大で狂暴だ」

前に出ようとする犬島を伊波が追い越す。

「危ねえ。脇に退いてろ」

「ドアの外に出ろ」

藤島も残った2人を庇うように腕を広げて前に出る。

「ドア…開かないよ!」

春海が叫んだ。

鬣で炎の波を起こしながらモノケロスは目の前に迫る。犬島は右手の中指の第ニ関節を折り曲げて音を鳴らす。

Ι(イス)の音色は音素文字の「凍結」。

モノケロスは凍りつき砕け散る。

通常は左の二の腕に彫った鍵盤の刺青に触れて音を奏でる。鍵盤の1つ1つに音素文字の音色が封じ込めてある。

魔法使いの呪文とは声を出して唱える音である。より早く複雑な音の組み合わせで奏でられる音色こそが、高度な魔法であると犬島は考える。

凍結程度の単純な魔法ならば指を鳴らす程度で充分だ。

「一体どうなってやがるんだ」

空中で水蒸気となって蒸発したモノケロス。その四散した後に残る霧が晴れると聖書を翳して仁王立ちする神父藤島の姿が現れた。

「藤島お前が神の力であの化け物を退けたのか?」

「多分違う…祈りはしたが」

「あんなに周りは大火事だったのにタバコの焼け焦げ1つ残ってねえ」

「幻視だ」

「いやいや、滅茶苦茶熱かったぜ」

「受肉していないとはいえあれは聖獣だ。直視したり火に触れたら脳や精神に異常をきたす」

「ちょっと、さっきからみんな何言ってるの?」

春海は困惑した様子で言った。

「ダメもとで本に書いてある呪文を唱えてみた」

犬島は制服のポケットから【誰でも使える魔法の呪文】という文庫本を取り出した。勿論嘘だ。呪文なんて唱えていない。

「最近オカルト系の本にはまっていてな」

「犬島先生スゲーな」

「いや…呪文なんて眉唾物だが。この場所がきっと特殊なんだと思う」

「ふん!オカルトなんて感心せんが」

「へっぽこ神父が悔しがってら」

「なんだと!」

「待て!見てみろ」

犬島の言葉に全員が周囲を見回すと風景が一変していた。

そこは先程まであった森ではなく剥き出しの大岩や石ころばかりが散在する荒れ地であった。目の前にあるのは行く手を阻むかのような断崖。  その背後には山脈が連なる。

「なんか強烈に拒否られてね-か?俺たち」

「そのようだな」

目の前の壁岩には.人が入れそうな洞窟がぽっかりと開けている。夜の海の水のような静けさと暗闇をたたえて四人を待ち受けていた。

「ここ入れってか」

「そのようだな」

「トラップ率100%だな」

「まず間違いないな」

伊波はお相撲さんみたいに顔を叩いて
「おし決めたぜ。行くぞみんな」

「危険過ぎるぞ。無謀だ」

藤島が伊波を制した。

「虎穴に入らずんばギャルは得ずだ。この俺様がここまで来て空手で帰れるかっての。ライン交換一件も無しにだ」

「いやもう死んで…」

「おし!藤島無事帰還したら明日は動画の娘も呼んで合コンだ」

「合コン…そのような事は神父志望の自分にはいささか」

「なら言葉を変えよう。合コンじゃなくミサだ!」

「ミサか…ミサならいい」

「迷える子羊ちゃんたちを導いてやろうぜ」

「でも飲酒はだめだ。いや…ワインなら。ワインはキリストの血だから」

「その話題は合コンの席では御法度だ」

「がってん!承知した!」
ニ人は肩を組んで

「ゴウコン!ゴウコン!」

叫びながら洞窟の中に消えた。

「犬島君。もはや死んでるとかもニ人には関係ないんだね」

「ある意味ニ人は超越者だ」

「あの勇気と熱意を勉強とかに向けたら将来すごい人になれるのに」

「犬島-置いてくぞ-!春海タマちゃんみたいな立ち位置からダメだしするな」 

想像していたのとは洞窟の内部は違っていた。天然の鍾乳洞では無い。赤色花膏岩の石畳が敷かれた広大な迷宮。

僅かに差し込む地上からの明かりでは天井の高さも壁と壁の距離も伺い知る事は出来ない。

「明かりが無いんじゃ先に進めないな」

神父藤島は冷静な男だ。

「おし!全員スマホの画面を翳せ」

伊波の提案に皆従ってみた。

「途中でバッテリーが切れたら」

犬島も冷静は男だ。

「花輪君」

「犬島だ」

「犬島お前さっきなにげに魔法使えたろ?今回も灯明の魔法で地下を照らせ」

「灯明の魔法」

どうだったか…と犬島は考えた。確か音素は>だったな…音色は…ええと。

初歩の初歩過ぎて思い出せない。暗闇にはらはらとページを捲る音だけが響く。

「どうした?出来ないのか」

「いや…あの…すまないが携帯のライトをページに」

「仕方ね-よ。犬島は本物の魔法使いって訳じゃね-し」

「素人だしね」

「本物の魔法使いじゃないんだ。さっきのも多分偶然かまぐれ。過度に期待したら犬島が気の毒だ」

くそ。なんという屈辱。

犬島は必死でページを捲る。そのうち地面が揺れ始める。

「地震か!?」

「冗談言うなよ、こんな地下で」

どれ程の巨大な拳で壁を叩き床を踏みつけたなら。敵意に満ちた憤怒の赤色。隻眼の瞳がこちらを目指し近づいて来る。

「迷宮に棲む神獣…まさか」

「実体とかじゃねぇんだろ」

「いや…あれは多分実体。ミノタウロスだ」

闇の中で獲物を見つけた赤い光が跳躍する。一飛びで距離が縮まる。

「冗談じゃねえ。逃げるぞ」

伊波は後ろ振り向いた。入り口の通路は消え失せ、突き当たりには壁。周囲に濃密な獣の匂いが立ちこめ。足音が響く度空気を震えさせる。高見から赤色がこちらを見下ろす。

「ТΗ(停止)」

右手を掲げた犬島が叫んだ。音素文字のスリサズの音色を「思わず口ずさんでしまった。美学に反する」。

犬島はミノタウロスを睨み付け言った。

「下がれΨ!!…飯抜きだ」

「難解な呪文だ」

「サイって…牛じゃねえのか」

ミノタウロスは背中を向けると元来た通路をすごすごと帰って行った。

「おおお」

「スゲーぞ。犬島が化け物を追い払ったぜ」

「先に進むか」

「今がチャンスだ」

犬島は皆に向かって言った。

「進んでも無駄だ。ミノタウロスの迷宮に出口は無い。神話によれば女神が投げてくれた糸巻きの糸を辿れば外に出られるらしいが」

ここにいる女神はそんな気は無いらしい。

「春海」

「え!?なに犬島君」

「お前にはさっきから俺達どう見えてる?」

「え…どうって」

「正直に答えろ」

「なんか馬鹿みたい」

「なんだと春海!?お前友達のふりして実は真の敵…」

「伊波飛躍し過ぎだ」


「春海。お前にはさっきの森も火の馬もこの迷宮も見えてない…見えてるふりだけしていた。違うか」

「だってみんなが見えてるって言ってるのに僕だけ」

春海は項垂れた。

「そうだと思った」

「どういう事だ犬島」

「春海俺達は今何処にいる」

「ドアを開けて部屋に入ってから一歩も動いてないよ」

「どういう事だ」

「この部屋はアストラル帯というエメントで満たされている。アストラル帯は普通の人間には見えない。魔道者のみに強く作用を及ぼす。魔を強く信じるものや、縁の者は余計に幻視を見やすく術にもかかり易い」

「藤島は対極だぜ」

「魔道の対極にいるという事は、その存在を強く意識しているという事だ。つまり魔法使い同様魔法にかかりやすい」

犬島は春海の手に肩を置いた。

「つまりこの中では現在春海が一番突出した異能者なんだ。この迷宮から出るにはお前の力が必要だ」

「僕の力」

「春海、今何が見える」

「部屋…女の子がいてこっちを見てる。円。円の周りの床に沢山の絵と針?」

「部屋の入り口のドアは」

「こっち」

春海は左を指差した。

「女の子のいる方は」

「こっちだ」

左側を指差す。

「では進もう」

「ちょ…そっちは壁だぜ」

伊波の言葉を遮るように犬島は言った。

「春海、自分の目に見えるものを信じろ」

春海は右側の壁に向かって歩くと.突き当たりの壁に手を触れた。手はそのまま壁をすり抜けた。

春海の後について行くと迷宮を抜け出す事に成功した。
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